恐ろしいモンスターにさらわれたプリンセスを探すティム 彼女がさらわれたのは、ティムがまちがいを犯したからだった |
一度や二度じゃない。ティムはまだ彼女がとなりにいた頃に、何度 もまちがいくり返した。ふたり過ごした日々の思い出は少しずつ ぼやけて、別のものにすりかわってしまった。ひとつだけはっきりと 思い出せるのは、去っていく彼女のみつあみ(Braid)が、冷たく揺 れる様子だけ。彼のまちがいが引き起こした出来事だった |
ティムは彼女が許そうとしていたことを知っている。けれどウソつ きの裏切り者をそう簡単に許せるものではない。一度だめになっ てしまったら、もう元には戻らない。たとえ心から悔いてあやまちを くり返さないと誓っても。プリンセスの目はさげすみの光をたたえ、 ふたりの距離は遠くなった |
因果律にしばられたこの世界では、私たちは人を簡単に許しては いけないことを知っている。簡単に人を許せば、自分が深く傷つく からだ。しかし、あやまちから学び、お互いにより良いパートナーとし て成長できたのなら、そのまちがいを罰するより、学んだことを評 価すべきではないだろうか? |
たとえば、世界のしくみが変わればどうだろう?「あんなことを言う つもりはなかったんだ」と僕が言えば、彼女は「いいのよ、分かって いるから」と言ってくれるだろう。そして彼女は僕のもとに残る。ふ たりの人生は、あの出来事をなかったことにして進んでいく。あや まちから学んだことはそのままに ティムとプリンセスも、お城の庭で仲よく笑いあいながら、色とりど りの鳥たちに名前をつけたりして、平和に過ごすだろう。お互いの まちがいは、時間のすき間にしっかりと折りたたまれ、二度とふたり の目に触れることはない |
2-1 THREE EASY PIECES (3つの優しいピース) | |
2-2 THE CLOUD BRIDGE (雲の橋) | |
2-3 HUNT! (狩れ!) | |
2-4 LEAP OF FAITH (盲信) |
申し訳ないけど、プリンセスは このお城にはいないよ |
もうずいぶん前のこと、ティムはプリンセスのもとを去った。彼女に別 れのキスをして、旅行カバンを抱えて、彼は出て行った。ティムは今、 自分のしたことを後悔している。そして、再び彼女をさがす旅に出 た。彼女に伝えたいと思ったのだ。出て行ったことで、自分がどんな に悲しんだか。でも同時に、どんな素晴らしいことだったか |
ティムは、ふたりは長い時間をかけて完璧な関係を築いてきたと思っ ていた。ティムはプリンセスを徹底的に守ったし、自分の犯したまち がいはすべて打ち消してきた。そして彼女もまた自分のまちがいを 厳しくコントロールしていたし、ティムもそれに満足していた |
しかし大切な人の胸のなかで過ごす時間は、暗い予感でもある。相 手のことを完ぺきに理解していなければ満足させられないから、彼 女の期待を裏切ったり、彼女が伸ばした手から逃れることはできな い。彼女のやさしさが、だんだん束縛になっていく。かなえたい夢が あるのに、彼女の描いた地図の中にしか人生がない |
ティムは何にも縛られない時間を求めていた。決められた枠を跳 び越える希望を求めていた。時には、プリンセスの優しさに対する 抵抗力さえ求めた |
ふと遠くに目を向けると、ティムの目に映ったのはお城だった。風が なくても旗がゆらめき、キッチンにあるパンはいつも温かい。魔法み たいだ |
3-1 THE PIT (穴) | |
3-2 THERE AND BACK AGAIN (再び往復せよ) | |
3-3 PHASE (段階・過程) | |
3-4 THE GROUND BENEATH HER FEET (彼女の足の下の地面) | |
3-5 TIGHT CHANNELS (硬い道筋・キツイ手段・窮屈なルート) | |
3-6 IRREVERSIBLE (元に戻らない) | |
3-7 LAIR (秘密の隠れ家・寝床) | |
3-8 A TINGLING (うずく・ヒリヒリする・興奮する) |
…ん? それはおかしいなあ… ええっと…プリンセス… 何ていう名前だっけ…? たぶん別のお城にいるんじゃないかなあ |
休暇でひさびさに実家に帰ったティムは、親元を離れる前の自 分に戻ったような気分がした。自分には不自然としか思えない 価値観を押しつけられて、とても窮屈だったあの頃、テーブルク ロスにこぼれた数滴のソースすら口げんかのきっかけには十分 だった |
逃げるように家から出たティムは、冷たい空気を感じながら、両 親のもとを離れた後に通った大学に向かって歩いていた。実家と の距離が遠くなるにつれて、思い出したくない子どものころの思 い出は過去に消えていったように感じた。しかし、大学に近づくに つれ、大学時代に味わった不安や社会に出るという不安な気持 ちがよみがえってきた |
過去への旅が終わったとき、ティムはようやくほっとできた。現在 の、自分の家。昔の自分と照らし合わせてみたとき、自分がどれ だけ成長したかがよくわかった 彼は日々成長を続け、そのたびにどんどんプリンセスに近づい ていると感じた。見つける日もそう遠くないだろう。本当にいるな らば−いや、いるに決まってる!−彼女が自分を、みんなを変え てくれるはずだ |
旅の途中、ティムはあることに気がついた、どこかに到着するた び、何か感情が呼び覚まされて、その感情が記憶をよみがえら せるのだ。「あのとき、あの場所で」と。今夜、とにかくあちこち歩き 回って感じ続けていれば、プリンセスを見つけられるかもしれな い。感情、おそれ、直感。その足あとをたどっていけば、あのお城 にたどりつけるかもしれない。いつの日か、彼女が抱きとめてくれ て、そのいい匂いに胸がおどって。その瞬間はあまりにも鮮明で、 過去の記憶として思い出すことすらできる |
次の朝、ティムは旅立っていた。待ち受ける新しい日に向かって。 なぜか未来は明るい気がした |
4-1 THE PIT (穴) | |
4-2 JUMPMAN (跳ぶ男) | |
4-3 JUST OUT OF REACH (わずかに手の届かない所) | |
4-4 HUNT! (狩れ!) | |
4-5 MOVEMENT BY DEGREES (徐々に動く) | |
4-6 MOVEMENT,AMPLIFIED (増幅される動き) | |
4-7 FICKLE COMPANION (不安定な仲間・飽きっぽい仲間) |
やあ! 残念ながらプリンセスは… …あっ、ちょっとどこに行くのさ! |
彼女には、彼の情熱がどこから来るのかまったく分からなかった。 少しずつ彼の顔に深いしわを刻んでいく強烈な何か。そもそも彼 女は、そこまで彼のことを理解していなかった。しかし彼は、世界 で最も親しい人間のように彼女を抱き寄せ、運命の人にだけ使 われる言葉を耳元でささやいた |
食べ残した夕食の並んだテーブル。ふたりとも、そのときが来た ことがわかっていた。彼が言おうとしていることはわかっている。 「プリンセスを探しにいかないと」。でも、言う必要なんてなかった。 最後のキスをして、旅行カバンを肩にかけて、彼は出て行った その日から、彼女は毎晩、彼のことを想った。まるでまだここにい て、彼女が安心していられるよう、守ってくれているかのように。 プリンセス?ふざけないでよ |
5-1 THE PIT (穴) | |
5-2 SO DISTANT (非常に離れている) | |
5-3 | |
5-4 CROSSING THE GAP (交差する透き間) | |
5-5 WINDOW OF OPPORTUNYTY (機会の窓) | |
5-6 LAIR (秘密の隠れ家・寝床) | |
5-7 FRAGILE COMPANION (壊れやすい仲間・もろい仲間) |
うーん…道に迷っちゃった やあ、こんにちわ |
理想の世界では、指輪は幸せのシンボルなのかもしれない。や むことのない情熱の印。プリンセスを見つけられなくても、彼は探 すことをやめない。彼は指輪を、肌身離さず身につけているはず だ |
けれど指輪は自己主張する。他人の目には光る警報機のように 映る。近づいてくる他人の動きもためらいがちになってしまう。疑 いの心、不信感。交流はティムが話しかける前に絶たれてしまう |
やがてティムは他人との交流に注意深くなる。自分の動きを、お そるおそる近づいてくる相手のペースに合わせるようになる。厚 く守られた壁の内側へと続く細い通路をたどりながら。けれど、そ んなことをしてもあまり効果はない。それにとても疲れるのだ。そ して何より、必要なものは手に入らない |
やがてティムは、指輪をポケットに隠すようになる。でも、彼には 耐えられなかった。あまりに長い時間しまい込んでいると、彼の一 部が失われてしまうかもしれない |
6-1 THE PIT? (穴?) | |
6-2 THERE AND BACK AGAIN (再び往復せよ) | |
6-3 PHASE? (段階?・過程?) | |
6-4 CASCADE (滝・滝状になだれかかるもの) | |
6-5 IMPASSABLE FOLIAGE (通行不能の葉っぱ) | |
6-6 ELEVATOR ACTION (エレベーター作動) | |
6-7 IN ANOTHER CASTLE (他のお城で) |
遅かったじゃない! でも、よく来たね。今回はなんと! ・・・プリンセスは別のお城にいるみたい ぼくは会ったこともないんだけど… 本当にいるのかな、プリンセス |
明るい広場に面したカフェ。みんな温かい日差しを浴びてくつろぎ ながら、冷たい飲みもので喉を潤している。けれどティムには太陽の 光も見えなければ、コーヒーの味もわからない。ここからなら、街の様 子がよく見える。行き交う人の波。紳士に紅茶を勧める女性店員の 手。ティムはそれらを見つめながら、手がかりを求めた |
その夜、ティムは映画館にいた。架空の冒険家たちが、スクリーンを 駆けまわる。観客の層はさまざまだ。昼間カフェにいた人たちもいる。 ビロード張りのイスに座って、楽でつまらない人生への刺激を求めて、 ワクワクしながら見入っている。漁業や農業に携わる人もいる。疲れ る仕事から解放され、休息を楽しんでいる |
その中に混じったティムが食い入るように見つめているのは、スクリー ンに映し出される顔の唇のツヤや、ヘリコプターの墜落シーンで上 がった火柱の角度。やがてティムは、メッセージを理解したと確信す る。映画が終わり、観客たちは広場を南へ向かう。ティムは北を目 指した |
ティムのような人は、一般的な街の人たちとは反対の生き方をして いるらしい。寄せる波と返す波が、お互いにぶつかり合っている |
ティムはとにかく、プリンセスを見つけたいのだ。なんとか彼女のこと を知りたい。ティムにとってそれは、まるで世界を包み込む強い閃光 のように大事なことなのだ。これまでわれわれの目から閉ざされて きた秘密を明らかにしてくれる、われわれに啓示を与えてくれる、何 かを生み出すもの。つまり、みんなが最後にたどり着き、平和に暮ら せる場所だ |
でも、世界は彼と逆の方向に流れている。その世界に暮らす人たち は、どう思うだろうか。はじめは温かく輝いていた光もしだいに小さく なって、最後は消えてしまうだろう… もちろんお城も。われわれは、 帰るところを失ってしまう。子どものころ無邪気に遊んだ場所、自分 の家。希望も安心も完全に破壊されて、二度と元には戻らないだろ う |
1-4 | ||
1-3 | ||
1-2 | ||
1-1 BRAID (みつあみ) |
はなさないぞ! |
ウッ! |
助けて! |
こっちだ! |
助けて! |
EPILOGUE (終章) |
少年は少女を呼びよせて手をとると、ついてくるように言った。僕が君を 守るから。この重苦しいお城を脱出しよう。煙と疑念でできた化け物なん て怖くない。自由に満ちた世界に一緒に行こう 少年は少女を守りたかった。だから手を握って、歩くときは肩に手をまわ した。マンハッタンの人波を歩くとき、彼女には守られていると感じてほし かった。自分を近くに感じてほしかった。人ごみにもまれながら、少年は進 む道を決めた。ふたりは一緒に道を曲がって、地下鉄の駅へ降りていっ た |
彼女の肩に、彼の腕がのしかかる。首が絞まって息苦しかった。彼女は 言った。「あなたのバカみたいな望みは私には苦痛なの」他にもいろいろ なことを言った。「道をまちがえてるわよ。私まで巻きぞえにしないで」「そ んなに手を引っぱらないでよ、痛いじゃない!」 |
定規とコンパスを駆使して、彼は頭をひねった。リンゴが落ちる様子や、糸 に吊るした金属製の球がねじれる様子をじっと観察した。彼はプリンセス を探しているのだ。見つけるまで、決して探すことをやめないだろう。もはや 飢えのようだ。ネズミの解剖をしたり、サルの頭がい骨の標本にタングス テンの棒を突き刺したりした |
彼女は亡霊のように彼の前に立って、その目をのぞき込んだ。「私はここに いるわよ」「私はここよ。あなたに触れたいの」「私を見てよ!」頼み込むよう な声だった。でも、彼には彼女が見えない。彼は物事の外側を見ることし か知らなかった |
彼はリンゴが落ちる様子や、糸に吊るした金属製の球がねじれる様子をじっと 観察した。プリンセスを見つけるヒントはきっとここに隠されているはずだ。彼女 の顔を見られるはずだ。ある夜、砂漠に掘った壕に身をかがめて溶接用マスク をかけ、彼はひたすら待った そしてある瞬間、時間が止まり、そして動かなくなった。空間は小さな点ほどに 収縮した。地球が裂け、空が割れたかのようだ。彼は、自分が世界の誕生を 目にする特権を手にしたような気分だった… 「うまくいったな」誰かが近くで言った 「これで俺達はみんなクソッたれだ」と、別の誰かが言った |
気品ある、堂々とした姿で立っている彼女。その体からは激しい怒りがあふれ ている。彼女は叫んだ。「私を邪魔するのは誰?」。その直後、怒りは消え去り、 彼女は怒りの下に隠れていた悲しみを感じた。そしてため息のように、風に舞う 灰のように、ゆっくりと息を吐いた 彼女には分からなかった。なぜ彼は、あんなふうにためらうことなく世界の死に 近づけたのだろう? |
お菓子屋のショーウィンドウ。彼が欲しくてたまらないものが、ガラスの向こうに並んでいる。 色とりどりに飾り付けられた店の中からは甘いにおいがただよってきて、彼はいてもたっても いられなくなった。ドアへ駆け寄ろうとする。せめてガラスの近くへ。でも、彼にはそれができ ない。彼女がしっかりと押さえつけているからだ。どうしてそんなことをするんだ。どうやったら 逃れられる?彼は暴れようとすら思った |
散歩の途中で、毎日前を通る店だった。彼がいくら泣きさけぼうと、彼女のみつあみをどん なに乱暴に引っぱろうと、彼女はまったく気にしない様子だった。この子はまだ小さいから、し かたがないこと 彼女は彼を抱き上げ、両手で抱きしめた。「ほらほら、ダメよ」彼はふるえていた。彼女は彼 の目線を追って、ガラスの向こうに並んだお菓子を見た。チョコレート、磁気単極、物理学理 論、倫理学理論、などなど… 奥にはもっとたくさんのものが並んでいた。「もう少し大きくなっ たらね」彼女は優しくそう言って彼を立たせると、手を引いて家に向かって歩き始めた。「もう 少し大きくなったらね」 次の日も、また次の日も、それまでと同じように、彼女は毎日彼を連れ て散歩をするとき、このお菓子屋の前を通った |
すべてを理解できたのか、彼にはわからない。 むしろ、よけいに混乱してしまったような気も する。それでもこうして考えているうちに、何 かが起こったのは確かだ。彼の中で、過去の 一瞬一瞬が、形あるものになっていた。それ はまるで石のように見えたので、彼はひざま ずくと、一番近くにあったひとつに手を触れて みた。指を滑らせてみるととてもなめらかで、 少しひんやりしていた |
その石はなんとか持てるくらいの重さだった。 他も同じだ。これを積み重ねれば、土台をつ くり、盛り土をして、お城だって建てられる |
立派なお城を作るには、気の遠くなるような 数の石がいるだろう。でも彼は思った。まず は、今あるもので始めてみても悪くなさそう だ、と |
誰が風を見たのでしょう? 誰もみたことはありません でも木の葉が囁く時 風は通り過ぎている −クリスティーナ ロセッティ− |