A.L.Fのひとりごと


Vol.19 「自業自得」 Self do, self have.


自業自得・・辞書では「自分の行為の報いが自分の身にかかること」とある。「因果応報」というのも同じ意味のことわざである。

自らの行為が巡り巡って思わぬ災いとなって帰ってくる事の例えだが、
人は人生においてこの自業自得に陥る場合も多々ある。採集を例に挙げるならば、採集に成功した記事を誌面に執筆したとしよう。この時は単に嬉しさや、成果を多くの人に知らしめたい為に執筆したにすぎないかもしれないが、それは本が出版されれば、一夜にして何万人という全国の採集者の目に留まることになる。採集環境や採集方法、ホストの種類などあるていど経験を積んだ人がひとたび目にすれば、「かの地ではこの方法なら採れるのか」とかなりなヒントを与えることになる。そして、その情報が発端となり全国から腕利きな採集者がわんさと集まることになる。執筆をした当の本人が悔やんでももはや手遅れな状態である。

そもそも、執筆する時点でどこまでの情報を出すべきなのか深く考えるべきであったのではないか。最近のクワガタ関係の記事というのは単なる自慢や自己満足の表現の場となっている誌面も多く、一昔前のような学術的な採集報告ではなくなっている記事も多々お見受けするが、それは出版元の基準が各紙違うので仕方がないのかもしれない。執筆者もこの狭い世界において名声を上げるのが目的の様な方も多いと思うので、自業自得に陥ってしまうのも仕方のない事かもしれない。

あと、煙や薬を使う様な採集方法も何人もが同じ場所で何度も行ったなら、いくら御神木といえども当然虫は寄りつかなくなるだろう。材割りに関しても、徹底的に行ってしまえば、小さい単位での一つのポイントは消滅するわけで、次にその地を訪れても、もう簡単に採集できるはずもない。樹液やルッキングに於いても♀を必要以上に採集するのは慎むべきである。♂はいくら採集しても構わないと思うが、♀の絶対数が不足すると個体群の維持に与える影響は多大なためである。こういったその場限りの欲望を満たすだけの行為はやがては自らに帰って来ることなのだということを考えなければならないのではないだろうか。

Webの上でもかつては頻繁にUPしていたサイトがある日から突然UPされなくなったり、気がついたら閉鎖されていたりするのはここ数年多くなっている現象だ。これらは夢を追いかけ、夢を提供していたのが巡り巡って情報提供者の意図と反する方向へ行ってしまい思わぬ報いを被ったからなのかもしれない。それとも単に飽きてしまった、もしくは面倒なだけなのかもしれないが・・

かくいう私とて、「採集の風景」をUPしているが、採集の面白さや各地での様々な風景、甲虫に限らず出会った生物を紹介してより多くの方に楽しんで理解して頂くのが目的な訳で日々更新しているのですが、ある種の自業自得となるリスクがあるのは当然承知している。もちろん私も他の採集者の採集記など楽しく拝見させてもらっているが、数や大きさばかりの記事など面白くもなんともない。やはり、楽しいのはその人がどんな覚悟で望んでいるのか、どんな工夫や苦労をしているか、そして採集への情熱がひしひしと伝わってくるものは実に楽しい。単に成果ではなくプロセスや目的意識が伝わるものは素晴らしいと思う。

また、今年は体調面でも優れないのが続くのは明らかに採集での疲労の蓄積が起因している。無理をしたスケジュールの中で車中泊をするなど繰り返していれば、治るものも治らないのは当たり前の事である。これもある種の自業自得だろう。

最後に決して自業自得なだけだったという様な後悔に終わってしまってはなにもならない。そんなつまらない事にならない為にも楽しみなのだから余裕を持って望みたいと思う今日この頃である。