A.L.Fのひとりごと


Vol.4
「黒潮」 The Japan Current "Kuroshio"


今年はもう既に3回も南紀熊野路へ行っている。まだ行くかもしれない。

私がまだ愛知に住んでいた頃でも隣の三重県最南端の熊野以南というとまさに地の果てのように遠い印象があります。事実車での移動なら今住んでいる京都から新潟県や山梨県へ足を延ばすのと大差ないくらい時間がかかります。でも、そこは冬でも暖かい太陽が降り注ぎ、まさに本州の最南端を思わせる土地です。

採集の目的はそこにしかいない種が存在するから。では、何故存在するのか?それらは黒潮に乗ってやってきたともいわれています。実際植生なども亜熱帯性植物が多く自生しており、手つかずの森に入るとそれらをよく観察できます。植生の変化と呼応してそこで暮らす生き物たちが他の本州とは違うのもうなずける話で、これは俗に言う南方系の生態系が支配するエリアだということです。

中でも本州ではこの地でしか確認できていない「ルイスツノヒョウタンクワガタ」は黒潮に材ごと運ばれてやって来たとも言われておりますが、実際はどうなのでしょう?
黒潮の規模は幅50〜100Km、深さ200〜1,000m、毎秒2,500〜6,500万t で、最大時速は7ノット。1ノットは時速 1.852 kmなので黒潮のスピードは時速にして約13km(最大時)ということになる。仮に1300Kmの距離を流されるとすると100時間あまりで到達することになります。はたして100時間以上も海水に浸されて虫は生きて辿り着けるのかという疑問??
私はあくまでも憶測ですが、約2〜3万年以前の南方型旧石器文化が栄えた時代より以前は本州と四国、九州はおろか、トカラ列島辺りまでも繋がっており我々が言うところの黒潮海流を北上してきた新期旧石器時代人と同じように入植してきたのではないかと思う。かれら新期旧石器時代人ですら琉球列島を経由して、種子島や四国・本州島の太平洋岸地域を遊動拡散してきたのであるから、それより遙かに歴史のある昆虫が海岸線を移動してきたとしても何ら不思議はないし、他のヒラタなど南方系の種はそういわれている。

仮に材により運ばれてきたのなら、南紀以東で黒潮の流れのある遠州や伊豆諸島、八丈島などで生息していても不思議はないがその事実は確認されていない。あと、南紀で真冬に材割りをしても冬化現象を起こしている幼虫(材性の幼虫)は出てこない。これらを考えると、温暖な土地へしか適合出来なかった結果、本州や四国の最南端に取り残される形で細々と残ったのではないだろうか。

同地域に生息する「マメクワガタ」は逆に黒潮の影響が濃厚で大東島〜南西諸島〜九州〜山口・四国〜紀伊〜伊豆諸島と局所的ではあるが、まさに黒潮のエリア一帯でみられる。しかもルイスと同地域においても極めて海岸線に近い所に生息している事からもそれをうかがわせるものである。

みなさんはどう思われますか?