2002年9月24日〜30日

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2002年9月末に2年4ヶ月ぶりの「聖地巡礼」をして参りましたので、以下にその模様をご報告いたします。
なお、本ページの内容の大半はWhat's New!?ページの「日々雑感」に記載したもの。それに一部加筆・修正を施しての再構成となりますので、悪しからずご了承のほどを。

は じ め に


まずはじめに、今回の聖地巡礼の内容を振り返ることから。

9月24日(火)
成田空港午前発のオーストリア航空ウィーン直行便で聖地へ。同行はウィンナホルン会N氏@日本一。一足先にパリへ向かった同じウィンナホルン会奥田安智氏とは、翌日に現地合流予定。
現地時間当日午後4時に無事到着。リムジンバスで市内まで出るつもりが、なんと"出迎え人"がいてびっくり(本件、後述)。出迎え人氏の車で国立歌劇場まで送ってもらい、そこから歩いてホテルへ向かいチェックイン。荷解きもほどほどに国立歌劇場へ取って返し、インターネット予約しておいたチケットをピックアップして「ばらの騎士」鑑賞。

9月25日(水)
冷たい雨降り。その中、市内をぶらぶら歩いて、ドブリンガーなどで買い物。先年オープンしたHaus der Musikにも立ち寄って、例の当団指揮シミュレーションシステムを体験する>しかし、満足に振れず、シュミードル、クドラック両氏からのお叱りを受けてしまった(爆)。
その後、パリから駆け付けた奥田氏と合流。コンツェルトハウスで、週末の当団演奏会(指揮はアーノンクール)のリハーサルを見学する。LMS氏は降り番なれど、乗り番のトムベック氏、ロナルド氏と10月の分担打ち合わせにやってきたので、そのまま合流してウィーン郊外Grub村のLMS氏新居へ。我が"マブダチ"(笑)ヴォルフィ君ことリントナー氏(舞台オケ)もやって来て(氏の家は、LMS邸から車で10分ほどの所にある)、LMS氏夫人マルギットさんと共に新居完成祝いパーティ。先日の演奏会の録音もさっそくお聴かせし(押し売りならぬ、押し聴かせ>爆)、「いい演奏だ」とのお褒めの言葉を受ける>多分にリップサービスとしても、でも、嬉しい。

9月26日(木)
午前中は、LMS氏の案内によりウィーン郊外の名所観光。ハイリゲンクロイツ修道院、地底湖ゼーグロッテ、リヒテンシュタイン城といった、個人で旅行した場合には出向くことが難しい郊外の観光ポイントを訪ねることができ感激。特にゼーグロッテの「神秘的」な雰囲気は圧巻であった。その後ウィーン市内まで送ってもらい、再びホテルにチェックイン。
当夜のオペラ「ロベルト・デヴリュー」開演まで時間があるので、単独行動とさせてもらい、インターネットカフェでメールチェックおよび拙ページ芳名録への書き込みなどを行う。で、軽く腹ごしらえしてからと、やおら開演30分前にオペラ裏の"いつもの"(笑)ソーセージスタンドに行ってみると、ガハハ、またしてもいらっしゃいましたよ、御神体が。携帯電話かけながらソーセージ食ってる(爆)。この方とこの場所でお会いするのは、もう3度目だ(苦笑)。"当然"、しっかりとご挨拶させていただき、またの再開を約束し合う。もっとも、今後の来日スケジュールはまったく未定とのことで(もう、室内楽活動も辞めちゃったしねぇ...)、となると、また行かにゃならんということだわな(笑)。その後「ロベルト・デヴリュー」を、これまた"いつもの"立ち見場所で鑑賞。
終演後は、聖地在住当ページ相談役殿と会食。いろいろと興味深いお話を伺わせていただきました>とてもここでは書けないようなネタ含む(^^;。

9月27日(金)
本当はウィンナホルン製作工房のユングヴィルトを訪ねる予定だったのだが、ユングヴィルト氏と連絡が取れず断念(その後連絡が取れたのだが、インフルエンザで寝込んでいたとか。ヤマハの現地マイスター氏も病気療養中とかで、なんとも奇妙な偶然の一致...)。
ならばと、Wiener Horn Ensembleの楽譜などを出版しているHeavy Brass社を訪ねることに。ウィーン郊外Gallbrunn村まで行くのは、実はなかなかの"大旅行"だったのだが(っていうか、珍道中か!?>本件のみで「ネタ」を作れます>苦笑)、遥々日本からやって来た酔狂な客に対し大変な歓待をしてくださって、これまた感激したのだった。いや、だってね、Heavy Brass"社"と言っても、実は父子2人でやってる個人商店なんですわ。だから、"社屋"も彼らの自宅なの。「ウィンナホルン吹いてる日本人ってのが3人来たよ!」って感じで、もう大変な興奮ぶり(笑)。果てはお父さんがワイン出させて乾杯だもの(爆)→。いやはや、なんともホンワカした小旅行でありましたわ。
で、夕方にウィーンに戻り、当夜のオペラ「ビリー・バッド」を鑑賞。終演後は、LMS氏とアウグスティナーケラーで軽く一杯。LMS氏曰く、「この店は観光客ばかりだから好かんのだけど、シュトゥルム(新酒のワイン)だけは美味いんだ」。というわけで、皆さんはシュトゥルムを、私はソフトドリンク(=オーストリア名物?"アルムデュトラ")で乾杯。

9月28日(土)
午後3時半からの当団演奏会まで単独行動とさせてもらい、マリアヒルファー通りなどで買い物三昧。いや、ほんと随分と散財してしまいましたわ。と言っても、その大半はCDだったんだけどね(^^;。
一旦ホテルに戻りあとの2人と合流するも、出かける時間が遅れてしまい、コンツェルトハウスまで小走りで向かうことに。で、もうすぐ到着というところまで来た時に、ホルンのケースを抱えて、今から会場入りしようとする人物を発見。ん?あれってトムベック大将では!? 私が発したその言葉を聞くやいなや猛ダッシュで駆け出したのは、誰あろうN氏(^^;。氏は、トム大将の楽器(父君も使用していたゲノッセンシャフト)を譲り受け、また数年前の来日公演時にはレッスンを受けたこともある間柄なので、ここで挨拶しなくては!と使命感に燃えて(笑)駆け寄ったという次第なのだ。にこやかに談笑する2人(いい絵だ^^;)。そこに遅れて我々も合流し、「我々は東京ウィンナホルン協会です!」と高らかに宣言(爆>トム大将は苦笑>苦笑^^;)。固い握手を交わしてお別れし(氏は後半からの出演なので時間に余裕はあったけど、我々がこのままでは遅刻してしまう)、再び小走りで客席へ。よって汗だく状態となり(笑)、なかなか汗が引かないまま鑑賞することとなってしまったのだった。
そんな悪コンディションの中、さらに問題が発生。当日は「プロムス」という形式の演奏会だったため、アーノンクールのかなり詳細な"解説"も入り、終演が6時頃になる事態になったのだ。なぜこれが"問題"かというと、この後のオペラ「ばらの騎士」が6時半に始まるわけで、いつもの立見席確保のことを考えると、ちょっと焦る時間だったと>ちなみに同行の2人はしっかりと座席を確保して、余裕の移動(やられた...^^;)。で、この焦る人たちは私以外にもいたわけで、そう、当日掛け持ちをするオケの面々(笑)。こういうスケジュールだから掛け持ち組は少ないかと思いきや、オーボエのホラーク、トランペットのエダーおよびジンガー、トロンボーンのキューブルベックなど、"主要"なメンバーも結構いて、これには驚く。2時間半の演奏会を終えて、30分後に4時間のオペラ公演。いやぁ、大変な仕事ですなぁ...。というわけで、またしても小走りに国立歌劇場へ移動したおかげで、またしても汗だく状態(笑)。でも、おかげで"いつもの場所"は確保できたから何よりだったけどね。それにしても、この夜の「ばらの騎士」は、今回の巡礼の白眉でありました。巡礼初日に観た時よりもさらに良かった。よって、これについては別項にて。
終演後、またしてもアウグスティナーケラーで一杯。ただ、本当はヴォルフィ君が合流するはずだったのに姿を見せず、それがなんとも残念(LMSが携帯に電話してくれたのだが、電源OFFで通じず...)。また、日中、旧居からの荷物移動をしていたというLMS氏はかなりお疲れの様子で、そんなこんなもあり、ほどほどのところで切り上げる。これで氏とはお別れになるため、これまでのご厚情に対して御礼をするとともに、またの再会(来春の予定)を誓って散会。

9月29日(日)
帰国日になって快晴に。誰の行いが悪いのやら...(苦笑)
午前11時からの当団演奏会(前日と同内容)に出向くわけだが、今度は汗だくになりたくないので(苦笑)、余裕を持って出発する。実は、セバスチャン(マイヤー)にまだ会っていなかったので、開演前に楽屋口でつかまえて挨拶をしておきいという目論見もあっての早出だったのだが、彼、なかなか現れない。開演15分前になっても姿を見せないことから、こりゃもうすでに楽屋入りしているな、と判断。で、そのまま諦めたかというとさにあらず。その時楽屋口にやってきたトランペットのジンガー氏をつかまえて、「セバスチャン・マイヤーに、ササキが待っていると伝えていただけませんか」とお願いしてしまったのだ。大御所団員をつかまえて「子供の使い」をさせるという行状、誠にもって申し訳ない限りだったのだが、おかげでセバスチャンに会うことができて、これはもう、ジンガー氏に感謝感謝。セバスチャンは翌10月に来日するので、その時の再会を約束して別れる。
というわけで、会うべき人にはすべて会って、最後、アーノンクール指揮の演奏会を前半まで聴き、休憩時間で外に出て、タクシーにて空港へ移動。再びオーストリア航空直行便に乗って帰国したのでありました。ふぅ、長々失礼...(苦笑)
(02/10/01記:02/12/09一部修正・追記)


街 の 変 化


ウィーンの街中は至るところで工事中。LMS氏曰く、「ウィーン中が工事中」とのこと(郊外観光をした時には、これが「オーストリア中が工事中」に発展しておりましたが^^;)。ビルの改装・改築も多いようだが、新築用と思われるクレーンも多数見かけて、もしかして景気良いのかしら?
中心地では結構お店の入れ替わりもあって、例えば、既にいろんなところでも話題になったスターバックスの登場は、知ってはいてもやはり驚きだった。国立歌劇場のすぐ裏手。ザッハーホテルの向かい側にオープンしていて、結構繁盛しておりましたなぁ(あと2店舗ある模様)。ウィーンと言えば伝統的な「カフェ」なわけだけど、スタバのようなスタイルの「カフェ」も、それなりに受け入れられているようであります(観光客が多いとの説はあるものの)。恐るべしスタバ!(笑)
あと、観光客用のインフォメーションセンターが、昔はそのスタバの向かい側(つまりザッハーの隣り)にあったのに、少し離れたカフェ・モーツァルトの向かい側(伊勢丹の隣り)に移動してましたな。しかも、大層リッパになってて、力の入れようがヒシヒシと感じられた。"観光立国"だからね、ある意味当然の姿でもありましょうが。
それから、個人的に大変残念だったのは、ケルントナー通りの途中にあった(正確に言うと、ケルントナーからちょっと入った路地沿いにあった)鉄道関係の書籍が充実した本屋さんがなくなっていたこと。毎回ここには必ず立ち寄って、オーストリア国鉄関連の本(笑)なんかを買っていたのだが...。どこかに移転したのかなぁ。それとも廃業したのかしら。誠に残念。
(02/10/03記)


ば ら の 騎 士


今回は「ばらの騎士」を2回観たわけだが、2回目、9月28日の公演がより素晴らしかった、という話を前にも書いた。指揮者(アダム・フィッシャー)も、主役の女声3人組(インガ・ニールセンアンゲリカ・キリヒシュラーガーユリアーネ・バンセ>誰がどの役かは、写真を見ればわかりますよね?^^;)も一緒の公演だったわけだが、主役陣で唯一違ったのがオックス男爵で、1回目がワルター・フィンク、2回目がクルト・リドルだった。で、このリドルが素晴らしかったと。フィンクは、その大きな体躯を活かして、慇懃無礼な振る舞いの初老貴族といったオックス像を作り上げ、それはそれで「いや、なかなかご立派ですな」というものではあったのだけど、リドルの方はというと、身のこなし誠に軽やかに、粗野で図々しくそして何より助平(!)な田舎貴族を「熱演」し、これが実に楽しかった。もちろん、歌の方も、すごい声量だし、とにかく上手いから、もう舞台に引き込まれっぱなし。女声陣も、リドルの熱演に大いに刺激を受けたようで、相当にテンションを上げて演じ、歌っていたから、演出は毎度お馴染みのアレだったわけだけど、まるで初めて観る舞台であるかのように見入ってしまった。ほんと、実に楽しかったし、出演者全員「ブラヴォー!」でありましたよ。
もちろんオケも素晴らしくて(特にLMSの1番ホルン!>最初っからアクセル踏みっぱなしの全開演奏で、あれで「引越しで疲れていた」とはとても思えない!?>笑)、極めて上質な"通常公演"でありました。ウィーン国立歌劇場のようなレパートリー公演形式の劇場については、その「質」を問う声もよく聞かれるわけだけど(主役級歌手陣はある程度の"練習"をするようだが、オケを含めた全体としては、基本的に「ぶっつけ本番」だからね)、でも、ああいう「違い」、それも上質な部分での違いを短期間に楽しめるわけだから、これはこれでやはり価値のある公演形式だとは思う。でもって、あんなのが「普通」に観られるんだから、やっぱウィーンはすごい街だわ。マジ羨ましいっす!!(移住すっか!?>笑)
(02/10/07記)


そ の 他 の オ ペ ラ


「ばらの騎士」以外に観たオペラは、ドニゼッティの「ロベルト・デヴリュー」と、ブリテンの「ビリー・バッド」の2演目。

「ロベルト…」については、(1)予備知識がまったくなかったこと、(2)ドニゼッティという作曲家に対する一方的なイメージ(=歌はいいのだろうけど、オケは...)、(3)前日にLMS邸で「ロベルト…」の話になった際に、LMSとヴォルフィが2人して、「ぐへぇ〜、ドニゼッティ! ブヘヘヘ〜」みたいな言い方で(どんなやねん^^;)クサしたこと、などの背景から、ほとんど期待せずに出かけたのだった。
主役はグルベローヴァで、"彼女のためにあるオペラ"という位置付けらしいのだが、だから尚のこと、「グルちゃんの歌以外には観るべき・聴くべきものがなく、つまんねーんだろうな」と(勝手に)思い込んでいたわけ。LMSも盛んに「寝るなよ」を連発し(笑)、事実、当日もピットの中から再三我々を見上げては、「眠い」とか「寝るな」とかのゼスチャーを繰り返す始末で、いやはや(それはそれで楽しかったけど^^;)。
では、本当に「つまらなかった」かというと、実は結構楽しんじゃったんだよね。いや、内容的にはね、確かに「観るべきもの」のないオペラだったと思う。エリザベス1世時代のイギリスの話で、グルベローヴァがそのエリザベス女王役ということになるわけだけど、筋としては、取り立てて大きなドラマがあるわけじゃないし、演出も、そういう内容では如何ともし難いのか、最後にセットが奈落の底に落ちて行くという大仕掛け以外は、これといって動きのないものだったし。オケは、これはもう「言わずもがな」の音楽だ。
では、いったい何を楽しんだのかと言えば、それはやはり圧倒的なグルベローヴァの声と歌だったと。これはもう、ほんとにすごかった。実は、一番最初にアリアを歌うのも女声歌手で、この人もすごく上手かったから、しばらくの間(っていうか、アリアが終わった後まで^^;)彼女がグル女史だと思ってたわけ。「さすがにグルちゃんすごいなぁ。でも、ちょっと声の感じは変わったかな。やっぱ、それなりにトシだしなぁ」なんて(^^;。ところが、その後に登場した女声歌手が、衣装も歌も群を抜く存在感で、「こっちがグルか!」ってやっと気づいた次第(爆)
以降は、ただただ彼女の圧倒的歌唱に聴き入るばかりで、つまり、つまんないだろうという予測の理由となった「彼女のためのオペラ」を、文字通り彼女のためのオペラとして楽しんだ、というわけだ。
もちろん、私としてはオケの方にも十二分の注意を払っていたのだが、これも実はそこそこ楽しんだんだよね。こういう「なんでもない」そして「何も起こらない」オーケストレーションのオペラをやる時の当団の上手さ! あれほど「退屈」「つまらん」を連発していたLMSも、要所要所でしっかりと"主張"していて、彼らのプロとしての、そして一流のオペラオケとしての底力をまざまざと見せつけられたのであった。こういうことできるのは、やっぱり「本場」の歌劇場ならではってことになりますわねぇ。

一方の「ビリー・バッド」。こちらもほとんど予備知識なしだったのだが、私自身は、一応CD(ケント・ナガノ盤)を買って聴くことは聴いて出向いてはいたのだった。でも、いつも車の中でかけてただけだし、よって真剣に聴いてたわけでもないのでね、実質的には「初めて観る・聴く」オペラだったと言える。
で、こっちもね、楽しみました。18世紀末のイギリス海軍の軍艦の中という設定ゆえ、登場人物が全員男というオペラだったのだが、歌手陣は総じて立派な歌唱だったし、舞台装置や演出も白と黒を基調としたシンプルな美しさを持ったもので、立派に一線級のオペラとして成立していた。
で、やっぱりオケですよ。彼らにとってのブリテンというのは、オケ単独での演奏を含めても、決してやり慣れた作曲家ではないと思うのだが、しっかりと消化して、当団の音楽・演奏という形になっていたことが誠に素晴らしかった。
途中、1番ホルンには、同じ作曲家の「セレナード」を連想させるソロが何度も出てくる場所があるのだが、ここでのLMSも見事。あれが吹けるんだから、「セレナード」だって"問題なし"、ということになるはず(ホントかね^^;)。やっぱり、ウィンナホルンで「何でも吹けちゃう」時代になってますわね。

というわけで、予備知識なく鑑賞した2つのオペラを、しかし結果的には大変堪能したという次第。2回観た「ばらの騎士」も、上記したとおりに充実した公演だったので、今回のオペラ鑑賞は「当たり」と、そういう総括です。
(02/12/02記)


ウ ィ ー ン フ ィ ル 演 奏 会


アーノンクール指揮の当団演奏会はコンツェルトハウスで行われた。思えば、このホールで当団を聴くのはこれが初めて。ムジークフェラインとはだいぶ響きの異なるホールだから、そこでどんな音になるのか、興味津々であった。それと、指揮者がアーノンクールであることも、個人的には極めて楽しみなことだった。今まで氏の指揮自体には何度かお目にかかっていたけれど、当団を振るのを聴くのはこれが初めて(正確に言えば、国立歌劇場での「コシ・ファン・トゥッテ」を観たことはあるものの)。曲目も、先にCD化された「わが祖国」の中からのものが含まれているし(「高い城」と「モルダウ」)、「スラブ舞曲(作品46-8、72-1、72-2の3曲が正プログラムで、46-3がアンコール)」のような、きっと「アーノンクール&当団ならでは」という音楽になるだろう曲も含まれていたので、興味深さはより一層増していた(他に、ドヴォルザークの交響詩「金の紡ぎ車」)。そしてさらに、当日はアーノンクールの「解説」が入るというのだから、これはもう千載一遇の機会というわけで(もちろん、ドイツ語でしゃべられても、意味は理解できないのだけどね^^;)、非常に大きな期待を抱いて臨んだのだった。

その期待の演奏会は、初回のリハーサルを覗くことから始まった(LMS氏にリハーサル見学についての可否を確認の上ですので、念の為)。9月25日午後3時過ぎ、コンツェルトハウス大ホール内に入場すると、アーノンクールが指揮台に上がって今まさにリハーサルが始まろうという瞬間。でもって、なんと、オケの前面には張り出し舞台が設置されていて、そこに若い男女数人のダンサーが準備運動のようなことをしつつ控えているではないか。
踊り付きなんだ...なんて思ってる間にアーノンクールの指揮棒が下りて、リハ最初の曲である「スラブ舞曲(作品72-1)」がスタート。が、これがまぁ、ものの見事にバラバラなのだな(笑)。もう、縦横全部バラバラのアンサンブルで、アーノンクールのどんどん先に進んで行く指揮にオケが最後まで乗り切れずに終わってしまう有り様。まぁ、初回はこんなもの、であろうことは織り込み済みで行ってはいたものの、さすがに失笑を堪えることはできなかった(^^;
その後、同曲を始めとして数曲が練習されたのだが、興味深かったのは、アーノンクールが非常に細かく指示を出していたこと。実によく演奏を止めて、その都度細かな指示を出していく。"敵"は百戦錬磨のウィーンフィルなれど、自身の中にある音楽、表現したい音楽になるまでは妥協せずに追い込む、ということか。別に、指揮者・オケ両者が火花を散らして緊張した空気がステージ上を覆う、なんて雰囲気ではないのだけど、アーノンクールの音楽を作る姿勢を垣間見たリハーサルだった。

リハの見学は上記1日のみで、あとは本番当日のお楽しみ。で、その本番当日。今回は9/28(土)、翌29(日)の2日に渡って出向いたのだが、その初日である土曜日に会場入りしてみたらびっくり。なんと、1階席の座席が取り払われ、お客さんが立ち見で陣取っているではないか。確かに「プロムス」との冠がついたコンサートなれど、まさかほんとに本家プロムスを模したスタイルで行われるとは!?(その後「音楽の友」誌に掲載された山崎睦氏によるレポートによれば、一昨年から同様の形式で実施されていた由。一昨年がウェルザー=メスト、昨年がボビー・マクファリンによる指揮)。上階は固定席なのでそのまま着席で、我々も3階席正面1列目に陣取ったわけだが、この雰囲気にはちょっと驚きを覚えた(ちなみに翌日は座席有りで、かつ踊りなし。あくまでも1日目のみが"プロムス仕様"であったと)
で、1曲目のスラブ舞曲(作品46-8)からスタート。さっそくダンサーも登場して、うむ、リハーサルよりは(当然のことながら)こなれておりますわい(^^;。ただ、ホールがムジークフェラインよりも容積の大きい、そして敢えて言えば"デッド"な空間なので、オケの響き自体は少々派手やか目。ムジークフェラインでは、どこで聴いても柔らかい音色で、かつ(これが信じられないことなのだが)分離良く聞こえるわけだが、このホールの場合、全奏になると音が飽和気味になるところもあり、その点も少々残念ではあった。
が、演奏そのものは素晴らしいものだった。アーノンクールの解釈は「いつも通り」のものなれど、それをウィーンフィルという、独特の音色と音楽観を持った「楽器」で奏でることで、「共通の文化圏の音楽」という観点でのドヴォルザークやスメタナ演奏を作り出し、見事な効果を上げていた。
それと、当日の"目玉"でもあったアーノンクールの「解説」。ドイツ語ゆえ当方にはほとんど理解不能ではあったのだが、会場を見回しながら、時にお客を笑わせ、時にオケに部分部分を演奏させながら進めるその"講義"は非常に熱のこもったもので、1日目は子どもを含めた若いお客も目立ったが、真剣に聞き入る姿がそこかしこに見受けられた。

というわけで、アーノンクール&当団の初体験は、十分に満足できる内容であった。できることなら2日目(29日)も最後まで、そしてムジークフェラインで聴きたかったなぁとも思うのだが、まぁ、それは言わんことにしときましょう>言ってるけど(^^;

最後にコンツェルトハウスに関するご報告。最近大規模な改修工事が行われたそうなのだが、確かに以前行った時からは見違えるようにきれいになっており、なんつーかこう、「冷戦時代の東欧のダンスホール」みたいに(って、行ったことないけどさ、その頃には^^;)薄ら寒ーい雰囲気だった同ホールが、エントランスからホール内まで"きらびやかさ"さえ感じさせる雰囲気に変貌を遂げていて、非常に印象深かった。
で、まだ"改修したて"だからなのだろう、天井に貼り付けてある金箔が何枚か剥がれ落ちて来たのを目撃したんだな(^^;。演奏中、割りと大きな音が鳴った後に、天井からヒラヒラと金箔片が舞い落ちて来て...。なんとも風流というか、ああいう"意匠"のホールならではのハプニングでありました。
(02/12/09記)


女 性 奏 者 の こ と な ど


昨今話題の「女性奏者」なのだが、今回も結構お目にかかりましたよ。ヴィオラのプライヒンガー、ハープのバルツェライトについては、正式なメンバー(現時点では国立歌劇場オケ団員だが)だから出てて当然として、他に「ロベルト・デヴリュー」の2番クラ、「ビリー・バッド」の打楽器とハープ、「ばらの騎士」2日目の第2ハープ(「ビリー・バッド」とは別人>ちなみに1日目の第2ハープは引退したレルケシュだった)、アーノンクールとの演奏会での1stヴァイオリン末席と第2ハープ(これまたオペラとは別人)が、私にとっての"初顔"。ハープはね、これまでも女性奏者が登場してたから別に驚かないにしても、クラリネットや打楽器、そしてヴァイオリンにも登場したってのは、やっぱ感慨深いものがあるなぁ。その昔はフルートにも登場してたのを見てるから、まぁ、今後この動きはますます広がって行くのでしょう。ちなみに、登場していたのは皆、うら若き女性であったことを追記しておきます(^^;。
ところで、ハープのジュリア・パロックだが、どうやら退団ということになったようだ。国立歌劇場オケのメンバー表にもないし、当然、ウィーンフィルの"契約団員"(=国立歌劇場オケ団員だが、まだウィーンフィルメンバーにはなっていない人。しかし、演奏活動はウィーンフィルメンバーとして行っている)にもなっていない(バルツェライトは契約団員としてメンバー表に記載)。今回もまったく姿を見なかったので(男性奏者のメストルも姿を見なかったのだが>メンバー表には名前あり)、昨シーズンを以って契約終了ということになったものと思われる。もっとも、これについては裏付けを取ったわけではないので、"誤報"の可能性も残っておりますが...。
男性トラ奏者としては、"常連"であるオーボエのナッシュレーガー(←最近よく2番オーボエを吹いている丸顔メガネ氏)やバストロンボーンのゲロルディンガー(舞台オケ)をはじめとして多数出演。特にコントラバスに新顔若手奏者の姿が目立ったかな。あと、ファゴットのディンクハウザーと打楽器のツァウナーの2人の新入団員もしっかりと"仕事"しておりました。どんどん若返りが進む当団。これまた感慨深し...。
※ブレブレの写真↑は、「ビリー・バッド」の開演前にピット内で何事かを相談するバルツェライト女史(赤セーター)と当夜のエキストラ女性ハープ奏者。アーノンクールとの演奏会のリハーサルを終えたバル女史がピットに立ち寄ったと、そういうことのようであります。しかしブレまくりやな(^^;
(02/10/02記:02/12/02一部追記)


ホ ル ン 会


我がホルン会の"勤務状況"についてもご報告しておきましょう。
9/24(火)「ばらの騎士」>> 1:LMS、2:イェプストゥル、3:フラダー、4:プファイファー。9/25(水) オペラ休演日(ただし、演奏会リハーサルは行っていたはず)。9/26(木)「ロベルト・デヴリュー」>> 1:LMS、2:御神体、3:ヘグナー、4:プファイファー。9/27(金)「ビリー・バッド」>> 1:LMS、2:御神体、3:ヘグナー、4:ホルヴァート。9/28(土)「ばらの騎士」>> 1:LMS、2:イェプストゥル、3:フラダー、4:ホルヴァート。9/28(土)および9/29(日)アーノンクール指揮演奏会 >> 1:ヤネシッツ子(前半)、1:トムベック(後半)、2:マイヤー、3:ヘグナー、4:御神体。というわけで、ヤネシッツのお父さんのみ見かけなかったものの、最早WPhの公演ではお目にかかれないホルヴァートの姿も見ることができて(音も聴けたけど、ね^^;)、まずは何より。
ちなみに、「ばらの騎士」3幕では舞台裏で小編成オケが演奏するわけだけど、これのホルン(2本)を担当したのが誰なのかは不明。舞台オケの誰かが吹いていたはずだが、少なくともヴォルフィ君ではない。LMSに尋ねても「休憩時間にはタバコ吸ってたから、誰だったか見てない」というワケのわからん回答だったので(爆)、結局わからず仕舞い。ここまで調べをつけられれば「完璧」なんだけど、いささか画龍点睛を欠く結果というわけで...(^^;
(02/10/04記)


お わ り に


というわけで、比較的短い滞在ではあったものの、非常に充実した時間を過ごさせてもらいました。
で、何より、数々のご厚情を賜ったLMS氏には改めて大感謝。実は、初日の"出迎え人"も彼だったのだ。前回(2年前)は、「迎えに行くから」と言われていたので、"心の準備"をしてシュベヒャート空港に降り立った。が、今回は、こちらから「オーストリア航空で行く」という連絡をしていただけで、彼からは何も反応がなかったので、まさか迎えに来てくれてるとは思わなんだ。なのに、手荷物受取所から外に出た途端に「ハロー!」ってそこに「いた」もんだから心底びっくり。いやはや、ほんとにいいヤツだわ、彼は。
っていうか、みんないい人。今回お会いした誰もが、親切で、優しかった。まぁ、ウィーン(およびウィーンフィル)の人がみんな「いい人」なんてことは、実際にはないわけだが、それでも、彼らが私たちに見せてくれた姿は、人間としてどう友人・知人・客人に接するか、というお手本であり、そういう意味で、非常に「勉強」させられたのも事実だった。
2年4ヶ月ぶりの聖地巡礼、やはり行って良かった。っていうか、やっぱ定期的に行かなアカン。もっと短い期間でもいいから、できれば毎年出向きたいもの。そういう気持ちを改めて強くして帰ってまいりました。
※写真←はLMS氏新居玄関前でのもの。実は家はまだ完成しておらず(住める状態にはなっているのだが)、この玄関前にも資材の山が...。自身でも大工仕事をしてるようだが、完全竣工までには、今しばらくの時間を要すると見た。
しっかし、顔の大きさが違うなぁ...(自爆)

(02/10/01記:02/12/02一部追記)



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