Volker's

襲名許可をもらったぞ!の巻


volker's '97

左が"ウィーンの"フォルカー氏、右が"日本の"フォルカー
あるいは
左が御神体、右が教徒でも可(^^;
1997年11月7日有楽町駅近くの中華風ビアホール(名前忘れた)にて


前置き
私が最初に「フォルカー」を名乗ったのは、1993年夏のこと。ニフティサーブに加入してパソコン通信を始めたのがきっかけだった。以来4年間、各所で「フォルカー」を名乗り続け、皆さんからも、当たり前のように「フォルカーさん」と呼んでいただくようになったのだが、実のところをいうと、いささか心に引っ掛かるものがあったのだった。
それは、名前を拝借したフォルカー・アルトマン氏(以下「御神体」と呼称^^;)ご本人の許可を得ずに名乗り続けているということ。
別に、私がフォルカーを名乗ることで、直接御神体にご迷惑をおかけすることはないのだが(たぶん、ない)、やはり、できることなら、きちんと承諾を得て、晴れて「フォルカー」を名乗りたい。こんな思いがとても強まりつつある昨今なのであった。


本題

'97年11月。御神体は、ウィーンヴィルトゥオーゼンの一員として来日し、東京で2回の演奏会を行なうことになっていた。当然、私は、2回とも演奏会に足を運ぶつもりであった。
ここがチャンスかも。もし、お会いする機会があるんだったら、きちんと事情をお話しして許可を得よう。万一拒絶された時には、「フォルカー」を名乗るのは止めよう。そう心に決めて、11月7日、演奏会場である王子ホールに向ったのであった。
会場に到着すると、同席した"盟友"T氏から、嬉しい知らせがもたらされた。元当ページ専属聖地特派員にして御神体の"弟子"であるH氏の尽力で、終演後に宴席を設けることになったというのだ。よし、ご承諾をお願いするぞ!
終演後、ホール入口で氏と待ち合わせをした我々は、有楽町の中華風ビアホールへ移動。約1年ぶりの再会を祝して乾杯した。御神体は終始ご機嫌で、生ビール中ジョッキを3杯お代りし、つまみの点心(中華屋風ビアホールだったので^^;)に舌鼓を打ちながら、あれやこれやとしゃべり続けておられた(もうすっかり"いいおじさん"状態。昨秋の会見以来、まったく"後光"が射さなくなっちゃって、教徒としてはちと複雑な心境なんだけど... ^^;)。
宴も"たけなわ"となったところで、いよいよ襲名許可を申し出る。盟友T氏が助け船を出してくれて、以下のような会話と相成った。

私「御神体、ホームページってご存知ですか?」
御神体「あぁ、知ってるよ。コンピュータのアレだろ?(←あまりお詳しくはない)」
T氏「彼、そのホームページを作ってるんですが、その名前が『フォルカーの部屋』っていうんです」
御神体「ハッハッハ(と笑いながら頭を抱える仕草^^;)」
私「でですね、私、インターネット上で『フォルカー』を名乗ってるんですが」
T氏「彼がそう名乗るのを許していただけますか?」(この辺、見事な連携プレー ^^;)
その問いかけに、御神体のお答えは...。
「フォルカーという名前は、ドイツ圏ではポピュラーなんだよ。『ニーベルングの指輪』にも登場するし、あのシューベルトだってフォルカーと呼ばれてた時代があったんだから(←この辺かなりあやふや。このようなことを切々と語っておられたんです^^;)。キミが名乗ることを拒む理由などないよ

よかった。「フォルカー」襲名を許可していただいた。苦節(??)4年、ついに御神体ご本人から、「フォルカー」を拝領したのだ(まぁ、そういうことにさせてよ^^;)。同時に、このページの存在も知っていただけた。嬉しい、とても嬉しい。年甲斐もなく恥ずかしい限りだが、あまりに嬉しいので、一発叫ばせていただく。

わーいわーい やったね!(^o^)v

し、失礼いたしました(^^;。しかし、これで、晴れて堂々と、「フォルカー」を名乗れることになったわけだ。もう安心だ。いくらでも名乗ってやる!
というわけで、私が正真正銘「フォルカー」です。フォルカー氏公認のフォルカーです(ややこしいねどうも...)。もう大丈夫。誰にも文句など言わせませんよ。ガッハッハ(^○^)


後置き(←ん?)

今回の"会見"で感じたのは、やはり御神体はオトナだよな、ということ。我々と実に気さくにお話ししてくださるその姿勢は、我らがラルス君と何ら変らないが、話の切り口はずいぶんと違う。オケのことや、ウィンナホルンのことを聞いても、やっぱりこう、なんていうかな、長年フィルハーモニカーとして活動されてきた歴史を背負ってる感じがするってかね。ラルスの、極めて我々に近いノリに比べると、やはり重みを感じます(飄々とはしていらっしゃいますが)。
でね、私は強く思ったのですよ、機会があったら御神体にじっくりとインタビューしたい、と。
'60年代から'70年代、当団の変革期に、ベルガーとともに、いかなる思いを持ってウィンナホルンを吹き続けていたのか。室内楽のみならず、時にはオケの中でもフレンチホルンを使用した、その意味と背景。クレメルを始めとする、多くの音楽家との交流から得たものは何か。そして、御神体は、ウィンナホルンの未来をどうお考えになっているのか、等々...。聞きたいことは山ほどあるのだ。
御神体の思いを伺うことで、私はより一層御神体に近づきたい。そして、その思いを、多くの方々に伝えたい。それこそが、もう一人の「フォルカー」としての務めであると思うから。そう、私も「フォルカー」なのだから。


で、おまけ写真を1枚

volker's '97
見つめあう2人の"フォルカー"(^^;


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