Judea’s Kiss


Judea’s Kiss ExtraEdition −Holiday After Fever−
◆A.M7:11◆

月曜の朝。少し雲がかかっているものの、いい天気と言って差し支えはない。
桐弥は、コーヒーカップを洗い終わると、戸締まりをして駐車場に停めてあるバイクへと向かった。
桂は、眠そうにクルマを自分の家へ走らせていた。
大貴は、疲れているのか、まだ眠っていた。
那緒は、家族と朝食を摂っていた。
紗耶は、眼は醒めていたが、ベッドに横になったまま苦しそうに顔を上気させていた。

◆A.M8:47◆

H・Rが終わっても現れない紗耶。
担任にも連絡が来ていないらしく、誰も理由を知らなかった。

「桐弥くんっ。紗耶どうしたの?」と那緒。
「おいっ、桐弥。オマエまさか平河さんが寝込むような事したんじゃないだろうな!?」と桂。

担任が教室を出ると、窓際の桐弥の席に集まって質問を投げかける。

「そんないっぺんに質問するなよ、俺にだってわかんないんだから。
 けど藤代ぉ、
 昨日俺が平河さんの家の近くまで送ってったのは7時過ぎくらいだったけどな。
 その後、電話とかしてないの?
 ……あと、桂。
 何だよ寝込むような事って? そんなに信用無いのか、俺?」

自嘲めいた笑みを浮かべて、桂に問い返す。

「なに、桐弥。平河さんとなにかあったの?」

眠そうな眼を擦りながら、大貴がいつも通りの口調で話に入ってくる。

「昨日ちょっと一緒に出掛けてたんだよ」
「ふぅん、そーなんだ」

そうこうしているうちに、1時間目の授業が始まり、
結局、紗耶が現れない原因はわからないままだった。


◆P.M1:02◆

昼休みも終わりに近づき、午後の授業が始まる少し手前の時間。
那緒はケータイから、紗耶の家に電話をかけていた。

「……あ、紗耶? どぅしたの、大丈夫? ……うん、それで?
 えっ、おじさんもおばさんも旅行中!? ……食べなきゃダメだよっ!
 とにかく学校終わったら、お見舞いに行くから暖かくして寝てるんだよ。
 ……うん、じゃああとでね」

電話を切ると、那緒は今の会話の内容を桐弥達に伝えた。

「お見舞いに行くんでしょ? じゃあ、僕も付き合うよ」
「ありがと、大貴くん」
「けど平河さんの家って、ちょっと遠いって前に言ってなかったっけ、那緒?」
「うん、そぅなんだよね。 ……どうしよっか?」
「それじゃ、ここでウダウダしてられないな。 俺、一回帰ってクルマ取ってくるわ」

得意げな顔で、桂は立ち上がると帰り支度を始める。

「じゃあ、授業が終わったらTELしてくれよ」

それだけ言い残すと、教室からとっとと出ていった。

「あ。桐弥くんはどぅするの?」

桂が出ていくのを見送った後、那緒は桐弥に聴いた。
今日は空席のままだった紗耶の席を眺めていた桐弥は、その声に振り返ると、

「悪ぃ、今日寄らなきゃいけないとこが出来たから。
 先に行っててくれるかな?」
「……うん」

どこか納得しきれない表情ながらも渋々と那緒は頷いた。


◆P.M3:31◆

桂のスープラで、紗耶の家に向かう3人。
くわえ煙草のままハンドルを握っていた桂が誰に聞かせるでもなく呟く。

「桐弥のヤツ、『寄らなきゃいけないとこが出来た』って言ったのか……
 どこに寄ってくつもりなんだか……?」

助手席に座っていた那緒が、その言葉を聞くとちょっと残念そうな顔をして言った。

「桐弥くん、紗耶が心配じゃないのかなぁ……
 そんな薄情な人じゃないと思ってたんだけど……」
「んー、大丈夫、桐弥は来るよ。『先に行ってて』って言ったんだから」

後部座席で狭っ苦しそうにしている大貴が、
相も変わらず人を疑うことを知らないような、のほほんとした口振りで言った。

「うんっ。そうだよねっ」

表情を一転して明るいものに変えて、那緒が言った。


◆P.M3:34◆

『フォレスト』から出てくる桐弥。

「さて、あとは……」

手に持ったビニール袋に一瞬眼を向けると、何かを思いだしたのか、急いだ様子でブロスに跨った。


◆P.M3:51◆

――カチャ。
ドアが力無く開けられると、
パジャマの上にサイズの合わない、大きめの白いスイングトップを羽織った紗耶の姿が眼に映った。

「……あ。みんなで来てくれたんだ。……ごめんなさい、心配かけちゃったみたいで」
「そんな事いいんだってば。ほら、横になってなくっちゃ……って、
 ドア開けて貰わなくちゃ、入れなかったんだからしょうがないけど」

那緒は、そう言うと紗耶を支えるようにして、階段を上がっていった。
玄関で靴を脱ぐと、桂がその後を追う。
大貴はみんなの靴を揃えなおしてから後に続いた。

「……あのスイングトップ、どっかで見覚えあるな」
「神村さんも? 僕もどこかで見た様な気がするんだけど……」

階段の下で、お互いの朧気な記憶を補おうとするように、
独り言とも会話ともつかないような言葉を交わす。
しばし顔を見合わせても、忘却の霧の中から答えを見つけることは出来ず、
なんとなく釈然としないまま、2人は首を傾げながら階段を上がっていった。

「いっけない。何か差し入れ買ってこようと思ってたのに、慌ててたから、すっかり忘れちゃったよぉっ」

大貴と桂が部屋に入ろうとすると、紗耶をベッドに寝かしつけた那緒が、
すがる様な顔をして2人の方を見た。

「じゃあ、俺と大貴でちょっと何か買ってくるよ」
「うん、そーだね。それじゃ那緒、しっかり平河さんの看病してて」

桂と大貴が入ったばかりのドアから、また外に向かおうとすると、

――TRRRRR、TRRRRR...

携帯電話の呼び出し音が響いた。

「もしもし…… え? 公園からの道がわからない?
 まず、その信号を左に行って・・・」

話が終わって、ケータイをしまうと桂は腰を下ろした。

「買い物行く必要なくなったな。あと少しでシェフが到着するよ」
「……今の電話、桐弥だったの?」

電話が終わるのをドアの近くで所在なげに待っていた大貴が聴く。
その大貴の発言に驚いている紗耶。

「ああ、アイツもタイミング良く現れるもんだ」
「……けど、シェフってどうゆう事?」

那緒が不思議そうに尋ねる。

「桐弥、自分の家で食事するときは大抵自分で造ってるからな。
 結構料理うまいんだよ」 
「なんか意外だなぁ、桐弥くんが家事やってるなんて」
「親父さんが生活が不規則だからなぁ、いつの間にか覚えたらしいぜ。
 あの親父さんも工業デザイナーらしいけど、デタラメな生活してるからなぁ」
「お母さんは?」
「……ん、まぁ、細かいことは気にするなよ」

いつもとほとんど変わらない、けれど、どこかやるせない表情を浮かべた桂を、
那緒はさっきとは違った意味で不思議そうに見つめた。
ベッドに横たわっている紗耶も気になったけれど、
今のぼぅっとした熱っぽい頭でも、その話の続きは決して興味半分で触れちゃいけない匂いがした。

――――――!
「あ、来たみたいだね」
「シェフのご到着だ、出迎えてやるか」

そんな言葉を交わしながら立ち上がる男達2人に、那緒と紗耶が揃って不思議そうな眼を向ける。
視線に気付くことも無く大貴達は玄関へ向かった。

「お邪魔します……で、平河さんの具合は?」
「だいぶ落ち着いたみたいだけど、まだ少し熱っぽいみたいだね」
「それに昨晩から何も食べてないらしいからな」
「それなら―――」

紗耶の部屋に戻ってきた桂と大貴の2人に、那緒は気になっていた疑問をぶつけた。

「ねぇ、2人共なんで桐弥くんが来たのがわかったの?」
「なんで……って、音だよなぁ。 ……大貴もそうだろ?」
「うん」
「……音?」

那緒は余計に疑問が深まってしまった面持ちで問い返す。

「う〜ん、なんて言ったらいいのかな。
 慣れてくるとさ、排気音って、声とか話し方みたいにある程度判別できるんだよね」
「そ。同じモノに乗ってても操るヤツによっても、また変わってくるしな」
「ふぅん、そうなんだぁ」
「……それで、桐弥くんはどうしたの?」

ベッドの紗耶からの問いかけに、皆がほんの少しの違和感を感じた。
那緒が、嬉しそうに微笑む。
桂が、納得した様子でうんうんと頷く。
大貴が、しきりに頭をひねっている。

「ああ、アイツまだ玄関だ。それで、台所借りていいか聴いてきてくれって頼まれてたんだ」
「えっ……? いいよ、そんなわざわざ手間掛けてもらわなくっても。
 ……わたしなら大丈夫だから」
「ふふっ、甘えときなよ、紗耶。その内、こっちがお返ししてあげればいいんだから」

微熱で火照っている顔を、更に真っ赤にする紗耶。
悪戯っぽい眼で、やんわりと紗耶の拒否を受け流す那緒。

「じゃ、決まりだね」

那緒の決定に、今度は紗耶も口を挟まなかった。


◆P.M4:59◆

「随分と美味そうな匂いしてきたな」
「うん、僕もお腹空いちゃったよ」
「もぅ大貴くんったら」
「ホントに手伝わなくってよかったのかなぁ……」
「紗耶は病人なんだから、いいのっ」
「じゃあ那緒ちゃんは、なんで手伝わなかっ―――」

桂は言葉の途中で、那緒のジト目に気が付いて、
ヘビに睨まれたカエルみたいにそれ以上喋れなくなる。
大貴は、その光景から逃避するように窓から外を眺めていた。

「……おーい、運ぶの手伝ってくれー」
「わかったー」

階下からの呼びかけに救われ、そそくさと部屋を出ていく桂。
飄々とその後に続く大貴。
ぷぅっと頬を膨らませて那緒も後を追う。

「ひゃぁ…… 美味しそうっ」

眼を輝かせて那緒がテーブルの上を凝視する。
そこには、林檎のソースがかかったパンケーキ、ベーコンとジャガイモのコンソメスープ、
山芋を細く切ったサラダが並んでいた。
ベッドの端に身体をもたれかけて、上半身を起こした紗耶もお盆の上の料理に驚いていた。

「簡単なものばっかで申し訳ないけどね」

照れくさそうにしながら、桐弥も腰を下ろそうとした。

「いけねっ、忘れてた。 平河さん、ミキサーがあったら悪いけど貸してくれないかな」
「……確かキッチンの下の棚にあったはずだけど……?」

場所を聞くと、桐弥はすぐにキッチンに向かった。
戻ってきた桐弥の手にはミキサーとストロベリーのアイス、それと牛乳があった。
ミキサーをセットすると、ここに来るときに提げていたビニール袋から、
密封パックに入ったシロップ漬けの苺と、半分にカットされたレモンを取り出す。

「バニラエッセンスが無いのがちょっと残念だけどね」

そう言って材料を放り込むとミキサーを回し始める。
時々止めてはレモンを搾りながら作業を続けていった。

「はいっ、特製シェイクの出来上がり」
「ドリンクまでお手製かよ。桐弥、オマエはいつでも嫁さんに行けるな」
「……褒められてる気がしないな」

桂と桐弥がそんな冗談を飛ばし合っているうちに、全員にシェイクが行き渡った。

「……美味しい」
「こんな簡単に出来るの?」

紗耶は、甘く涼やかに喉を潤す飲み物の味に感動し、
那緒は、味も気に入っていたが、それ以上に調理の簡単さに感動していた。

「この時期、苺なんて早々無いからさ、
 途中で『フォレスト』行って、マスターからケーキ用のヤツもらってきちゃったよ。
 ……ついでに林檎のソースも」

笑いながらそう言うと、桐弥もシェイクを口に運んだ。


◆P.M6:40◆

後片付けを終えて、みんなでしばらくの間談笑していたが、
いつまでも長居するわけにはいかないので、帰ることになった。
紗耶が、玄関まで見送らせてと言うのを全員が辞去しようとしたが、その意思は堅かった。
薄闇が空気を染める中、玄関を出る。

「紗耶、暖かくして寝るんだよ」

まるで母親の様に言う那緒。

「平河さん、お大事にね」

のんびりした口調で声をかける大貴。

「明日は元気に学校来てくれよな」
 
殊更陽気に言う桂。
思い思いの言葉を残して3人は、クルマに乗り込んでいった。

「……俺の言う台詞が無くなっちまったな」

エンジンを掛けたままバイクに跨っていた桐弥が苦笑いする。
その時、じっと見つめている紗耶と眼が合った。

「あ、そのスイングトップ……」
「ごめんなさい、勝手に着ちゃって…… ちゃんと洗濯して返します」
「いいっていいって、そんな大層なモノじゃないし。よければ持っててよ」
「……いいの?」
「構わないって」
「……うん、じゃぁ申し訳ないけど……」
「気にしなくていいってば」
「うん……」

まだ気になるのか遠慮がちに頷く。
そんな紗耶を見ながらヘルメットをかぶる桐弥。

「……あの桐弥くん、今日は、その……どうもありがとう」
「平河さんの顔見れないと寂しいからさ。それに昨日連れ回しちゃって、ちょっと心配だったからね。
 それじゃあ、また明日、学校で」

それだけ言うと、桐弥はバイクを走らせた。

「……『寂しい』? 『心配』?
 それ、友達としてなの? ……それとも……」 

――――その問いに答える者はいない。
    ただ秋の始まりを告げるように少しだけ冷たい風が吹いていた。

              ――――The End『ExtraEdition1(+2)』―――

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