ローラント・ベルガー(Roland Berger)
ローラント・ベルガー氏の第一回目。
彼の生音に最初に触れたのは86年の引越し公演でのトリスタンとイゾルデ。
第一幕は3番をお吹きになっておりましたが休憩後の第二幕(もしかしたら三幕?)からなんと!1番の席におすわりなったのです。
それまではグゥイネス・ジョーンズの声にただ圧倒されていたオケが息を吹き返したように鳴りまくったのは信じられないことでした。
聖地でもワーグナーなどの長いオペラは幕でセットが変わりますが、3番から1番へのセット変えは普通あり得ないので特別措置だったのでしょう。
オーケストラにおけるホルンの重要性を肌で感じた至福の時でした。
そして初めて彼と会ったのは87年のオパーのホルン小部屋。
最初の印象はとにかく髪型と髭をきれいに刈り込んだ紳士!でした。
服装も見るからにセンスの良いものを着ていて、その当時のベストドレッサーでしたね。
その時はすでに3番オンリーになっていた頃でしたのでよくレッスンの後にホルン小部屋で会いましたが、いつも紳士で接してくださいました。(うちの師匠と同じセットで仕事をしていたと言う事)
しかし一端ホルンを持つと一遍して厳しい表情になるのでびっくりしました。
あれだけのホルンを吹いていたので当然かな、、、とは思いますが、、、。
そこで有名なお話を一つ。
今は亡きバーンスタインがヴィーンに来た頃の事当初オケの中でも好き嫌いがはっきり別れたこの指揮者が振るとベルガー氏が顔を真っ赤にして何か怒鳴っているんだそうです
R・シュトラウスはこんなんじゃない!とか言って怒ってるのがいつもの事になってオケの連中は やってるやってる ってな感じ。
しかし練習が終わってムジークフェラインを出ると、スクーターに乗ったノーヘルのベルガーの後ろに座るマエストロ!
二人で イェーイ!と叫びながらヴィーンの街に消えていく姿を見て同僚たちはただただ??????
天才のみが天才を知る と言う事なんでしょうか。
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ベルガー編の第2弾。
常に紳士な彼は見るからに恐そうな目をしておりますが、普段はとても優しい人物でありました。
あの強面は確かに近寄り難い雰囲気がありますが、日本でも同じ感じの人物に師事した私は、培った経験をもとに積極的に天上の人に近づきました。
あれはオケピットでの授業の後でした。
オペラ公演が終わると指揮者に一応立たされてオケはお開きにになります。
(登場する指揮者の99%はひどい指揮者だ!と認識しているホルン会は指揮者が舞台に登場する前にトンズラする場合がほとんど、、、。)
その時もトンズラ組の先頭をギュンターが、その後ろを彼が20m遅れて追走!
私は先頭から遅れる事5m。
ヨーロッパではドアを開けて通る時後ろに人がいたら男女の違いなくドアを開けて待つという美しい習慣がありまして、その時も15m後ろを歩く彼を私がその習慣に則りドアを開けて待っておりました。
そしてしばらくして待っている私に気が付いた彼は競馬馬のような凄いスピードとあの強面に一段と力が入った凄い形相で突進して来るではありませんか!
そして私に近づくとピタッと止まってありがとう!本当にありがとう!心より感謝します!と満面の笑みで言ってくれまして、あまりの感謝のお言葉百連発に先を歩いていた師匠も驚きのあまり振り返ってニコニコ。
今でも忘れられない一場面です。
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さーて、神様ベルガーの最終回。
ヴィーンでもやはり特別の存在だったベルガー氏。
一度レッスンの部屋を覗いたことがありまして、恐る恐るベルガー教授の部屋のドアを空けたらその真正面になんと!凄くでっかいフライベルク前教授の写真が額に入ってこちらを睨んでおりました。
縦1m、横80cmぐらいのものでホントに睨んでるのです。
その上、ベルガー氏の眼光が鋭くて二人に睨まれている様でホント緊張したの覚えています。
時は変わって、、、
私のレッスンが終わりシュターツオパーの食堂で師匠と同僚達と一杯飲んでいた時のこと。
本番前に早めに来たベルガー氏が同席しました。
いろいろな話をしているうち私が指圧(マッサージ)のスペシャリスト!と言う話になり手のつぼとかを説明していると真剣な表情でベルガー氏が私に一言!
唇の回りのこり(疲れ)を取るにはどうしたらいい?と、すがる様に聞くのです。
確かにその頃は3番奏者で調子は今一つでしたので悩んでいたんだと思います。
数カ所つぼを示すと真面目にマッサージしていました。
本番中でも盛んに(本当に四六時中)抜差管を微調整する姿からちょっと神経質だなぁと思っていましたので悩みは相当深刻なんだろうなぁと感じました。
まぁ確かに全盛期の彼は恐いもの無し!だったでしょうからストレスが溜まるのも仕方が無いなぁと思いました。
しかしその彼も定年前に早々と卒業してしまい残念でなりません。
100年に一人の天才でしたから、、、。
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