A.L.Fのひとりごと


Vol.18 「駆除」 Extermination.


奈良といえば奈良公園の鹿というくらい鹿の存在は奈良からは切り離せる物ではないだろう。当然、奈良公園の鹿は保護されて数を増やしてきた。方や同じ奈良県でも吉野・熊野地域では数年前より環境省の政策で駆除の対象となり、本年度は64頭の駆除予定だという。

世界遺産登録された吉野・熊野地域ではあるが、実のところ山は植林も多くその上近年の環境省の政策で空中回廊、防鹿柵まで整備されてきている。無論、観光客も多く訪れただの観光地でしかなく、昔の霊山の面影はあまり感じられない。本来自然環境を守ることが仕事であるはずの環境省の政策は自然環境を人工的にまるで動物園か植物園の様に管理しようとしているだけにしか思えない。環境省は森を枯らした犯人を鹿と断定し、鹿の食害から森を守る為に駆除するという政策は果たして正しいものなのか。これに、私は疑問を感じている。鹿をたとえ駆除したところで、根本的な原因解決にはならないことだと思う。

私は先日、この地域の森を歩いていてうずくまった子鹿に偶然遭遇した。まだ産まれて間もないサイズだったが、痩せ気味で元気の無い子鹿だった。その場にいた私達はどうすることも出来ずに、子鹿をあとにその場を立ち去った。その時は離乳もしていない子鹿が何故独りでいるのか不思議だったが、あとから考えるとあの子鹿の親は駆除されてしまったのかもしれない。だとすると、余命幾ばくもないあの子鹿は、駆除という名の森林保全の為に死んで行く運命にあるという事になる。本来鹿などを撃つハンターは身籠もった雌鹿や子を連れている鹿を撃つことはないだろう。この辺りが、頭数さえ減らせばいいだけのお役所主導の怠慢なやりかたが伺える。

当然、
産まれてきた子鹿にはなんの罪もなく、これからの生い立ちで草木を食する事が罪だという事なのだろうか。先にも述べたように奈良県に限らず日本の山という山は東北等の一部地域を除いてほとんど植林事業の為に原生林は破壊されてしまっている。現在僅かに残る原生林も近年の温暖化やそれに伴う異常気象、大気汚染による酸性雨などの影響で樹木が枯れて場荒れが進んでいる。これらの事は全て人為的な環境破壊・石油燃料の利用などに端を発したもので野生動物たちにひとかけらの罪があるはずもない。ましてや鹿などの草食動物が草木を食べるのはあたりまえのことで、それが罪であるなら人間の存在こそが地球にとっては最大の罪なのではないだろうか。

紀伊半島に限った話では、近年鹿が紀伊半島全域から吉野・熊野地域の山地に集まって来ているという。これは他の地域でもいえることだが、温暖化の影響で高標高地に適応してきていることと、低層域で餌が無くなっている為と思われる。人間の手による開発や植林事業と温暖化の影響による動物たちの高標高地への適応。これらの複合的な要因が近年各地での鹿や猪の隆盛につながっているのではないだろうか。それとは対照的に本来山地性だった動物たちはその行き場を失ってもがいているのが現状だとしても、無差別な駆除という名の意味のない間引きの様な行為は人間が自然を「管理」すなわち「支配」できるとでもお役所は考えているのだろうか。飛鳥時代より鹿を保護してきた奈良での出来事だけに、この事は残念でならない。もっと抜本的で総合的な対策を講じない限り、近年の深刻な森の保全を防ぐことにはならないのではないだろうか。本来野生動物との共存を率先して行わなければならない環境省が安易に駆除という名の殺戮を行っているとしたらこれこそ本末転倒である。