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ラルス・ミヒャエル・シュトランスキー(Lars Michael Stransky)氏と当日の出席者によるツーショット

上:私 左下:秋元 右下:小川(10/15 浜松「海鮮市場マルシェ」にて)


友人の"小川氏%ドイツ語堪能@ホルン吹き"が15日の浜松公演のチケットを手に入れた、ということを彼から聞いた時に、この会見のセッティングを思いついた。シュト氏とは"ギュンターフィル"の打ち上げの際にいろいろ話せて楽しかったし、せっかくそうやって"お近づき"になれたんだから、もう少しいろいろ聞いてみたいこともあった。
終演後、小川氏およびウィンナホルン仲間の秋元氏と一緒に彼を待ち、まず私が英語%デタラメで「時間はあるか?」と尋ねてみると「明日は朝早いので...」という返事。ダメか...。ところが、小川氏がドイツ語で「ホテルの地下で一杯やらんかね?」と言ってくれたら「Ja!」と、正に即答。居酒屋の閉店時間である11時までの約1時間半。ビールと焼き鳥をつまみながらの"会見"となった。
で、どんなことを話したかというと、真面目な("マメな"でも可)小川氏が「書記」として以下のような総括レポートを作成してくれたので、そのまま転載させていただく。

小川レポート:ここから-------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------ここまで

彼は今年30歳。5年前からということは、25歳からウィンナホルンを始めたわけだ。ドイツ、デュイスブルクのオペラで若くして首席ホルンを務めていた彼が、仕事をしながらウィンナホルンの勉強を始めたという事実。そして、その楽器で"食っていくこと"になったという事実。これは、ほんとに凄いことだと思う。
上記のレポートにもあるように、マウスピースひとつとっても、ウィンナホルンは"システム"が違うのである。元々リムの薄い物を使っていたとのことだが、変えてしまうことには相当の勇気が必要であっただろうことは、想像に難くない。
しかし、彼はウィンナホルンが好きだったのだ。それが吹きたかったのだ。この気持ち。これが"勇気"となってウィンナホルンの道へと進ませたのだと思う。
で、この心意気、大変僭越ながら言わせていただければ、私(たち)と一緒なのである。いやほんとに。それが嬉しい。とても嬉しい。
ひょんなことから、今回彼とお近づきにならせていただいたわけだが、彼もまた、私にとって愛すべき、そして尊敬すべき"フィルハーモニカー"であることを確認でき、大変満足している。私にとっての至福の時間。そんな会見であった。
最後に、通訳およびカメラマンおよび書記をしてくれた小川氏に、改めて感謝の言葉を贈りたい。どうもありがとうございました。(10/19)


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