アクセスカウンタ2万件到達記念企画


アクセスカウンタ2万件到達を記念して募集いたしました、皆様の「ウィーンフィル体験」。多くの方々から投稿をお寄せいただきました。謹んで、ここにその「体験談」を発表させていただきます。
掲載は、お寄せいただいた順となっております。また、僭越ながら、皆さんへ、私からの簡単なコメントも付けさせていただきました。
ほんと、皆さんありがとうございました。感謝また感謝です。

私の感動体験

やっぱりここが一番多かったですな。でも、中には"変化球"もあったりして...。

水谷康男さん

忘れもしない95年1月16日午前11時開演の定期公演:ブルックナー交響曲第8番指揮ハイティンク。
初めての聖地でのVPO体験が、超充実の音楽空間に、もう死んだっていいと思ったほどの気持でした。かって、東京まで車で聞きにいった、ベームを超えた感動でした。まさに、本場で本物に出会えた貴重な、一生の思い出となる、体験でした。

ps:聖地で、Volkerさんにお会いして、仲間の皆さんと楽しい音楽のお話が出来たことが、Volkerの部屋の貴重な体験でした。

フォルカーです:初期の頃からの読者である水谷さん。いつもありがとうございます。また、ウィーンではお世話になりました。水谷さんの音楽への情熱には、いつも頭が下がる思いです。今後ともよろしくお願いします。



鈴木真樹さん

考えてみたのだが、私にはウイーンフィルで感動した事が無いようなのだ。何かとっても気持ち良いのだが、いつも気持ちイイっとすり替えられているようなのだ。ウイーンフィルはいつも私に「そうムキになりなさんな」と言ってくれている。(若干1名ムキになりっぱなしの人が中央付近にいて、何かいつも気になってるんだが。)
最初にその事に気づいたのはアバードと来て未完成とブラ#2の間にウェーベルンのOP10をやった時だった。(昔の話ですいません。)有名な話だが、この超短い曲をアバードは「もう1回やるぜい」のコメントの後でもう1回やったのである。その時、私は見たのだ。ウイーンフィルの皆さん方が、「こんなもの、何度やったって同じだろうが?」というような、それどころか「おまえなんかいなくたって同じだろうが」というような表情で平然とフワフワしたお気楽なウェーベルンをやっていたのを。アバードの指揮がまた例のフワフワしたもんだから、何か軽薄な艶っぽいウェーベルンだった。
スコア買って予習してったんだが、ノリだけでやってる?ウエーベルンを前に、そんな事はどうでも良くなった。いいんじゃないの、タテなんか全然合わせようとしてなくても。しかし、アバードもアバードだ。リピートのないウェーベルンを全曲リピートした?のに、未完成とブラ#2のリピートは全然やらなかったのである。そんな事してるから、アンコールの「ドナウ」ではどこでリピートするんだか判らなくなって、シュルツ大先生を始め皆さん疑心案儀のグチャグチャになっちゃったのである。でもそれが何か楽しげで、これだけ「どうでもいい」演奏を繰り広げられて、私はこの時初めて「音楽ってのは感動だけじゃダメなんだ」と気づいたのだ。その後もウイーンフイルのナマで感動したって事は無いと思うんだけレど、世の中「感動」というベクトルから完全に外れていながらこれだけ音楽を楽しませてくれるってオケも無いんじゃないか?
最近、「最近の、、、は」調で難癖つけるのが流行っているが、なあんだ「感動」でしか音楽を計れないヤツがまだいたのか、と了見の狭さにあきれるね。私は。これだけウイーンフィル聴いといて。
そんなダサい「計測」はベルリンとかシカゴとかでやってりゃいいんだよ。ベルリンはブルックナーの前座でバレンボイムがブーレーズのノタシオンを4番だけもう1回やらせた時には何か全員組合員で団交が始まったようなトガった雰囲気があったね。「何でオレたちもう1回やんなくちゃいけないんだ!こんなにやったのに」がありありだ。ヤダねー、双方とも「感動」でムキになっちゃってて。
おかげでブルックナーはボロボロ。ウイーンフィルだったら「へいノタシオン4番さんもう一丁、今度は指揮者見ないで」なんてノリでチャンチャカ楽しんだろうに。ヤダねー、ベルリン。ハイティンク、真面目そうでなんか自分は音楽に感動した事ないのに「ニッポンの聴衆」を感動させようって緊張してそう? そりゃ違う違う。コテコテにウイーンフィルして「感動」の事なんか忘れなさいって。だいたい私が買ったチケットには君に払う分なんか入っていないよ。

フォルカーです:合奏集団不協和音にお世話になったのが、かれこれ10年近く前。このオケとの出会い、いや、その指揮者である鈴木さんとの出会いが、私の音楽観を大きく変えました。ほんと、いろんな形で、音楽との付き合い方の道を開いてくださった鈴木さんに、感謝しきりです。ネタの提供もよろしくお願いしますね。



鈴木昭弘さん

アクセス2万件おめでとうございます。後半の数字の増え方はすごかったですね。きっと私のように毎日訪ねている「フォルカーファン」(もちろんアルトマン氏じゃなくて、佐々木さんのね)の多さを物語っているのでしょうね。2万件企画を楽しみにしていたものとしては、ぜひとも参加させていただきたく。
ウィーンフィル体験としてはふさわしくないのかもしれませんが、私の場合は何といってもあの音を真似ることです。打ち震えるような経験の後で、しばしボーッとし、どうして?こんなことあっていいの?との思いを自分の楽器に込めずにはいられません。フォルカーさんのアルトマン氏への心酔の過程を読み、深くうなずいたのは私だけではないでしょう。
私の場合Vnですが、楽器をやるものにとっては、やっぱりあの音は憧れでしょう?何度もビデオやLDを見ました。弦楽器の場合、幸いにも、技術的なことは見て分かる部分が多いので、特にVnの後ろからのアングル(指揮者を撮ってるんですけどね(^^;)はとても参考になります。
イメージを頭に焼き付けること。あの光景は他のオケでは絶対に見られないものです。ヴィブラートのかけ方やニュアンス、弓を持つ右手から腕、肩にかけての感じは、この後ろからのアングルにすべてが込められています。ウィーンフィルの弦のあの潤いのある透明な、憧れを持った響きは、均質なテクニックでみんな弾いているから。コンマスと同じように弾いているのが、このアングルからとてもよく分かります。ヘッツェル氏は本当に素晴らしかった。説得力が並みではありませんでしたね。返す返すも残念です。特にブラームスのソナタのCDは私の慰めになっています。
もう一つ、オペラでの体験は、はずせません。R.シュトラウスのオペラなど、“聖地”(^^;でも、来日の際にも経験しましたが、歌を引き立たせる彼らの音楽性の高さにはまったく脱帽。聞いて弾いている!
先日のメトなど、オケが歌をぶち壊している瞬間が何度もありました(特にクラ以外の木管!)。ウィーンフィルが弾くと、オケが前面に出ることは決してない代わりに素晴らしい歌がますます輝きを帯びる。彼ら自身の歌に対する感動が、そうさせるのだろうと思います。演奏家の鏡です。オケが歌を引き立たせもし、ぶち壊すこともできるというのは、オペラオケの醍醐味でしょうね。クライバーの「ばらの騎士」はほんとにオケが素晴らしかった。
あまり長くなっても、読んでもらいないでしょうから、この辺で…。
これからも毎日訪問させていただきます。楽しいページづくりがんばってください。楽しみにしています。

フォルカーです:いやぁ、こういう方の存在、私、本当に嬉しいです。ぜひ、当団"なりきり"メンバーによる当団もどきオケ、なんてのを結成したいものですな。その際には、鈴木さん、コンマスよろしくお願いしますよ!(しかし、全パート揃うんだろうか??)


野田 孝之さん

1994年の年末に、ウィーン・フィル友の会のツアーに参加し、31日のジルベスターと元旦のニューイヤー(指揮はメータ)、6日のムジークフェライン125周年記念演奏会(指揮はムーティ)で初めてあのホールでウィーン・フィルを聴きました。特に、ツアー最終日に設けられた、ウィーン・フィルのメンバーとの交歓会になんと「ウィーン・フィルの生き字引」と言われたオットー・シュトラッサー氏(当時90歳)が、出席されたのです。以前より、氏の著書に親しんでいた私はそれだけで大感激。しかも親しくお話を(もちろん通訳を通じて)させていただきました。私の「あなたの最も印象に残っている指揮者は」と言う質問に、一言「フルトヴェングラー」。最後に握手をしていただいた、大きな手とともにいまだに忘れられません。あらためて、氏のご冥福をお祈りいたしたいと思います。

フォルカーです:オットー・シュトラッサー氏にお会いになったとは、それこそ"感動モノ"ですねぇ。氏の名著、「栄光のウィーンフィル」は、ファン必読。私も、一度は氏にお会いしてみたかった...。


三軒茶屋道楽娘さん

ある年の9月、ヨーロッパ旅行を計画していた私の目に、アバドが指揮するウィーンフィル定演の予定が飛び込んできた。曲は、ブルックナーの4番。
うーん。ブルックナーの4番って、長くて重くてよくわかんない曲だったなぁ…そんなイメージしかなくて、せっかく楽友協会でウィーンフィルが聴けるというのに、何となく気が進まなかった。
しかし、旅行途中に寄ったブルックナー縁のリンツで、ブルックナー像のそばからドナウ川の雄大な景色をボーッと眺めたり、ブルックナーの弾いたザンクト・フローリアンの美しいオルガンを見た時、「そうかー、あの長くて重い響きは、この景色から生まれたんだなぁ」と、妙に納得。
数日後、念願の楽友協会で聴いた『ロマンティック』の冒頭は、ホルンの音が、遠くドナウの川上のから風に乗って聴こえて来るようで、もう、感動しまくり。楽友協会ホールで聴くウィーンフィルの音って、何て素晴らしいんだ!! …困った、涙が止まらないぞ。慌ててハンドバッグからハンカチを出したりして。
作曲家のお膝元に行ってみて、初めてわかることって、やっぱりあるんですねー。お蔭で少しだけ、ブルックナー・アレルギーが治ったかも(でも、まだ他の曲は苦手)。

フォルカーです:クライバーファンの三軒茶屋道楽娘さん。カルロス君はブルックナーを振らないけど、たまには当団のブルックナーを聴いて、リンツのあの景色に思いを馳せてくださいな。


いかこさん

「ヘーグナーの頭に雪は降りつつ・・・」
VPOそのものの話ではないのですけれど。かれこれ10年近く前の冬のある日、私は友達と「ウィーン八重奏団」(名称うろ覚え...VPOメンバーの室内楽です)を聴きに行きました。
会場は練馬文化センターだったので、池袋から西武線に乗り、ふと隣のドアのところを見るとコートを着込み楽器を抱えた外人さん数人がごそっと立っている。よく見れば何やら見覚えのあるような顔、そう、それはその日のコンサートの出演者の方々でした。私達が会場へ向かったのはさほど早い時間ではなかったのに(少なくとも開場時間は過ぎていた)、電車で一緒になろうとは。練馬の駅から会場まで雪も降ってきた中、傘もささずに歩く彼らの後ろを、私達は声をかけるすべもなくこそこそとついて行きました。その時一番後ろを歩いていたのがHrのヘーグナー氏。大きな背中は寒さのためか少しこごみ、つるりとした頭に雪が積もっていました。(よっぽど傘をさしかけようかと思ったのですが、それも能わず。)
少し遅れて始まったその日の演奏内容については殆ど記憶にないのですが、あの時のヘーグナー氏の後ろ姿、未だに忘れられません。

フォルカーです:「思えば遠くへ来たもんだ」って感じですなぁ、いかこさん。大岡山の居酒屋で、当団諸氏とともに飲んだのも、懐かしい思い出ですね、いやほんと。


とっつあんさん

ワタシのウィーンフィル体験は、NHKホールオープニングのシリーズの中でのカール・ベームとの一連の公演につきてしまいます。(その後は、チケットが発売されているのに気がついた時点では時、すでに遅し状態。やっぱ、往復ハガキでの抽選方式がいいな。)
ライブは、大学入試時期の都合で、モーツアルトとシュトラウスの日になってしまいましたが・・・・。
いやー、モーツアルト等もさることながらワグナーのマイスター・・・のラッパにはスゲエと思ってしまいました。なんせ、あんな、柔らかくて、輝きがあって、響き渡るようなトッランペットを聞いたのは生まれてはじめてだったし、我が高校のブラスバンド部の音と比べちゃうと、ちょと感動ものでした。
それから、FMで生放送していましたね。ブラームスの1番のエアチェックテープは今でもタカラモノです。他のプロもエアチェックしておいてあったんだけど、時の経過のなかでテープが痛んでしまい当時のものはブラームスしか手元にありません。(ダメになったのは、当時のBASF製のテープばかり。それ以降、海外品は使用してないけど)

3万人記念のときは、署名をあつめて、当時のVTRを再放送してもらうっていうのもいいかも。毎日楽しみに見ていますよ。マイペースでこれからも続けてくださいね。

フォルカーです:今や"伝説"の'75年の来日公演。私は、マイスタージンガーの"ホルン会大爆発!"に度肝を抜かれました。BASFのテープってのも懐かしいですなぁ。私は、TDKのDあたりに録音していたはずです(今聴くと、すごくハイ上がりですが^^;)。あの頃は、エアチェックに命を賭けたもんです。あのひたむきさは、今何処?


Gulini1975さん

1991年12月にシュターツオーパーに「カルメン」「薔薇の騎士」を聴いてきました.後者(コンマス,ヘッツェル)がやはりウィーンの弦だなと感心したのをおぼえています.
あとヘッツエルが小林道夫とリサイタルをやったのを聴きましたがその時は不調で,亡くなったとき「サインもらっておけば」とくやしがったこともあります.ウィーン室内合奏団はヘルのお披露目時に行ったことがあります.最後にウィーン=リング.アンサンブルでキュッヒルにオペラのパンフにサインをもらったとき「薔薇」のコンマスは「ヘッツェルさん」だよときいたのも懐かしい想いでです.蛇足ですが,最近ウェラーSQに凝っています.長々と失礼しました.

フォルカーです:ヘッツェル氏の死は、ほんとに大きな痛手でした。でも、その前任者であるウェラーの指揮者への転身も、当団にとってはまた、大きな痛手だったかもしれませんね。ウィーン正統派の甘く優雅な音色。私も好きです、ウェラーのヴァイオリン。


小原康裕さん

私が初めてウィーンフィルを実体験したのは、1989年11月14日、オープン直後のBunkamuraオーチャードホールででした。確かこの時はウィーン国立歌劇場として来日しており、この演奏会は臨時演奏会でした。指揮はアバドで、曲目はブルックナーのロマンティック。ついでながら、アバドもこの時が実物を見るのが初めてでした。開演前、子供の頃からずーっと聴いて憧れていた楽団を聴けるのがとてもうれしく、緊張もしました。すると、コンマスのヘッツェル氏が登場!。いやいや、あの時は本当にそれだけで感動したものです。楽団全員のメンバーがそろってみたら、確かにLDやビデオなどでよく見た顔があるある!。「ん、確かにあの天下のウィーンフィルハーモニー管弦楽団だ!」と確認しました。

話は少しそれて93年年初、正月三が日直後に初めての海外旅行で憧れのウィーンに行きました。音楽の友社のツァーだったのですが、現地に着いて音楽スケジュールを調べてみると、な、なんとウィーンフィル定期演奏会が楽友協会であるではありませんか!!。この時に立ち見席ではありますが、聖地でのウィーンフィルを初めて体験したのでした。黄金のホールでのウィーンフィルは、本当に黄金に負けないほど輝いて見えました........私はこのホールに酔っていたのか、ウィーンフィルにオーラが見えたような気もしました。これに味を占めた私は、翌94年6月に、聖地・日曜日・座席の3点セットでの演奏会のためにもう一度ウィーンに飛び、そこで腰を据えてじっくりと聴いてきたのでした。指揮は小澤で曲目はアルプス交響曲。座席がチョイト悪く、音響に多少不満があったものの(ムジークフェラインザールで音響に不満を漏らす者も珍しい?)、演奏は素晴らしいもので十分満足できるものでした。

フォルカーです:"ひろっぴぃ〜"こと小原さんの博識ぶりは、山下侑子さん@アバド大好きのcon graziaを見ていただければわかるところ。ベルリンフィルだけでなく、当団のことも暖かく見守ってやってくださいね、小原さん。


さかせがわさん

あれは、1996.10.5の土曜日。場所は、大阪フェスティバルホール。念願が叶い、松山からバスに乗り、憧れのウィーンフィルのコンサートに行き衝撃を受けました。
今迄に、幾つかの国内外のオーケストラの演奏を聴きましたが、これは、全然レベルが違う。ここまで違うなんて思いもしなかったので驚きました。ホールの響きとかの問題もあるかもしれませんが、(私は、素人なので微妙な音響までは、分からない)音に深みがあったように思います。
おまけに演奏会終了後、ノーブルな雰因気を漂わせるズービン・メータにサインをしてもらって、もう、言う事無しのコンサートでした。勿論、今年も行きます。フォルカーさんが、コンサート情報を調べて掲載してくれるだろうと思って、ずっとチェックしていました。お陰で、無事チケットも取れ後は、10月11日を待つだけです。どうか、何事も無く、その日を迎えられますように。パンパン。(柏手を打つ音)。

フォルカーです:さかせがわさんにとって、2回目の当団体験。どうか、昨年以上に楽しめる内容になることを、切に祈ります。音楽の神様、よろしく頼みますよ、アーメン!


近藤洋史さん

二万件達成、心よりお喜び申し上げます。 先日、記帳欄に自慢やらお詫びやらを書きましたところ、早速ご返事頂き大変恐縮しております。直ぐにでもまたご返事書かなければなりませんでしたが、生来の無精者に加えて、左肘の靭帯を切って仕舞い、哀れギブス生活を送っておりまして、なかなかキーボードに向かえませんでした。現在おかげさまで、ギブスも取れ(まだ、伸びず曲がらずの肘状態ですが)何とか日常状態に戻れました。
そうです、まず自己紹介しなければ。
kondoこと私、近藤洋史と申します。1957年に上州高崎市で生まれ、大学4年間の東京生活以外はここ高崎で過ごすという、ちゃきちゃきの高崎っ子です。ウィーンフィル歴は28年位でしょうか。ちなみにフォルカーの部屋歴は、昨年の11月以来です。(結構長いほうでしょう)。そもそも、私のウィーンフィル初めは、かつて河出書房から出ていた、世界の音楽全集(いわゆる中流家庭の本棚に、世界大百科事典とならんで必ずあった例のあれです。)メンデルスゾーンの巻からなのです。「真夏の夜の夢」から、モントゥー指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団というレコード(!)。チョコマカチョコマカした弦楽器の後から、ボーっと、本当に、ボーっと鳴っているホルンの音が(クラリネットも居ますかな)至極印象的でした。しかし実際にウィーンフィルを意識して体験できたのは、1970年暮に発売されたベーム・ウィーンフィルのベートーヴェン、第九のレコードでした。なにせ二枚組でしたから。レコードジャッケットの中の金子某?氏と門馬直美氏の対談「ベームとウィーンフィルを語る」で決定的になりました。うろ覚えで申し訳ありませんが、こんな一節がありました。「ウィーンフィルはたてが合わない。:そう、コントラバスなんか先に行って待っている。」正直「んな馬鹿な」と思いましたが、一方「本当だったらいったいどんな感じだべ」と妙にわくわくしたのを覚えています。しかし一向に体験できなく、先に行って待っているのを、待っている状態が続きました。そうなんです、わかる訳ないんですよ、ウィーンフィルばかり聴いてたんですから。いつも先に行ってたり、後から付いて来たりしてる演奏を聴いていて、それがあたりまえになっていたと云う、ホントに落語の様な話です。ベーム・ベルリンフィルのベートーヴェン七番、「パァーン」と入りました。たまげました、誰も待ってたりしてません。それはそれで非常に気持ちが良いもので、緊張感みなぎるのを感じました。が、なのですよ。違うのです。その時から、「ウィーンフィルとその他のオーケストラ」という図式が出来上がってしまった様に感じます。そしてとどめを差したのが、例のどうしてベルリンフィルとウィーンフィルがフルトヴェングラーの棒で云々という笑い話(本当の話?)。好きですよ、「待って、待ってもうアホらしくなったら奏き始める」この答え。たてが合わないウィーンフィルの、いいえ、たてなんか合わなくて一向に構わないウィーンフィルの本質をこの一言が見事に言い表している、と言えませんか。
と、ここまでがウィーンフィル体験初めですが、私のとっておきのウィーンフィル体験をお話しします。
1978年2月から3月にかけて、ヨーロッパ貧乏旅行をいたしました。北回り便(当時まだアラスカ経由!)でやく20時間かけて(途中凍結による空港閉鎖とかトラブルが有ったため)ようやくロンドンについたその晩、まさにその晩、なんとバーンスタイン・ウィーンフィルのロンドン公演があるではありませんか。取るものをもとりあえず、フェスティバルホールへ向かい、競り形式のキャンセル券を手にいれ、チョと腹に物を突っ込み、席に着くと目の前には譜面台がズラリ。もうこれ以上の幸せな状況は無い、まさに至福、まさに夢心地。『夢』から覚めたのは、エロイカのコーダが始まった時でした。
いつでもどこでも眠れるのが特技の私としましては、居眠り事件はまだ続くのですが、最大で最高!の「ロンドン夢のウィーンフィル体験」です。

フォルカーです:近藤さんがご紹介していらっしゃる"エピソード"を補足しますと...。ベルリンフィル団員とウィーンフィル団員の、フルトヴェングラーの指揮に関する会話。VPO「彼が振る時、君たちはいったいいつ弾きはじめるんだい?」BPO「われわれは正確に数えるんだよ。つまり、彼の棒が指揮台の端で正に直角になるまで待って、それからジャーンとね。で、君たちは?」VPO「うん、俺たちは、もうこれ以上我慢できなくなったときにはじめるんだ」ジャンジャン!(「ウィーンフィルえぴそーど」より)


長谷川保宏さん

私が初めて聞いたウィーンフィルの演奏は、なんと昭和50年東京公演の名演でした。
幸か不幸か、その後の別オケの演奏を聞いてもなかなか感動できません。(未完成、グレート、火の鳥など)でも、最近のウィーンフィルはOboeがドイツっぽくなってしまって、残念です。トレチェックのOboeでもう一度聞いてみたいのですが、そもそも福岡に来ることもなくなりました。非常に残念!誰かウィーンフィルを福岡へ呼んで下さい。

フォルカーです:ここにも一人、'75年来日公演によって当団にのめり込むことになった方が...。'99年にあるであろう、次回の来日公演の際には、福岡公演が行われることを祈っております。

私のマル秘体験

フィルハーモニカー存続の危機!になるような特ダネを期待したのですが...。

シンクタンカーさん

アクセスカウンタ2万件到達おめでとうございます。私の場合、よく考えてみるとヴィーンフィルの実演って聴いたかどうか、記憶がサダカで無いものですから、体験と言っても大したことは書けません(^_^;)。ヴィーン好きということでは人後に落ちませんし、聖地へも数回でかけ、国立歌劇場の立ち見席では手すり(のベルベットを巻いてある部分)にハンカチを縛り付けて、係りの人に怒られたりもしてはいるのですが(^_^;)(^_^;)。今後は精進しますので何卒ご寛恕の程をお願い申し上げます。

フォルカーです:パソ通時代にお世話になったシンクタンカーさん。ぜひとも"ウィーンフィル"としての演奏も聴いてやってくださいまし。

私の激怒体験

当団への怒りをお持ちの方も多いはずと思いましたが、そういう人は当ページなんか見てないのね、たぶん...。

高野るみさん

ウィーンフィルに関する泣き笑いはたくさんあって、感動したことは書きだすときりがないです。で、あえて選んだわたしの不満。どうして2万9千円なの?

ウィーンフィルの1ステージの出演料っておいくらなんでしょうか?「高い」ってのは聞いています。でもそれっていくらなの?
たぶん1500人から2000人のホールで完売しているウィーンフィルWEEK in JAPAN。S席2万9千円からD席1万円まで一応幅はあるけれど、平均するとたぶん2万4千円ぐらい?1800席なら4320万円ですよね。仮に4千万として、1公演あたりの経費は500万かな(旅費宿泊費宣伝費を公演数で割った場合)それをさっぴいても3千5百万円のチケット収入があるんですが、そんなにとるのかな?ホールと指揮者、共演者に500万払ったって3千万ですけど。それより高いわけですか?
ベルリンフィルで1晩2千万という噂はきいたことあったんです。何年か前の話だから今なら3千万なんかあたりまえなのかも。でも8公演ですよ。半額になんないものかしらと思ったりして。それに協賛のN村證券さんはどのくらい出資されているのでしょう?わたしたちのチケット料金で足りない分をさらに補って下さっているのなら、出資額を公開してくれたら「うわ〜そんなに肩代りしてくれていたんですか。ありがたいこっちゃ」と感謝しますのに。
不思議なのは、確実に売れるチケットなんだから本来なら全席プレイガイドに出されておかしくないのに、それが実売は500枚とか、1000枚しかなかったようなウワサが流れることですよね。もしかして招待券の分を一般の料金に上乗せしてるんじゃないかとか、疑り深いわたくしは考えてしまうのです。だって、ご招待するなら額面の高いチケットの方が有難がられますもんね。さらに、もしかしたら協賛金というのはチケットの買い取り金のことじゃないのか?なんてことまで疑りだして、ってことはコンサートの私物化じゃないか?とかね。
いえ、これは私が勝手に考えてしまったことですから、ほんとうはウィーンフィルWEEK in JAPANのチケット収入を差っ引いた経費総額がさらに5億円くらいあって、それをどなたかが立て替えてくださってるのかもしれません。ウィーンフィルもこれだけの人気オケですからパヴァロッティのギャラより安いわけないじゃん、ってことなのかもしれません。たとえ2万9千円でもチケットを売ってくださるだけ有難いことなのかもしれません。事情通の方がいらっしゃいましたら、その辺のこと教えてやってくださいませ。

あら、ちっとも2万件達成のお祝いモードじゃありませんね。ごめんなさいね、フォルカーさん。
わたしがリッチだったら、お誕生日にウィーンフィルのチケットをプレゼントできましたのに、、、。いつかパイシュタイナーさんの小樽での演奏会が実現したら、ご招待いたしますので。(え?エア・チケットが自分持ちならタダでもいらないって?そんな〜、出張がてら来てください。ラーメンおごりますから)

フォルカーです:ほんと、高いよねぇ、チケット代。でも、彼らが東京で泊っているホテルの"格式"なんかを考えると、相当な経費であろうとも推測され...。ま、私としては、値段はともかく、チケットが正常に流通されることを切に願って止まないですよ。会場に行ってみたら、やんごとなき系の方々や、永田町系のお歴々ばっか、なんてのこそ許せない!
あ、高野さん、ラーメンおごっていただける機会が、一日も早く実現することを祈っておりますよ。

私の爆笑体験

たぶん少ないだろうな、というところにしっかりと投稿してくださったのは、やっぱり"あの方"でした(^^

Yoichi Iioさん

な、何なんだ、このてらてらとした肌の輝きは。
ウィーンを牛耳っていた(当時)マゼールが来日した時、心底驚いたのはウィーン・フィルの音でもなければ指揮者の強引な統率力でもなく、ライトを浴びるマゼールの、限りない欲望を宿した鈍く黒光りをした肌だった。「ああ、野牛みたいだな」(見たことないけど)。

2万件到達おめでとうございます。てらてらさせれば3万件もあっという間かと。

フォルカーです:飯尾さん@CLASSICAあっての当フォルカーの部屋。"先輩"の盛況ぶりにあやかれるよう、私もてらてらしながら頑張ります!

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