◆回想◆ ――ひとりでよかった。 ――――ひとりはよかった。 ――――――ひとりがよかった。 ……昔のハナシだ。久々に思い出したな。 ちょうど、この位の季節だったっけ。 今思うと、クソガキの泣き言にしか聞こえねぇ。 何で思い出したんだろう? 珍しく朝っぱらから、おべんきょなんてしてるからか? テスト前の日曜だからって、そんなムキになる必要もないか。 じゃ、息抜きにコーヒーでも飲みにいくか。 勉強始めて30分も経ってないけど。 壁に掛けられた時計を見上げると 針は、11時を少し回ったところを指していた。 机の片隅に置いてある、籐で編まれた小さな籠に手を伸ばしかけたところで、 ふと思い出した。 ――あ、そうか。 今、鍵はブロスに付いたままだったっけ。 仕方ない、テクテク歩んでいくか。 自分のバイクが手元に無い、という事実を忘れていたことに、 呆れたような苦笑いを浮かべると、ブルゾンを羽織って部屋を出た。 ◆邂逅◆ 夜。 ビルに囲まれた袋小路。 表通りから路地を僅かに入っただけなのに、喧噪は遠くに聞こえる。 そこには少年といっても差し支えない年齢の人間が、4人いた。 ただし、現在立っているのは1人だけ。 残りの3人の内の1人は、痛みに堪えきれず地面に転がって呻いている。 黒いトレーナーの背中に大きくプリントされた、 薄暗がりの中ですら、眼に鮮やかな赤で描かれた道化師は、 地面に這いつくばる主を嘲るかの如く、笑顔を絶やさない。 その脇に立っていた人影は、気負った感じもなく本当に何気なく片足を振り上げた。 次の瞬間、男のこめかみの辺りで、鈍く籠もった音が響き、 声を上げることもなく白目を剥いて失神した。 「……も、もぅ、勘弁してください」 2、3歩先で、蹲っていた男が涙声で訴える。 その姿は既に、泥と埃にまみれた上、襟元のボタンは千切れ、左の瞼は青く腫れ上がり、 更に鼻血まで流している姿は、数分前には自分でもまったく予想していなかったであろう。 右手を地面について、それを支えにヨロヨロと立ち上がろうとした。 「………………」 人影は、ツカツカと無言のまま近付くと、その脇腹に黒いブーツの爪先を突き刺した。 立ち上がりかけていた男は、苦悶の表情を浮かべ、再び地面をゴロゴロと転がる。 痛みにのたうち回る男に背を向けると、目の前で跪いたままの、 インディゴブルーのオーバーオールに、濃いグレーのパーカーを着ていた、 明るめの茶色に脱色された短髪の男に近寄り、その胸倉を掴み上げた。 ――だが、その短髪の男の眼に、 怯えの色を見て取ると、興味が失せたかのように突き放す。 急に束縛を解かれ、フラフラと1、2歩後ずさると、 糸の切れた人形の如くペタンとへたりこんだ短髪の男が、 目前に立つ人影を見上げた。 その人影は、まるで宙に輝く星を掴もうとするかの如く、 自分の行為が無駄であることを誰よりも理解しながら、 尚もその行為に終止符を打てずにいる。 そんな空虚な眼差しで、自らが引き起こした惨状を、つまらなそうに見やっていた。 その人影は、ジーンズのポケットから、くしゃくしゃになった煙草の箱を取り出すと、 煙草をくわえ、安っぽいプラスティックで出来た100円ライターで、 どこか不慣れな調子で、ぎこちなく火を点けると、自身を見上げている短髪の男の視線に気が付いた。 それを気にした様子もなく、どこか倦怠感の漂う表情のまま紫煙をくゆらせていたが、 人影は、煙草をくわえた口の中がひどく血腥く感じられ、 その粘ついた口腔を浄めるように、朱く染まった唾液を吐き出すと、 きびすを返し、立ち去っていった。 未だ地面に転がったままの2人のことなど忘れたように、 呆然としていた短髪の男は、手先、足先がわななくように震えていることに気が付いた。 その震えを抑え込もうと、身体が強張るほど力を込める。 すると今度は、身体全体に抑えられない震えが走る。 動けなかった自分の不甲斐なさと、そこまで怯えさせた少年の眼差しは、 誰しもが持つ自尊心という、もっとも傷付きやすい部分の真ん中に、杭のように深く打ち込まれた。 人影が立ち去ってしばらくすると、先程脇腹を蹴られた男が、ようやく起きあがり、 立ち上がる気配を見せない短髪の男に、痛む脇腹を押さえながら、 呼吸もまだ完全に戻ってはいないのか、鼻声で呼びかけた。 「……ちょっかい出した相手がマズかったなぁ。 ゲホッ、それにしてもアイツなんだったんだろうね……」 そこまで口に出した時に、 短髪の男が、自分の言葉などまるで意識の外にあることに気が付いた。 その雰囲気にただならぬものを感じたのか、今度は恐る恐る声をかける。 「……ゆ、ゆき……お、……くん?」 短髪の男は、再度の呼びかけにすら、まったく意識を向ける様子もなく、 陰に籠もった声で、まるで呪詛の言葉を口にするかのように呟いた。 「――っ、あの野郎、忘れねぇぞ。 ………………忘れてたまるもんか、絶対に」 ・ ・ ・ 駅から程近い線路脇の道を、 一組の男女が楽しそうに会話を交わしながら歩いている。 上品なラズベリー色のシャツに、黒いスウェードのベスト、 そして、アイボリーのミニスカート、と言う出で立ちで、 アクティブな印象を与える女の子が、 隣を歩く、袖に黄色のラインの入った革ジャンを着た、長身の男に話しかける。 「そう言えばさぁ、この前会った、ちょっとかわいい子いたでしょ。 晴一くんの後輩の、あの子。なんて言ったっけ?」 問いかけて来た女の子に、歩みを停めず前を向いたまま答える。 「ん? 桂のこと? それにしても、アイツも気が付くと、面倒事ばっか背負い込んでるんだよなぁ。 しかも、自分のことじゃなくて、周りの人間のことでだぜ。 ……もぅ少し自分が楽できる方法見つけりゃいいのに」 「あ、そうそう桂くんって言ったよね。 でも、晴一くん。 もし桂くんが、人を踏み台にしてまで楽をするような子だったら、 そんなに可愛がったりしないでしょ?」 「確かにそーかもなぁ」 「……それにね。ムリしてるのかも知れないけど、 そうやって頑張ってるトコが、かわいいんだからっ」 トトっと、何歩か駆け出して、振り返って笑いかける女の子に、 男は、いたずらっぽい笑みを返しながら応じた。 「まぁ、あと半年もすれば、おまえの後輩にもなるよ。 アイツなら、よっぽどのコトがない限り、ウチのガッコに来るだろうし。 それに桂のヤツ、ああ見えても成績いいからなぁ」 「ふふふーん。その時はお姉さまの魅力でメロメロにしちゃおっかなー」 そんな他愛のない話をしながら、 2人は並んで、高架下の、何台かの自転車やバイクが停めてある空き地に辿り着いた。 その時、轟音を立てて、その脇の道路を大型トラックが通り過ぎた。 そのヘッドライトの光で、自分の白いバイクが浮かび上がる。 それと共に、自分のブロスに、もたれかかっている人影も見えた。 目を凝らしてみると、14、5歳くらいの少年のようだった。 「……んっ? 誰かいるなぁ」 「どぅしたの?」 少年に気付かずに、進もうとする女の子を手で制すと、 俯いたままの人影に呼びかけた。 「おーい、少年。 俺のバイクからどいてくんない?」 「………………」 少年は返事をすることもなく、押し黙っていたので、 晴一は、剣呑なものを感じつつも、自分のバイクに寄りかかっている人影に近付いた。 ピクリとも動かないその少年の肩に、手を伸ばしかけたその瞬間、 突然、少年の右腕が跳ね上がり、拳が晴一の顔面めがけて奔った。 向かってくるその拳を、晴一は反射的に手で払いのけると、 やれやれ、といった調子でボヤいた。 「……ったく、女連れに絡むんじゃないっつーの。 そんくらいは最低限のルールだろうが」 「………………」 たしなめる晴一の言葉にも、微塵も反応を見せずに、 少年は、じっと晴一を見据えていた。 睨み付ける、とは違う、どこか思い詰めたような眼差し。 そこに言い様のない悲しさみたいなものを、晴一は感じた。 その瞬間、学校の友人や、遊び仲間が話していた、ある事柄に思い当たった。 「ははぁーん、ここ2、3日のところ、噂になってるってのは君のコトだな、少年?」 思い出した事柄を、目の前に立つ少年に問いかけながら、 その寒々しい眼から、視線を外すことなく連れていた女の子に呼びかける。 「……悪いね、ちょーっと送っていってあげられそうにないからさ。 先に帰っててくれるかな。後でTELするからさ」 少し離れた位置にいた女の子はそう告げると、この一触即発とも言える空気の中で、 別段慌てもせずに、ふぅっ、と1つ溜息をつき、両手を腰に当てると、 「もぅ、しょうがないなぁ。……忘れないでちゃんと電話してよね」 それだけ言って、今やってきた道に引き返していった。 空き地を出ていくのを視界の隅に確認すると、 晴一は首を左右にコキコキと鳴らして、目の前に立つ少年にあらためて話しかけた。 「……さて、と。 これで女の子を巻き込むことも無くなったことだし。 心おきなく殴り合いも出来るってもんだ。 けど、いきなりメガトンパンチをお見舞いしてくれた理由くらい聴かせてもらいたいね」 「……うるせぇ。俺もオマエも生きる意味なんて無ぇんだ。 それなら、ここで怪我をしようが、死んじまおうが大差無ぇだろ」 緊張感のカケラもない物言いをする晴一に向かって、 少年の表情が、今までの感情を押し殺すようなものから、 先程の揉め事――勿論、晴一が知る由もないが――で見せた、 凍てつくような厳しい目つきへと変わった。 その醒めた眼を見たと同時に、晴一の背筋に電撃のように戦慄が駆け抜けた。 しかし、眼を逸らすことはなく、真っ向からその視線を受け止めると、尚も言葉を口にする。 「生きる意味? 随分と観念的な言葉だな。 そんなセリフが1番意味が無ぇよ。 人間だって所詮は動物。生きることに意味なんて要らないんだよ。 ただ、生きるだけだ。 ……その結果に意味が付いてくれば、そりゃ最高だけどな」 自分の言ったセリフが面映ゆかったのか、晴一はそこまで言うと照れくさそうに笑い、 あらためて少年を見やると、 少年は、デニムのポケットに左手を突っ込んで、中を探っているのが見えた。 直後、晴一に向かって、何か光るものが風を切って迫る。 飛んできたのは、ニッケルで出来た硬貨。 晴一は右足を引き、半身になってそれをかわす。 その瞬間、死角になった左側から、少年の呵責無い右拳が顔面を捉えた。 頬骨の辺りから、痺れにも似た衝撃が、頭の中を激しく掻き回す。 しかし晴一は、そのまま動かなくなるといったような愚は犯さず、 殴られた頬をさすりつつ、スッと後ろに下がり間合いを離した。 だが、それを追うように、攻勢に回った少年は大きく踏み込み、 一気に勝負を決しようと、体重を乗せた左拳を晴一の顔めがけて真っ直ぐに突き出した。 晴一は繰り出された拳を、落ち着いて左に跳んで避けると同時に、 少年の踏み込んでいた左足を払うように、蹴りを飛ばす。 突然バランスを崩され、少年の身体が泳いだところに、 下から打ち上げるように、その腹部に膝を叩き込んだ。 身体が浮きあがったかと思うほどの衝撃、次いでやってきた痛みに、少年の上体がガクンと沈み込む。 その機を逃さず、無防備となった首筋に、晴一は拳を叩き下ろす。 その一撃が決着を告げ、大きく視界が揺らぎ、目の前を闇が降り積もるように覆っていく。 ただでさえ暗い闇が、尚一層濃くなったとき、少年は地面に倒れ伏した。 ・ ・ ・ 冷たく硬いものが額に触れる感触。 ゆっくりと瞼を開けると、未だ定まらない視界を赤いものが埋めていた。 2、3度瞬きをして眼の焦点を合わせ、再びその赤いものを見ると、 それは見慣れたデザインの缶ジュースだった。 眼を覚ましたことに気が付いた晴一が、額に押し当てていた缶を、 少年の手に握らせた。 「いやー、痛ぇこと痛ぇこと。 オマエみたいなヤツとは2度と殴りっこしたくねぇよ、ホントに。 ……ほいじゃ、話が途中だったからな。続き聴かせてもらおうか。 なんで、こんなマネしてるんだ?」 パタパタと両手を振って、大袈裟なジェスチャーを見せながらも、 平然とした晴一の様子に、少年は呆れたように小さく溜息をつくと、 プルタブを開けて、缶の中身を喉に流し込む。 この夜、立て続けに緊張を強いられ、カラカラに乾いていた喉に、 炭酸の刺激が、ピリピリと喉を刺した。 ふぅっ、と1つ大きく息をつくと、 人心地がついたのか、ぶっきらぼうながらも、晴一の問いに応える。 「……どうだっていいだろ。 さっきも言ったけどな、どうせ俺なんて、生きてたって死んだって大差無ぇんだからよ」 「ふぅーん。じゃあ、ちょっくら付き合ってもらおうか」 「何する気だよ?」 「生きてくことに未練なんか無いんだろ? なら、今更ビビることなんて何にもないはずだ。 ……しばらく黙って付き合いな」 どこか不安そうな調子で聞き返す少年に、 晴一は珍しく凄みのある声でそう言い放ち、唇の端から伝う血を親指で拭うと、 へたりこむように腰を下ろした少年から離れ、 ブロスのシートの中から、工具と一緒にしまい込まれていたビニールテープを取り出し、 エンジンをかけると、タンデムシートに、すっかりおとなしくなった少年を逆向きに座らせ、 ヘルメットを被らせた後、自分もバイクに跨り、 自分の腰の前で少年の手を、後ろ手に組ませると、 手首をしっかりとビニールテープでグルグル巻きにした。 「それじゃ行くぜ、死にたがりクン」 その言葉を合図に、勢い良く右手を捻ると、 猛々しい咆吼をあげて、ブロスは駆け出した。 ・ ・ ・ ヘルメットのシールド越しと言う、初めて味わう狭められた視界。 しかも、後ろ向きなので、周りの状況も掴めない。 だが、前を向こうにも、後ろ手に手首を組んでいるこの姿勢では、 如何ともしがたく、せいぜい首を横に向けるのが精一杯だった。 それでも、すこしでも情報を得るために、首を左に回した瞬間、 目の前に、バスの車体が現れた。 突然眼に映った巨大な質量に、声も出せないくらいの恐ろしさを感じる。 そのバスの横を、かすめそうなくらいスレスレの距離で、 スピードも緩めずに一気に駆け抜け、後方へと追いやった。 その後も、クルマを抜き去る度に、 ヘルメットに収まりきれなかった髪の毛が、鞭のように首筋を打ち付ける。 追い抜いたクルマとの速度差を考えると、 常軌を逸したスピードで走っていることが容易に想像できる。 そして、交差点やカーブの度に、激しいブレーキングによる減速、 意識が置いていかれそうな加速で、身体が前後に揺さぶられる。 予期せぬ加減速。 それだけでも恐ろしいのに、その上、右へ左へ車体は大きく傾き、 アスファルトの路面が近付いて、視界を埋め尽くす。 その度に座席から投げ出されそうになる。 何度となく、心臓が口から飛び出そうなほどの恐怖を感じた。 ――死ぬことが怖かった。 そう思って、後ろ手に組まされた手に力が籠もった。 その瞬間、晴一は、車体を左に傾けると同時に、ガッとブレーキペダルを踏み込んだ。 リアタイヤが、けたたましくスキール音をたてて滑り出し、 車体は向きを変えたものの、慣性によってそのまま真っ直ぐに進んでいった。 ヘルメットから見える景色が真横に流れていく。 それは本当に短い時間だったはずなのに、少年にはとても長く感じた。 晴一は横滑りした車体を抑え込むと、ブロスを停車させた。 それがこの地獄のようなタンデムツーリングの終わりだった。 停まった場所は、小さな公園。 晴一は、サイドスタンドをかけると、少年の手首を固定していたテープを剥がす。 タンデムシートから降りた少年は、 地面に足が着いているという安堵と、緊張から解放されたことで力が抜けたのか、 ヘルメットを外すと、ペタンとその場に座り込んでしまった。 少年の手からヘルメットを受け取り、ミラーに引っかけながら晴一が確認するように尋ねる。 「……な? 死ぬかもしれない、ってのは怖いだろ? 降りたときに、生きてる、ってコトに安心しただろ? それでもまだ、自分が生きるのも死ぬのも、どうでもいいって考えてるか?」 その質問に少年は力無くかぶりを振って応えると、 ポツリポツリと呟きを洩らすように話し始めた。 「……母親が死んだんだ」 晴一は言葉を差し挟むこともなく、黙って少年の告白に耳を傾ける。 少年は、自分の言葉にその時の記憶が呼び起こされたのか、 段々と語気が強まっていく。 「……しばらく前から入院してた。 病状が悪化してることも、親父に聴かされてた。 にも関わらず、母さんが死んだ夜、俺が何してたと思う? 遊び呆けてたんだよっ! 優しかった母さんの最期さえ看取れずにっ!!」 噴き出した感情は留まることを知らず、自分の意志とは関係なく心中を露わにする。 今までの痛切な叫びとはうってかわって沈んだ口調となっても、 まだ言葉は溢れ続けた。 「……あげくの果てが、自棄起こして暴れてる始末さ。 こんなもの単なる八つ当たりに過ぎない、そんなことは解ってるんだ。 俺の業(ごう)は、もう落ちねぇよ」 少年の諦めた響きを含んだ言葉に、 それまで黙って耳を傾けていた晴一が、軽く肩をすくめてしゃがみこむ。 座り込んでいる少年と目線の高さを同じくし、じっと眼を覗き込んだ。 まるで、心の奥底、考えていることすらも全て晒け出しているような錯覚に襲われ、 少年は、自分がひどく小さな存在であるように感じられ、目を逸らした。 まるで、晴一の瞳の中に映る自分の姿に堪えきれなかったかの如く。 「小難しい言葉使ってるな、ボクちゃん。 そーゆー言い廻しすれば、悲劇のヒーローに浸れて格好いいとでも思ってるのか? はっ、そんなモンは本質が伴わなきゃタダの見栄に過ぎねぇよ」 少年が自分から視線を外したことを、晴一はまったく意に介した様子も見せず、 取りようによっては、ひどい嘲りとも言える言葉を口にした。 ただ、そのからかっているとも取れる言葉とは裏腹に、 真摯な表情で少年を真っ直ぐに見つめていた。 「何だとっ!?」 そのバカにしたような晴一の言葉に、再び激しい感情を呼び起こされ、 横を向いていた少年は、その感情を叩き付けようと、叫びと共に晴一の方に向き直る。 しかし、真剣な表情で見つめる晴一の眼差しに気圧され、 それ以上反発することも出来ず、ぐっと言葉を呑み込んだ。 「……違うってのか? じゃあ言わせてもらうぞ。 俺はオマエじゃないから、その気持ちを完全に理解するコトなんて出来やしない。 でも1つハッキリしてるコトはあるな。 オマエ、今楽しくねーだろ。 どんなに憂さを晴らそうと思って、 そこらの悪ガキにイライラぶつけて、それこそ噂になるくらい暴れ回ったところで、 自分の中でモヤモヤが溜まっていくだけ。 んで、自分でもそれに気付いてる。 それなのに、そのことをやめられない。 ちょっと口幅ったいけどな、そんなコト続けたところで、誰も喜ぶ人間なんて居ないぜ。 勿論、オマエの母親も含めてな」 一言一言噛み含めるように言葉を紡いでいく。 少年は、その言葉に打ちひしがれ頭を垂れた。 「……じゃあ、どうしろって言うんだよ?」 少年は項垂れたまま、呻くような声で、どうにかそれだけ言うことが出来た。 その質問に、晴一は顎に手を添え、眼を閉じて僅かに黙考した後、 穏やかに、確かめるように、ゆっくりと口を開く。 「生憎だけど、俺はカウンセラーじゃないんでね、あとは自分で考えてみることだ。 どうせ、人から教えられた答えじゃ、納得なんか出来やしないだろ。 だったら、自分で自分の問いに飽きが来るくらいまで、考えて、考えて、考え込んでみなよ。 答えが出るかどうかはわからねぇけど、 その頃には朧気ながらでも、自分と周りってものが少しは見えてくるかもしれないぜ」 そこまで言うと、晴一は少年に背を向けて立ち上がり、 手に持っていたままだった、ビニールテープを丸めたモノをゴミ箱に放り投げる。 「……自分で考える、か。 ……そうだな……そうかもしれないな」 そう小さく呟く少年の言葉は、秋の夜の空気をほんの僅かに震わせ、 溶けるように消えていった。 その顔からは、先程までの荒んだ雰囲気は和らぎ、 落ち着いた表情をのぞかせていた。 少年の表情の変化を感じ取った晴一は、口許に淡い微笑を浮かべたかと思うと、 何かを閃いたのか、突然手を大きく打ち鳴らして、 その音に面を上げた少年の方に向き直り、殊更明るい声で聴いてきた。 「そういえば今更だけど、名前も聴いてなかったよな。 俺は紺野 晴一って言うんだ。よろしくな」 今までの経緯など何ら気にした様子もなく、そう言って笑いながら自己紹介を始める晴一。 その笑顔は、向けられた人間の警戒心など、どこ吹く風といったような、無邪気な顔だった。 その笑いに毒気を抜かれたのか、少年はへたりこんだまま返事を返した。 「……桐弥。葉月 桐弥」 ◆去来◆ (……あれからしばらく経ってからだったよな。晴一さんにまた会ったのは……) 桐弥は、物思いに耽っている間に空になってしまったコーヒーカップを置いて、 何をするでもなく、窓の外を眺めていた。 すると、晴一の白いCB、大貴の青いグースが立て続けに店の前で停まった。 「へっへー、大貴遅っせえぞ」 子供みたいに勝ち誇る晴一に続いて、 大貴と那緒が揃って入ってきた。 「ズルいですよ、晴一さん。 こっちは2人乗りだし、第一、マシンが違いすぎますよぉ」 「聞こえなーい。聞こえなーい」 愚痴る大貴に、両手で耳を押さえながら、 晴一は、桐弥の前に腰を下ろした。 そんなやりとりを、那緒は笑って見ていた。 「なんだよ、みんなしてテスト勉強もしないで」 結局、桐弥の座っていた窓際のテーブル席に腰を落ち着けた面々に、 桐弥は軽い皮肉を投げかけた。 その発言に那緒が、間髪入れずに切り返す。 「随分とご挨拶じゃない、桐弥くん。 でも残念でしたっ。今まで図書館で大貴くんと勉強してたんだからねっ」 「日曜の朝っぱらからお勉強かぁ。ご苦労様だねぇ、高校生諸君は」 そんな茶々を入れるだけ入れて、 我関せず、という表情でメニューに目を通し始める晴一に、 一瞬、場の空気が凍り付き、恨みがましい視線が高校生達から向けられる。 その雰囲気を変えようと、大貴が口を開く。 「けど、別に約束したわけでもないのに、こんなにみんなが集まってる、ってコトはさ。 この調子だと、全員揃っちゃうんじゃ……」 と、大貴の言葉の途中で、車の止まる音が聞こえた。 そして、入口のドアベルが来訪者の訪れを告げた。 その音に皆が揃って視線を向ける。 その先に立っていたのは、桂と紗耶。 次の瞬間、顔を見合わせて笑い出す 状況を理解できずにキョトンとしている紗耶。 ははーん、と状況を把握したらしい桂。 「ここに来る途中で、平河さん見かけてさぁ、 聴いてみたら平河さんも、ここにくるつもりって言ってたから一緒に来たんだけど。 ……まさか、こんなに揃いも揃ってるとはなぁ」 桂のその言葉に、またも皆が顔をほころばせる。 それを皮切りに、談笑が始まった。 ――――よく晴れた秋の日曜日の午後、 『フォレスト』の店内は今日も柔らかな空気に満たされていた。 ――――The End『ExtraEdition0』―――