1998年まとめ
−FMの部−
ハイティンク&内田光子/シューマン ピアノ協奏曲、ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
やっぱり当団にフレンチオーボエは似合わない
■留守録しておいた、FMのウィーンフィル特集3回目を聴く。ハイティンク&内田光子のシューマンPf協および「エロイカ」のプログラム。昨年9月、来日公演に先立って行われたウィーンでの演奏会の模様。要するに、日本公演の"予行演習"的位置付けの演奏会だったわけだけど、演奏自体は、日本公演の方が良かったんじゃないかと思う。シューマンでは、ソロとオケに、だいぶ"探り合い"の雰囲気が強かったし、「エロイカ」では、前半の2楽章で、イマイチ音楽が流れていかなかった。3楽章あたりからだいぶ調子が上がってきたけど、やや遅きに失したかなと。ひとことで言えば「ノリが悪い」。日本公演(と言っても、聴いたのは名古屋と東京だけだけど>それだけ聴けば十分だって?^^;)での演奏の方が、両曲とも、音楽がよく練れていたし、推進力もあった。ノリが良かったと思う。もちろん、ウィーンでの演奏も、その水準は非常に高いんだけどもね。
■で、今回、録音という形を通して聴いて確信したことがあって、それは、「やっぱり、当団にフレンチオーボエは合わない」ということ。この、ウィーンでの演奏も、例の"助っ人"ハインリヒス君@チューリヒオペラが吹いたわけだけど、やっぱ、あれは「違う」わ。誤解なきように言えば、ハインリヒス氏のオーボエ自体は素晴らしかったですよ。音もいいし、音楽も良かった。私、決して嫌いではありません、彼の音も音楽も。でもね、やはり、あれは「当団の音」ではない。他のメンバーと音楽の「語法」が違うから、どうしても浮いて聞こえてくるのは仕方ないにしても、「音が溶けない」というのは、決定的"致命傷"だと思う。当団の木管には、各楽器の音が溶け合って、何の楽器の音だかわからなくなるという特徴がある。特に、オーボエとクラの組み合わせでその傾向が顕著で、ユニゾンでハマった時など、実に不思議な音が聞こえてくるのだ。が、今回の演奏では、はっきりと「オーボエとクラ」に聞こえてきてしまっていた。それじゃぁ、普通のオケなのですよ。当団じゃないのですよ。だからね、やっぱり、当団にはフレンチオーボエは合わないと。当団の音ってのは、ウィンナオーボエやウィンナホルンあってのものなのだと。フルートやファゴット、トロンボーンといった楽器については、一般的に使われている楽器で"代用"できたのかもしれないけど、オーボエとホルンに関しては、やっぱり、楽器自体が"ウィンナ"でないとダメってことだと...。新年早々、より一層「確信」が強まった、というわけだけど、これって、より一層深みにハマった、ってことでもあるわけで、うーむ...(^^;(01/04)
1997年09月28日 ムジークフェライン大ホール
アーノンクール/ブラームス 交響曲第2番 他
strangeだけど楽しい演奏
■実に「淡々」とした演奏でしたな。昨日のアーノンクール&当団のシューベルト4番とブラームス2番のことです(昨年9月のルツェルン音楽祭のFM放送)。特にブラ2の「淡々」ぶりは徹底したもの。歌い込みたくなる、盛り上がりたくなる場所の多い同曲だが、オケの逸る気持ちをグッと押さえて、"粛々と"曲を進めていた。しかし、それは決して「無味乾燥」なものではない。アーノンクールならではの、"音の強弱やフレーズ処理の徹底"といったものが実に有機的に作用して、細部まで血の通った、とても生き生きとした音楽を作り出していたし、同時に、それは神々しいほどの美しさでもあった。当団の演奏も見事。近年、ムーティやレヴァインといった「コテコテ派」と同曲を演奏する機会の多かった当団諸氏としては、ずいぶんと"勝手の違う"ブラ2だったと思うが、メリハリの効いた音で、アーノンクールの指揮に応えていた。直前に行われたウィーンでの演奏は、結構ヤバい場所も多かったと聞いていたので、ちょっと心配していたのだが、いや、どうしてどうして、十分に満足できる内容で安心した(^^;。中でも、両曲でティンパニを叩いたハルトル(たぶん)にはブラヴォー! 実にいい音で、オケ全体を引き締めてくれていた。いやほんと、いい演奏でした。「strangeだけど楽しかった」(ラルス氏談)か、ナルホドね。(03/24)
1997年05月03日 ルツェルン・モースシュタールハレ
アーノンクール/シューベルト 交響曲第8番「グレート」 他
「問題意識」の具現化
■オケの練習後、FMで放送されていたアーノンクール&当団の「グレート」を聴きながら帰る。車のラジオで聴いていたわけだから、じっくりと"傾聴"できたわけではなかったんだけど、それでも、十分に面白い演奏だった。アーノンクールの「剛」と当団の「柔」がうまくマッチして、とても充実した音楽を作り出していたと思う。詳しくは、留守録しておいたものを改めて聴き返してから書くつもりだけど(あくまでも「つもり」^^;)、先般のブラ2にしても、今回の「グレート」にしても、当団とアーノンクールの組合せは、以前にも増して魅力的なものになっていると思う。解説の金子建志が、アーノンクールのことを、「問題意識を持った指揮者」と表現してたけど、同感。ラトルとかアーノンクールとかといった、「問題意識」を持った指揮者と手合わせすることで、当団諸氏には大いに刺激を受けてほしいな。「『伝統』とは灰を崇拝することではなく、灯を点し続けること」(御神体談)だからね。(04/06)
1997年05月29日 ウィーン・コンツェルトハウス大ホール
アバド/R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 他
痛快大活劇
■出張先は静岡だったのだが、静岡といえば、重鎮F氏の本拠地。そして、出張した火曜日といえば、F氏が所属する静岡フィルの練習日でもあったのだ。というわけで、夜遅くからの仕事に先立って、静フィルの練習に乱入。小1時間、「カルメン」の1番ホルン(だって、F氏が吹けって言うんだもん^^;)を吹き散らかせていただいた。1幕の後半をやったんだけど、いやぁ、気持ち良かったぁ(完全に「当団成りきりモード」で吹いてましたから^^;)。いい"ウォーミングアップ"をしてから行ったせいか、仕事も上手く行きまして、いやぁ、メデタシメデタシ(これ、会社の人には読まれたくないな...^^;)。で、仕事が終った後は、F氏のお宅を表敬訪問させていただき、月末に参加する草津アカデミーについて、ちょいと"打合せ"。その後、F氏ご自慢の"高級オーディオ"(^^で、当日放送された、アバド&当団の「ティル…」を聴かせていただいたのだが、しかし、これはなかなかすごい演奏でしたな。「一気呵成に突き進みました」みたいな。さながら、「痛快大活劇『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』」ってところか。R.シュトラウスは"ドイツ音楽"ではないのか?という疑問も浮かばないではなかったが、でも、曲がああいう内容なんだから、「痛快活劇」的音楽作りも、十分に「アリ」かなと。ラルスのホルンも、ソロに限らず全般に渡って「絶好調」で、終始1番ホルンが聞こえてくる、我々言うところの「ラインマーカー演奏(←その心は、スコアの1番ホルンの欄にラインマーカーを引いたように、オケの中から浮き立って聞こえてくる)」を展開。これまた実に「痛快」でありました(当然、音を外してるのも全部聞こえてたけどね^^;)。シューベルト5番と「トリスタンとイゾルデ」については、未聴につき、感想は後日。(08/13)
1997年11月09日 ムジークフェライン大ホール
ラトル&ブレンデル/R.シュトラウス「町人貴族」、ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
当団のためにある曲
■で、昨日の演奏だ。ラトル&ブレンデルによる「町人貴族」と「皇帝」。いやぁ、これはもう、見事な演奏でした、としか言いようがないです、やはり。ラトルに対しては、毎度同じセリフで恐縮なんだけど、でも事実なんだから仕方ないですよ。まず「町人貴族」。当団にとっても、久々に演奏する曲だったと思うが(86年にサヴァリッシュとやって以来?)、やっぱりこの曲は"当団のためにある"、との思いを新たにする、実に「お洒落」な演奏だった。この曲、元々はオペラだったわけだから、とにかく、その、"オペラ的雰囲気"がどれくらい出てくるか、がポイントになると思うのだが、そこは、第一級の"オペラオケ"である当団が、音楽の「語り口」の多彩さにかけては天下一品のラトルと組んだわけだから、悪かろうはずがない。場面転換の鮮やかな、そして、さわやかな色気(どんなだ?^^;)の漂う音楽を作り出していて、ほんとに楽しい演奏だった。中でも、頻発するソロを鮮やかに弾ききったホーネックにはブラヴォー!ほんとにチャーミング(死語?)なヴァイオリンで、私、聴きながらニンマリしっぱなしでありました。あとは、オーボエ(たぶんガブリエル)が好演。我がホルン会は、ロナルドと誰かだと思うけど、こちらは、まぁ、可もなく不可もなくといった感じ。ピアノがちょっと弱かったのが惜しかったかな。一方の「皇帝」は、以前生で聴いたラトル&バーミンガム響の「運命」に通じる、躍動的、かつ、「歌」に溢れた音楽作りで、同曲の演奏にありがちな"重厚さ"は皆無の、実に引き締まった音楽となっていた。どうしても、ソリストという存在がいる以上、すべてがラトルの「思いのまま」とは行かないのだろうが、それでも、十分にラトルの"主張"は感じられたし、ブレンデルも、そういうラトルの持ち味に触発されて、「歌」を意識した音楽作りをしていたように思う(俺はいつも歌ってるんだよ!って怒られるか??^^;)。あと、その「歌」を支え、あるいは際立たせる、「リズム」の処理の巧みさが、実に鮮やかだった。例えば、全編に渡ってよく出てくる「ターッタタ」っていう付点音符が、オケ全体でとても丁寧に演奏されていたのだが、こういう部分の"丁寧さ"は、音楽を引き締める大きな要因になる(こういうところがいい加減な演奏だと、締まりのない、ただ長いだけの「皇帝」になる)。意識的に「徹底する」ということはせず、結果的に「徹底されている」、というのが、当団の基本的姿だと思うのだが(^^;、その当団が、こういう「徹底さ」を見せたということは、ラトルという指揮者に大きな信頼を寄せ、その音楽に共感を覚えながら演奏している姿の表れ、と言えるのではないだろうか。このコンビのベートーヴェン、残るは2番と3番ということになるけど、これ、私、聴きに行くつもりなんで(今年12月)、今から大変楽しみデス。(08/13)
1998年02月15日 ムジークフェライン大ホール
ムーティ/ブラームス 交響曲第2番 他
状態のいい通常公演
■「ウィーンフィル・シリーズ」4日目。ムーティの指揮で、ヒンデミットの交響曲変ホ長調とブラ2というプログラム。演奏全般としては、良かったんではないかな。2曲とも「明るい」音楽だったこともあって、音の方向性は「暖色系」ではあったが、決して拡散してしまうものではなく、十分に引き締まった音と音楽が生み出されていた。ただ、ヒンデミットの"曲"については、正直「?」だった。変ホ長調という調性からいっても、そして実際にも、全体的にとても「輝かしい」音楽なのだが(金管による"ファンファーレ"が曲全体を支配)、「だから何?」って思えてしまうような内容(の無さ?)でもあり、「イマイチ、パッとしない曲」との印象を拭うには、最後まで至らなかった。もちろん、指揮者のアプローチや、オケの"読解力"如何によっては(ついでに言えば、聞き手の理解力如何によっても←これが一番か?)、もっと面白い曲になるのかもしれないけども...。一方のブラ2は、いかにも「ムーティらしい」音楽作り。ブラームスの交響曲中唯一の"幸福系"音楽であるわけだが、その"幸福"な部分を前面に押し出した演奏、とでも言うか。コテコテと脂ぎった音楽にされちゃうのかなぁ、と危惧していた面もあったのだが、そうではなかったし、上記したように、ただノーテンキに明るいわけでもなかったので(レヴァインなんかだと、ノーテンキになっちゃう^^;)、方向性自体は、決してズレたものではなかったと思う。なかなかの佳演。が、演奏面でも音楽解釈面でも、「状態のいい通常公演」という域は出ないものだったのではないかな。"品質保証"はされている。けれども、それ以上の"煌き"には至らない。少なくとも、放送という形を通して聴いた限りにおいては、そんな感じ(ちなみに、同プログラムによるロンドン公演を聴いた、シンフォニカの元同僚N氏からは、「涙ものの名演奏でした」とのご報告をいただいてるので、念の為)。これが、今のムーティ&当団コンビの姿であり、ある意味では"限界"なのかもね(なんか、ネガティブだなぁ...^^;)。先般放送されたアーノンクールとの演奏のような、「刺激」そして「!」が欲しいのですよ、私は。--- なお、上記N氏からは、ロンドン公演の際のホルン会メンバーもご報告いただいているので、参考までに付記させていただく(ウィーン公演も一緒のはず)。ヒンデミット:トムベック、ゼルナー、ヘグナー、ホルヴァート。ブラームス:トムベック(アシ)、ラルス、ゼルナー、ヘグナー、ホルヴァート。ちなみに、ブラームスのオーボエはガブリエルで、「絶品だった」そうです。(08/14)
1998年02月22日 ムジークフェライン大ホール
ウェルザー・メスト/シュミット 交響曲第4番 他
良くも悪くも「淡々とした」芸風
■「ウィーンフィル・シリーズ」5日目。フランツ・ウェルザー・メストの指揮で、ハイドン「ラメンタツィオーネ」(交響曲26番)、ブルッフ「コル・ニドライ」(Vc:ヘルツァー)、そして、シュミットの交響曲第4番というプログラム。しかし、こういうプログラムは、"語る"のが難しい...。なんつったって、曲を知らないからね(爆)。聴いたことあるのは、シュミットのみ。それも、昨年、メータとの古い録音が復刻された時に、初めて耳にしただけ。だから、語るための「引き出し」がない。まぁ、それでも、全体的な"印象"を述べることはできるので、それでご勘弁いただくしかないのだが...。で、その"全体的印象"。ウェルザー・メストって人は、低血圧、あるいは、低体温の人なのではないか?(なんちゅー"印象"やねん!?^^;)。先般放送の、ザルツブルク・モーツァルト週間のハイドン他も同じ感じだったのだが、とにかく、良くも悪くも「淡々とした」芸風なのだ。決して「熱く」ならない(感じ)。だから、よくまとまった、丁寧な演奏が展開されるのだが、それ以上の「高揚感」のようなものが生まれてこない。今回のプログラムは、みんな"地味"系の曲だったわけだから、そんなに劇的な高揚感みたいなものは生まれようがないのかもしれないが、それにしても淡々とし過ぎていて...。もちろん、「熱くなる」ことだけで商売してるような、"体育会系"指揮者もいるわけで、そういう輩よりは好感は持てるわけだけど...。いい指揮者なんだろうが、人間としての"何か"に欠けている。ちょっと言い過ぎかもしれないけど、そんな感じを覚えた演奏だった。ところで、ブルッフでソロを弾いたヘルツァーだが、滅多にソロをやらない人だけに(ベーム盤「動物の謝肉祭」の「白鳥」以来??)、今回の演奏は貴重な"記録"になったのではないか。もっとも、全体的に"ウネウネ"とした演奏で、いまいち"メリハリ感"に欠ける嫌いはあったけど。あと、シュミットの"肝心要"であるトランペットが、今一つショボかったのが残念。若手のエダーが、恐る恐る吹いたとみたが、果たして...?(08/15)
1998年03月22日 ムジークフェライン大ホール
メータ/マーラー 交響曲第1番「巨人」 他
いつにない「素直さ」が勝因か?
■「ウィーンフィル・シリーズ」最終日のご報告。メータの指揮で、ウェーベルン「6つの小品」、モーツァルトのオーボエ協奏曲(Ob:ガブリエル)、そして、マーラー「巨人」。結論から言うと、これは私、堪能しましたよ。ニコニコマーク。特に「巨人」、良かったんじゃないですか。この曲って、少なくともライブでは、当団にとってあんまり相性がいいとは言えなくて、これまで、結構"取りこぼし"をしてきた曲だったんだけど、今回の演奏はだいぶ安定していて、そこがまず高評価のポイント(とは言え、2楽章の最後はかなりヤバかったけどね^^;)。これは、メータが、いつになく「素直」に音楽を作ったことに勝因があったのではないですかね。1楽章の冒頭から、やや早めのテンポで淡々と曲を進めて行ったんだけど、それが却って、この曲の持つ本来の"美しさ"を表現していたんじゃないかと思う。いつもの(?)メータのように、タメをたっぷり作った、これ見よがしの音楽をやられちゃうと、どうも聴いててシラケちゃうのだが、今回の演奏では、全曲に渡って、そういう嫌味が感じられず、精悍な音楽が作り出されていた。なかなかの佳演だったのではないかな。あと、我がホルン会を褒め称えたい。特に、トムベック/フラダーの1・2番コンビ(ウィーンフィル友の会の会報に掲載された当日の写真で確認済)。実に美しい音と音楽で、彼らのソロが出てくる度に、私、ニンマリ。思った通りの音と音楽が出てくる。やっぱ、トムベックは別格です。あとの2曲では、オーボエ協奏曲が楽しかった。ソリスト自ら手を入れたのか、はたまた、新しい校訂譜によるものだったのか、かなり即興的な部分(即興的に感じる部分)も散見され、なかなか楽しい音楽になっていた。ソリストご当人の弁、「第3楽章のオーボエの多彩な表情は、よそに見られないはず」。ナルホド、確かにそうおっしゃる通りの演奏だったのではないですかね。残るウェーベルンは、まさに"当団ならでは"の演奏。とにかく、「響き」と「音楽」が優しい、そして柔らかい。"現代音楽"をやっても、すべて"オレ流"の音処理をしてしまうのが当団だが、ウェーベルンやベルクなんかだと、それがピタリとハマる。一方、これがメシアンや武満なんかだと、ちょっと違うのでは?ってことになるわけで、まぁ、融通のきくオケではないってことですな。(08/17)
1998年04月19日 ムジークフェライン大ホール
ムーティ/チャイコフスキー マンフレッド交響曲 他
「踏み絵」になる演奏
■ムーティ&当団の、今年のザルツブルク音楽祭での共演の模様が、昨夜のNHK FMで放送された。プロコフィエフの「古典交響曲」と、チャイコフスキーの「マンフレッド交響曲」。いやぁ、チャイコが圧巻でしたね。ムーティの芸風に曲調が合ってるんでしょう、これでもかっ!っていうくらいにクドい曲想を、さらに、これでもかっ!っていうくらいに鳴り響かせて、チャイコの「濃い」世界をたっぷりと作り出していた。曲をそんなによく知ってるわけじゃないんで(マゼール&当団のCDしか持ってないし^^;)、他のアプローチ法が成り立つのかどうかってことなんかはわからないんだけど、でも、これはこれで、十分に楽しめましたよ。この「マンフレッド…」、日本公演に先立つニューヨーク公演では演奏曲に入ってるんだよねぇ(シューベルト3番との組合せ)。シュトラウス一家もいいけど、どっちかっつーと、こういうキワモノ系を聴かせてほしかったなぁ。一方の「古典交響曲」は、これはもう、"当団ならでは"のドン臭いノリの演奏。こういう"リズム系"の曲をやる時って、当団は大体において"縦ノリ"になっちゃうからね。例えば、デュトワ&モントリオールあたりがやる時のような、横の線で曲を作って行くってことができない。ムーティって人も、決してリズム感のある人じゃないから、演奏が重ったるくなるばかり。2・3楽章あたりはいいけど、1・4楽章は「目一杯」って感じだった。で、私、思ったのですよ、これは「踏み絵」になる演奏ではないかと。これを聴いて、「なんだ、ウィーンフィルってヘタじゃん」と思う人は、当団の演奏に近づかない方がいい。当団好きになる「適性」がない。一方、「こういうのやるとヘタだなぁ。でも楽しいなぁ」と思える人は、当団への適性がバッチリ(死語^^;)だと。アナタ、いかがでした?(12/15)
1998年08月19日 ザルツブルク祝祭大劇場
ヤンソンス/R.シュトラウス 「ツァラトゥストラはこう語った」 他
詰めがイマイチ
■ザルツブルク音楽祭のFM放送2日目。昨日は、ヤンソンス指揮で、R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」、ベリオの「フォーク・ソングス」(MS:リポヴシェク)、ラヴェル「ダフニスとクロエ第2組曲」の3曲が放送された。一番良かったのはベリオ。"もちろん"初めて聴いた曲だったんだけど、各国の民謡をベースにした洒落た雰囲気の曲で、とても楽しく聴くことができた。リポヴシェクの歌は、かなり"真面目"な感じもあったが、さすがに歌は上手い。オッターあたりが歌うと、もっと"自由自在"って感じになるんだろうけど(ね?>M氏@シンフォニカ)、これはこれで良かったんじゃないかなと。次に楽しめたのは「ダフクロ」。終曲は、前日の「古典交響曲」同様の"縦ノリ"演奏で、こればっかりはやっぱりサマにならないのだけど、でも、あとの部分はとても良くコントロールされ、いい音が鳴っていた。20年前だったら、「ダフクロ」をやるなんてのは"非日常"の最たるもんだったんだろうが、今となっては、当団にとっても重要なレパートリーの一つ。こういう曲を演奏すること自体は、「別にどうってことない」日常の世界になってるようだ>サマになるならないは別として(^^;。で、困ったのが「ツァラ…」。もちろん悪い演奏ではない。ヤンソンスの指揮も、いつもながらに「全体設計」が良く出来ており、音楽の見通しの良い、聴きごたえのある演奏に仕上げてはいた。が、その"詰め"がイマイチだったんじゃないかな、と。全体でドーンと鳴らして一丁あがり!みたいな演奏ではなく、スコアの細部にまで光をあてた、緻密系の音楽作りをしていたから尚のこと、その"光のあて方"や、楽器・パートによる音の浮沈といったものが、今一つ徹底されきってなかったような...。ラルスの話では、ゲルギエフとのロシア物(チャイ5他)の演奏会は、2回のリハーサルで本番に臨んだそうだから、今回についても、そのくらいのリハーサル回数で臨んだ可能性は高い。もう少し時間をかけて練り上げれば、もっともっと雄弁な演奏になったんじゃないかと思えるので、それが残念。ところで、この曲で大活躍するトランペット。1番は、若手のエダーが吹いていたのでは? 中間部に出てくるハイC(だったよね?)を始め、なんとか無難にこなしてはいたが、それ以上の"醍醐味"を味わせてもらうところまでは行かなかった。エダー君、決して筋は悪くないと思うので、より一層精進してもらいたいもの。なーに、あのシュー氏だって、昔はショボかったんだから大丈夫だって(^^;(12/16)
1998年08月30日 ザルツブルク祝祭大劇場