鑑定物件 No.5

ハンス・ハダモフスキー著
ウィンナオーボエ教本

〜日本語版(ただし"自家製"^^;)〜

依頼人:東京都 伴野達也さん


表紙

本人評価額:5,000円

作成のいきさつ

「ハダモフスキー著オーボエ教則本」にまつわるあれこれ。
ハダモフスキーはヴンデラーの弟子で、ヴンデラーはカラヤンに指揮法を教えたこともある教授であった。
ハダモフスキーは1936年からウィーンフィルのメンバーでオーボエとイングリッシュホルンの奏者であり、彼の伝統に忠実な音色から音楽アカデミーの教授になった。伝統に忠実とは簡単に言えば、ヴィブラートをかけないまっすぐな音であり、フランス式の奏法との混在をおそれたハダモフスキーはその伝統を未来に正しく伝えようと考え、多くの理解者の支援の下に、全10巻から成る教則本を発行することを決意した。
1.基礎技術、2.短い18のエチュード、3.古典様式の曲集、4.音階と分散和音、5.音程練習、6.新旧のオーボエ音楽(合奏練習用)、7.オーケストラスタディー、8.リード作り、9.オーボエ設計・歴史・演奏者・文献、10.記録(自筆譜からオーボエソロの部分、レコード・テープ)であったが、6、9、10は未完で、8は原稿は完成したが、紛失し、7はオーケストラパートをピアノに書いた伴奏まで付いた超スグレモノだが、鉛筆書きの段階で、ハダモフスキーの家を出ることはなかった。出版された巻は「ウィーンの楽音様式」研究所著著シリーズとして、出回ったようだが、何と実は著者自身が自宅で購入した輪転機で印刷した物である。勿論全て手書きで、ヨーロッパのレストランのメニューを書いた黒板上の文字を思い出していただければ、日本人にとっていかに読みにくい物かは想像できよう。
私はハダモフスキーの愛弟子であった芦野純夫さん、日本人で初めてウィーン式オーボエを持って音楽アカデミーの門をたたいた清水恵士さんから原本をお借りした。自分のために、そしてひょっとしてハダモフスキーへの強い共感をもつ世界中の同志のために、まず第1巻のワープロ入力(独語)、和訳を敢行した。楽譜も楽譜ソフトを用いた。ドイツ語が正確に読みとれているかは、ハダモフスキーの娘婿である音楽アカデミー教授のローレンツさんにチェックしてもらった。全体はページメーカーに入れて独・和対応形式にしてみた。164ページの本巻と付録のピアノ伴奏譜37ページで、オリジナルとほぼ同じページ数に納めることができた。おそらくドイツ語からのヨーロッパ言語への翻訳は自動翻訳も可能であろう(ルデュック社のように)。和訳についてはとりあえず、直訳調で、できるだけ日本語化した英語を用いず、オーストリアへの郷愁を阻害するいっさいの要素を排除した。

循環呼吸多くのフランス式の教則本にはヴィブラートについての説明があるが、ここにはもちろんない。その代わりと言っては変だが、巻末には循環呼吸法の説明がある。(左の写真をご覧下さい。)これができないと演奏できない曲があるが、ヴィブラートは教える必要がないとローレンツ先生の弁。
また誰でも辛いロングトーン練習にピアノ伴奏が付き、リズム・音程を常に正しく感じながら練習することと、練習自体が楽しい物であることを初心者に植え付ける目的もある。

運指表ご興味のある方のために、運指表もお見せしよう。オクターブ上のBから上の音は、フランス式は第2オクターブキーを用いているが、ウィーン式はEsなどの12度上の倍音を用いて鳴らす。その方が気柱が長く、良い音がするのである。ブラームスの2番の2楽章のオーボエの高音のメロディーなどで豊潤な音色が出る理由である。

ただし、この伝統の音を守ろうというハダモフスキーの信念は、芭蕉の俳論の「不易流行」(*)のごとしである。流行とは、3000人収容するホールでベートーヴェンの時代のピアノを鳴らしても響かないから、ベーゼンドルファーを用いたりする、オーケストラの編成を大きくする、奏者の心の琴線の揺動が自然に表われたヴィブラートを認める、などである。不易とは、ウィーンの音楽魂であることは言うまでもない。これを理解できないメンバーや指揮者がいることも事実なので困る。
私のDTPとして作ってみたものの、製本した物が6冊(芦野さん、ローレンツさん、小畑善昭さん、松沢増保さん、ドレミ出版の知人に一冊ずつ)で、ルーズリーフ形式にしたものが1組あるだけです。HDには約10MB占めています。鑑定に当たっては、希望小売価格5000円位でないと売れないでしょうし、資料としての価値と私の思い入れと、費やした時間を評価すると、「驚きの評価額はCMの後で!!」

-------------------- 老婆心ながら... by フォルカー --------------------

*不易流行(ふえきりゅうこう):松尾芭蕉の俳諧の基本理念の一つで、千載不易、一時流行の略。「不易」は永久不変の芸術の姿であり、「流行」は「不易」を求めて進展し流動する芸術の側面をいう。芭蕉は、この両者が一句の中に統一されていることを理想とした。自然は本質的に「普遍的なもの」と「複雑に変化していくもの」の両方から成り立っているという世界観の表われである。



CM

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鑑定結果

鑑定額:50,000円

これを「力作」と呼ばずしてどうしますか!単純に日本語訳するだけでも大変な作業であるはずなのに、元のドイツ語までテキスト化してしまったというところに、製作者である伴野さんの心意気と、そして崇高な"志"を感じるのは私だけではありますまい。
先般、オーケストラでご一緒した伴野さんに、「こんなものがあるんですが...」と、この教本を見せていただいた時、私は躊躇なく、「これ、鑑定団に出品してください!」とお願いしたのでした。だって、そうでしょう。これほど鑑定品としてふさわしいものはないですからね。

ハダモフスキーという人物が何者であり、当団およびウィンナオーボエの歴史上、どんな役割を果たした人なのか、ということは、伴野さんの「いきさつ」を読んでいただければおわかりの通りです。"近代ウィンナオーボエの祖"とでも言うべき彼が、その奏法をなんとか後世に伝えようと、教本を執筆し、さらには、それを自身で輪転機を回して印刷した。なんとも泣かせる話ではないですか...。さらに素晴らしいのは、その「自身で輪転機」という部分を、日本語化した伴野さんも踏襲しているところ(さすがに「輪転機で」ではなくて「パソコンで」ということになりますが^^;)。こういう「精神の継承」もまた、非常に嬉しいものであります。
内容については、オーボエ吹きならずとも興味のあるところです。伴野さんは、いずれ、その内容を、御自身で開設するホームページ上で公開したいとのご意向をお持ちの由。詳しくは、その際にじっくりと拝読させていただくことにいたしますが、それに先行する形で今回掲載した運指表などは、ウィンナオーボエってどんな指で吹いてるの?なんて興味をお持ちだったオーボエ吹きの皆さんにとっては、貴重な資料となったのではないでしょうか。
当団使用楽器への思い入れと、それにまつわる貴重な資料の呈示。さらには、本来ならば「日本語版」で見ることなど不可能であるはずの資料の公開、という意味において、実に素晴らしい逸品であると言えましょう。よって、謹んで次の"決め台詞"を進呈させていただきます。「いい仕事してますねぇ!」

それにしても、「不易流行」という言葉。ハダモフスキーの信念を表現すると同時に、これほど当団の"本質"を表している言葉もないですな。
恥ずかしながら私、最初に「不易流行」という文字を見た時に、意味はおろか、読み方すらわかりませんでした(高校時代、ろくに勉強してなかったことがバレバレ^^;;)。しかし、その意味を知った時、まさに「目からうろこが落ちる」思いであったことは言うまでもありません。
変ることのない、変ってはいけない芸術の本質と、それを実現するために、日々変化していくべき表現の方法。そして、その融和。
当団の歴史と、そして、当団の"あり方"を考える時、それはまさに「不易流行」そのものであったことは間違いありません。
同時に私は、先年、当団創立150周年記念番組(ORF製作)の中で、わが御神体が"マーラー(たぶん)の言葉"を引用する形で語った、次のような一節も思い出すのでした。
「伝統というのは、灰を崇拝することではなく、火を灯し続けていくことなのだ」(確かこんな内容。違ってたらゴメン...^^;)
これもまた、当団の"あり方"の本質を突いた表現でありますが、同時に、「不易流行」の精神そのものであると言っても過言ではないと思うのです。
事の"本質"とは、洋の東西を問わず一緒なのだということでしょうか。勉強になります...。

「昔のウィーンフィルは良かった」。よく聞くセリフです。確かにそうだったと思います。しかし、「昔のウィーンフィル」と「今のウィーンフィル」を取り巻く状況は、大きく変化しています。音楽においてもグローバリゼーションが進み、いろんな国のいろんなオーケストラのいろんなスタイルの演奏が巷に溢れる現在、当団が、「昔のウィーンフィル」のままの姿で演奏したとして、それは人々に受け入れられるものなのでしょうか?
いたずらに「流行」を追い求めることを善しとはしません。しかし、ただ単に「不易」に固執し続けることもまた、滑稽な姿ではないでしょうか。当団の面々は、「不易」と「流行」のバランスに腐心しつつ、"ウィーンフィルの音"、"ウィーンフィルの音楽"という伝統の火を灯し続けている。少なくとも私はそう思うのです。ですから、私は、「昔のウィーンフィルは良かった」とは言いたくない。「昔のウィーンフィル"も"良かった」と言いたい。この想い、間違ってはいないと思うのですが...。

おっと、話が横道に外れました。自分の「想い」を語り上げるコーナーではありませんでした。肝心の鑑定額を発表しなければなりませんね。
えーと、ご本人は「5,000円位でないと売れない」とおっしゃってますが、しかし、製作の手間隙と、細部にまでこだわった"丁寧な仕事ぶり"を換算しないわけにはいかないでしょう。ということで、ご本人評価額の10倍で50,000円!(あまりにあっさりした鑑定理由だな^^;)
本来ならば、もっともっと高額でもいいとは思うのですが、ぜひ、多くの人に実用品として活用していただきたい!(無理か?^^;)という願いを込めて、手の届く範囲とさせていただきましたこと、どうぞご理解いただきたく>別に、私がマジになって"定価"をつけてもしょうがないんですけどもね(^^;


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