Volker's

1997年11月15日 一部改訂

◆ 2005年7月付注釈 ◆

今になってみると、このページの記述内容には、誤りや事実関係の相違が生じています。
しかし、当サイト開設当時の「思い」が現れている文章でもありますので、敢えてこのまま掲載を続けます。
その点、何卒ご了承のほどを。


volker's

左が"本物"のフォルカー・アルトマン(Volker Altmann)氏、右が"フォルカー"こと(←わかるって)
1996年10月3日ホテルオークラ前にて


フォルカー・アルトマン(Volker Altmann)

1943年5月5日、ドイツイエナ生まれ。音楽理論とオーボエを教える大学教師を父に持つ。'64年ウィーン国立歌劇場オケ入団。'66年からウィーンフィルメンバーとなり、'93年夏まで2番ホルン奏者。現在は4番ホルン奏者としてホルンパートの低音をしっかりと支えている。ウィーン国立音楽大学およびウィーン市立音楽院の教授でもある。

使用楽器:ウィンナホルン→ヤマハ(以前ヴラダーが使用していたもの) フレンチホルン→オットー:ガイヤーモデル(室内楽にて使用)


佐々木直哉(Naoya Sasaki):フォルカー

1961年8月7日、福島県生まれ。高校の国語教師を父に持つ。'74年、中学入学からオーケストラでホルンを始め、現在はアマチュアオーケストラ「ザ・シンフォニカ」および「合奏集団不協和音」の下吹き奏者として、ホルンパートの低音を吹き散らかしている。ネットワーク機器メーカーの社員でもある。パソコン通信およびインターネット上では「フォルカー」を名乗っている。

使用楽器:ウィンナホルン→ヤマハ(以前シュトランスキーが使用していたもの) フレンチホルン→アレキサンダー:103G


このように、驚くほど似た経歴を持つ(←どこが?)私たちが「2人のフォルカー」である。

彼は私の「神」である。そして、彼の演奏は私の「バイブル」である(「コーラン」「お経」でも可)。私がホルンを吹くことの目的は、彼の演奏を忠実に再現することであり、 それは、私の究極の目標が「アルトマンになる」ことであることを意味する(←無理は承知で)。
私が、いかにして「アルトマン教徒」となったかをお聞きいただきたい。ウィーンフィルWho's Who特別編。題して「2人のフォルカーの物語」



プロローグ
1975年。中学2年生の夏休み。その日私は、NHK教育テレビで放送されるカール・ベーム指揮ウィーンフィルのモーツァルト交響曲第40番(ユニテルのフィルム版)を見ようとしていた。前年からホルンは吹き始めていたのだが、当時の私の興味の対象は、音楽よりも「鉄道」であり、私の進路希望は「国鉄(JRに非ず)の車掌さん」であった。だから、その日テレビを見ようと思ったのも、一応楽器をやってるから、という義務的な気持ちからだったに過ぎない。
夜。放送が始まり、ベームが指揮棒を振り下ろし、例のメロディーが流れはじめた。その時である。私の体に衝撃が走った。
「なんて美しい音楽なんだ!」
嘘っぽいが、嘘ではない。私は一瞬にして音楽の虜となり、「鉄道少年」から「音楽少年」へと変身してしまったのだった。

出会い
すっかり「音楽少年」になった私は、猛然とクラシックを聴きはじめた。自分をこの道に導いてくれたベームとウィーンフィルに忠義だてする気持ちもあり、お小遣いを貯めて買うレコードもウィーンフィルが多かった。
そんな中でアルトマンの存在を知った。ウィーン管楽アンサンブルによるモーツァルトの管楽のディベルティメントやウィーン管楽ゾリステンの木管五重奏のレコードなどが出た頃であったので、何枚か買ったのだ。前者ではベルガーとコンビを組んで2番ホルンを吹き、後者では「2番奏者のくせに」他の楽器の首席奏者と一緒に吹いてる人。彼に対する認識はそういう感じ。それ以上でもそれ以下でもなかった。
当時の私の価値観は、「上手い人が上を吹く」だった。だからもっぱらの関心は首席奏者のローラント・ベルガーであり、'75年ベームとの来日公演における伝説のベト7に完全にハマっていた。あんなパワーであんな高音を吹けるようになりたい。私の思いはそこにあった(ホルンを吹いている自分の写真に"ベルガー髭"を書き込んで喜んでいた←バカな中学生だ)。
ところが、高校2年の夏、当時所属していた田舎のジュニアオーケストラが、モーツァルトのフルート協奏曲第2番を演奏することになり、ここで私は2番ホルンを吹くことになった。ローテーションによって「仕方なく」そうなったのだったが、これが楽しかった。すごく楽しかった。1番ホルンのオクターブ下をひたすら伸ばしてるだけ。言ってしまえばそんな曲だったわけだが、それがなんとも楽しくてたまらなかった。「アンサンブルをしている」そんな喜びがあった。ついに「下吹き」に目覚めたのである。
上を吹く人が「うまい人」、下を吹くのは「下手な人」。ずっとそう思い込んでいた価値観が一気にひっくり返った。下吹きこそがホルンの醍醐味だ!

傾倒
なんとか大学に滑り込んだ私は、なんの躊躇もなくオーケストラに入部した。そしてそこで宣言したのだ。「主席4番奏者になる!」
相当入れ込んだ変わり者が入ってきたわい、と先輩たちは煙たがったとは思うが、私は「下吹き」としてオケ生活の新たなスタートを切ったのである。
そうしてこれまでに買い集めたレコードやFMのエアチェックなどを注意深く聴いてみると、ウィーンフィルの下吹き奏者が実に上手いことがわかってきた。そういえば、アルトマンもまた、下吹き奏者ではなかったか。
ウィーンフィルのホルン奏者の一人でしかなかったアルトマンが、私にとって特別な存在に変わりつつあった。
そして、決定的なきっかけが訪れた。自分でウィンナホルンを吹くようになったことである。ひょんなことからウィンナホルンを吹いているグループと知り合ったことで、楽器の貸与を受け、彼らと一緒に演奏していくことになったのだ。"聴くもの"であったウィンナホルンが、"吹くもの"になった。それは、ウィンナホルンを吹く楽しさと、なによりウィンナホルンを吹く難しさを知ることでもあった。
ウィンナホルンは楽しい。そして難しい。こんな楽器で、アルトマンはあんなに凄い演奏をしてるのか!?
私は思った。あんなふうにウィンナホルンを吹きたい。いや、俺は吹く!

心酔
以後は「アルトマン命」の道をまっしぐらである。彼の演奏している室内楽のレコードやCDを買い集め、彼が来るとわかっているアンサンブルの演奏会にはすべて通い、来てほしいと願いをこめて出かけたウィーンフィルの演奏会に彼の姿がなくがっかりし...、こんなことの繰り返し。姿の見えないCDやFM放送などで、これは彼の"芸風"だ、と思ったものは、スコアを見ながら何度も聴いた。その度にため息をついた。
「上手い、なんて上手いんだ...」
低音の安定感、1番奏者とのバランスの妙、室内楽での存在感。どれをとっても「素晴らしい」のひとこと。こと彼の演奏に関しては期待を裏切られたことはない。
彼の演奏は、「オケで、アンサンブルでホルンを吹くことは楽しいことなのだ」ということを教えてくれる。何気ないフレーズや、合いの手のような音符にこそ、楽しみの源があることを気づかせてくれる。ソロがなくたって楽しい。下吹きが"いい音"を出してあげてこそ、上手い上吹きの音楽も生きる。そういうことを感じさせてくれる彼の演奏こそが、ホルン吹きのお手本だと信じる。彼のように吹けばいいんだ。いや、彼のように吹かねばならない。私のホルンを吹くことの究極の目的「アルトマンになること」はこうして確立した。私は完全に「アルトマン教」の信者となっていた。


エピローグ
「神」とは文字どおり「神々しい」ものである。私にとってのアルトマンもまた、長年神々しい存在であった。接触する機会は何度かあったのだが、なかなか気安く話しかけることができない、そんな雰囲気の人だった。
'93年秋、ウィーンフィルのホルンセクションは大規模な"人事異動"を行い、アルトマンは4番奏者となった。その席次として初めて、オケの一員としては実に4年ぶりに、今年のウィーンフィルウィークに来日した。初日の終演後、思い切って彼を呼び止めてみた。とてもにこやかで、実に気安く写真撮影などに応じてくれた。さらに、ひょんなことから、ホテルにお訪ねしたい旨のお伺いをたてることになったところ、こちらも快く受けてくださり、実に楽しくお話しをさせていただくことができた。なんだか、これまでとは別人と話しているような感じだった(髭も少なくなったので"人相"もずいぶん変ったのだが)。4番奏者という位置が、彼の人となりを変えたのだろうか?神様が"人間"になったような気がした。「教徒」としてはやや複雑な感覚を持った会見であった。
彼は今53歳。定年まではまだまだ時間があるが、果たしていつまで吹き続けてくれるのだろうか。私にとってのバイブルである彼の演奏を聴くことができなくなった時、私はいったいどうすればいいのだろうか。いや、そんなことは考えるまい。彼が元気に演奏を続けてくれて、4番奏者としての彼の"音"と"芸"を聴かせてくれる間は、それを大いに楽しもう。どうせ私も歳をとる。ならば、歳をとった彼を目指せばいいのだ。彼はいつまでも私の神様なのだから。

アルトマン福音書

これさえ聴けば、あなたも今日からアルトマン教信者(←って迷惑?)

●ベートーヴェン/六重奏曲:ウィーン八重奏団(ロンドン:POCL-4231)

●シェーンベルク/木管五重奏曲:ウィーン管楽ゾリステン(DG:MG1072[廃盤]) ●マーラー/交響曲第9番:マゼール指揮(SONY CLASSICAL:S2K39721) ●R.シュトラウス:ハーゼンエール/もう一人のティル・オイレンシュピーゲル:ウィーン・ヴィルトゥオーゼン(Canyon Classics:PCCL-00148) ●ブルックナー/交響曲第8番:メータ指揮('96年9月30日サントリーホールでの演奏)

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