影の邂逅

                        火鱗


   ぽたり

右手のレイピアの刃先から雫が落ちる。
赤い血だまりの中に転がるモノを見下ろし、ヘクタルは一つ溜息をついた。
 それは数日前までヘクタルの部下であった男だ。
彼はヘクタルの副官を務めていた有能なシーフであった。
ルキアルの配下と密通さえしていなければ、今も副官であったはずである。
 『任務完了…だね。流石は影将、コロシも一流ってわけだね!キャハハハハ!』
ヘクタルの背後でむくりと立ちあがったのは、小さなクマのぬいぐるみ。
それがよちよちと手を叩きながら哄笑を上げている。

   ドン

 ヘクタルの背後に現れた戦乙女(バルキリー)の投げた槍がクマのぬいぐるみを壁に縫い止めた。
「…悪趣味な真似はやめろ。」
『痛いなァ…そんなに怒らなくてもいいじゃない』
「さっさと出て来い」
ヘクタルの声にぬいぐるみはその動きを止め、その横に一人の女性が現れる。
「…ジラ、つまらんことに精神力を使うな。」
ジラと呼ばれたその女性は床に落ちているぬいぐるみを拾い上げると丁寧に埃を払った。
「それはお互い様でしょうに…。
でも、役に立ったでしょ?この子のおかげでこの隠れ家を見つける事が出来たんだし」
「お前の能力が役に立つことは認めよう」
ヘクタルはレイピアの刃を布で拭い、鞘に収める。
「お褒め頂き光栄の至り…。でもまだ慣れてないのよ。だから、練習も兼ねて…ね」
 再びクマのぬいぐるみは床に降ろされた。
そして、古代語の詠唱が流れ、ジラの右手のすべての指先に魔力のほのかな光がともる。
ジラが目を閉じて指先を微妙に動かすとぬいぐるみは自らの力で起き上がり、優雅によちよちと一礼をした。
『本日をもって影将ヘクタル様の副官に就任いたします。ジラ・サーカインと申します。
特技はご覧の通り、人形(マリオネット)でございます。…どうかよろしくお願い致します』
ヘクタルはジラに一瞥をくれると冷たい笑みを浮かべた。
「…そして、この男と同じ末路をたどる…か?
前の配属先、アザーン方面の司令エレアスの挙動がおかしいらしいな…ベルクのヤツは要注意に指定していたぞ?」
クマのぬいぐるみは力を失い倒れ付す。
ジラはゆっくり目を開けると寂しげに笑った。
「確かに2年前の私ならあの方のために2重スパイくらいやったかもしれないわね。
でも…振られちゃったしな…ちょっと今はそんな事できそうにないわ」
ヘクタルはかがんで死体にマントをかぶせ、しばし瞑目すると静かに立ちあがった。
「どうやら貧乏クジを引いたようだな。こんなトコに配属を希望するとは。……報告に戻るぞ。」
「承知しましたわ。マイマスター」
そして、『瞬間移動』の詠唱だけがその場に残された。

 そこは西部のとある山脈の一つ。
その中のひとつだけ幻影で作られた偽りの山がある。
その幻の山に隠されし正体は城、秘密組織『漆黒の炎』の本部、幻まといし古代の砦、『幻魔城』である。
その一室で首領『神将』マリアは大幹部、三将軍の一人、『智将』ベルクの報告書に目を落としていた。
「…ベルク、貴方私になにか隠し事してない?」
唐突に言うとマリアはベルクの顔をうかがう。
「な、なんのことでしょうか?」
ベルクは笑顔をなんとか保っていたが、マリアはベルクの額に流れる冷や汗を見逃さなかった。
「話してくれるわね」
マリアはにっこりと笑うと全身から殺気を放つ。
ベルクの冒険者のカン(危険感知が無いので平目)は6ゾロで身の危険を告げていた。
「うぐっ…そのぉ、多分聞かない方がいいですよ?」
「話して頂戴」
「知らぬが仏と申しますし…」
「…言え」
「イエッサー!」
ベルクは書類の束を取りだし机に置いた。
「魔将殿の陣営の予算オーバー分の目録です」
マリアはベルクから聞き出した事を激しく後悔した。
「こんなにオーバーしてるの?…って目録?申請書でなくて?」
「…申請書の…いえ、請求書の目録です」
沈痛な面持ちでベルクは残酷な事実を告げた。
「目録だけでこんなに?冗談でしょ?」
「残念ながら事実です。隠しておいてなんとかこちらでやりくりしておこうと思ったのですが…」
マリアは書類の束を眺めたまま硬直していたが、ゆっくりと怒りの精霊力を周囲に放射しながら立ちあがった。
「…ライムは今何処に?」
「恐らく魔法実験室と思われます。」
「コロス!」
マリアはベルクをほうって部屋を出ていった。
ベルクはそれを止めるような命知らずな事はせず、ただ、同僚の三将軍の一人、『魔将』ライムの冥福を祈るのだった。
「気付かなかったのか…それとも、気付かないふりをしてくれたのか…」
自室へと戻る途中、ベルクは一人つぶやいた。
隠し事は他にもあったのだ。
それは恐れ多い事であった。ベルクは首領マリアにも秘密にある部署を新設していたのである。
それは『影将』ヘクタルをリーダーとする部署であった。ベルクは独断で三将軍に四人目の将軍を加えたのである。
『漆黒の炎』前首領フェイリスは手段を選ぶ事はしない人物であった。戦力増強のために前魔将に魔獣創造の人体実験を命じ、
レッサーバンパイアワーウルフを量産するために人間に意図的にワーウルフを感染させる実験の指揮をベルクに命じ、
スポーンの研究のために三将軍の一人、『闘将』レベッカに命じて、エルフから黄金樹の枝を強奪した事もあった。
無論早急に強力な戦力を整えなければならない理由あってのことではあったが…。
 今、そうして整えた戦力の大半は失われ、首領と三将軍の一人、魔将は代替わりをすることになった。
そしてフェイリスの後を継いで首領となったマリアは大きく組織の方針を転換し、うってかわってこういった
「汚い」手段を禁じたのである。
 戦力の回復が必要であるとは言え、以前とは違い、時間的な制約の無い今、
こういった手段の禁止は思ったほど問題にはならなかったが、やはり最低限必要な裏の仕事というものはある。
その重要性をマリアに語る事も可能ではあろうが…
ベルクは何故かそれを避けることにしたのだ。その理由については珍しい事にベルク自身も見出してはいなかった。
「任務は完了した」
虚空からヘクタルの声だけが響く。姿隠し(インビジビリティ)の呪文だ。
ベルクは足を止めずに答える。
「ご苦労様です。新たな副官ですが…」
「既に聞いている。」
「左様で。で、密通先は?」
「ロマールの軍師」
「ま、そんな所でしょう。それで…」
ベルクは途中で口を閉じた。後ろから走ってくるものがいたからだ。
「ベルク!」
それは近衛兵数人を率いた近衛隊長のラインであった。
「なにかありましたか?」
「侵入者だ。数カ所に下位魔神が数体づつくらい、
レベッカ将軍が迎撃してる。僕はマリア様の護衛に回らなきゃいけないんだけど、マリア様何処にいるか知らないか?部屋に居ないんだけど」
「先ほど魔法実験室の方へ行ったはずです」
「サンキュ!いくぞ、お前等!」
「ハッ!」
かけていく近衛隊を眺めながらベルクは考え込む。
「ふむ、レッサーデーモン数体でこの本部をどうにかできるとは思えません。…ライン君の読み通り、陽動でしょうね。
ただどうやってここへ侵入したのか…」
「…心当たりがある」
ベルクの言葉を遮って、ヘクタルが声を上げる。
「ほう…?参考までにお聞かせ頂けますか?」
しかし返事は無い。
「…。もう行かれましたか。即決即断、大変結構。さて、私も誰かと合流しましょう。……戦闘は苦手ですからね」
ベルクは苦笑しながらライン達が走り去ったほうへ歩き出した。

 その兵士は足を止めた。
「伝令御苦労…さて、伝令の内容を聞かせてくれ」
ヘクタルは通路によりかかったまま兵士を見やる。
「ハッ、侵入者です!それで侵入者の掃討に是非とも
ヘクタル様のお力もお借りしたいと…」
兵士は直立不動の姿勢で大声を張り上げる。
「分かった。案内しろ」
「ハッ!」
ヘクタルはレイピアを引き抜くと、先を歩く兵士に突き掛かった。しかし、兵士は飛び退いてそれをかわす。
「な…何をなさるのです!」
「正体を現せ、リベラ。いや…今はルキアル配下の
密偵キマイラと呼んだ方がいいか?」
兵士は兜を外しその軽く尖った耳を露出した。
「何で分かったのか教えて欲しいね。リーダー」
「簡単だ。オレの名前を知っていたからだ。
一般の兵士は俺の事を知らない。
もし仮に知っている者がいるとしてそれは客人としてだ。
客人に侵入者の撃退を頼むほどにはここの組織は戦力は低くないはずだからな
三文芝居だったな。相変わらず芝居の下手なヤツだ」
兵士…キマイラは肩をすくめて笑う。
「つまらん芝居で済まなかったな。生憎ボケ担当の相方が今日は留守番でね。」
ヘクタルはレイピアをキマイラに向け、構えをとる。
「…それとオレをリーダーと呼ぶな。昔の話だ…」
「つれないねぇ…。そういや、なんで、ここに来るって分かったんだい?」
「……死者に聞いた。狙いは古代の飛空挺だとな。」
「ああ、あんたの副官さんか。やれやれ…ちゃんとこっちの事も調べるだけは調べてたのか。
意外と優秀だったんだな。救出しといた方が得だったかな?」
キマイラはダガーを抜くと構えをとる。その刃は黒く塗られていた。『ダークブレイド』と呼ばれる暗殺者御用達の有名な毒である。
「冒険者時代からアンタとはやってみたいと思ってたんだ。剣はオレの方が上、呪文はあんたの方が上…だが、
ここは城の通路だ。精霊呪文はろくに使えんぜ?
さて、これでやりあうとどうなるかな?」
キマイラはそのまま流れるようにヘクタルに斬りかかった。数度切り結ぶがヘクタルは受け流すので精一杯だ。
「『……』」
「ウィスプでも呼ぶ気かい!?」
ヘクタルの動きが止まったのを見て、キマイラが必殺の攻撃を仕掛ける
しかし、ダガーはヘクタルの体に到達する直前に光輝くオーラのようなものに阻まれた。
「これはっ!?」
「…『戦乙女の祝福』(バルキリーブレッシング)」
ヘクタルの全身は鎧状に展開された光輝くオーラに包まれていた。
「さっきこれでやりあうとどうなるかと言ったな?決着はつかない…が答えだ」
キマイラはダガーを構えなおすと溜息をつく。
「ブレッシングかよ…忘れてたぜ。しかしお互い精霊使いだ。これ以上呪文を使えばシェイドの餌食、
しかしアンタの剣はオレには届かない…膠着だな」
「いや、膠着はもう終りだ。」
「何?」
「援軍が来た」
キマイラが振りかえるとそこには服などを展示するのによく使用するマネキンが立っていた。
『はーい、援軍でェ〜ス』
マネキンは場の空気にそぐわない陽気な声を上げた。
「……こいつ?」
キマイラは思わずヘクタルにたずねる。頭を掻きながらうなずくヘクタル。
『ヘクタル様の副官のジラでェ〜ス』
「まじかよ…」
顔をしかめているキマイラを無視してマネキンは陽気に笑う。
『では行きまァ〜ス』
マネキンは自分のやや長めの首を両手で掴むと、一気に頭ごと首を引き抜いた。
その首の先には剣がついており、マネキンは引き抜いた勢いでそのまま首の先の剣をキマイラに向かって振り降ろした。

    ぶおん

一瞬あっけに取られたキマイラだったが、慌ててその剣を避け、飛び退く。

    ごしゃぁ〜ん

床に盛大に剣がめり込む。
『ちぃぃ…水鳥剣(仮)、ハズしたでェ〜ス』
「さ、さすがに今のはちょっとビックリしたぞ…!
ヘクタルの旦那よ、今度の旦那の副官、ちょっとめちゃくちゃ過ぎないか?」
『失礼千万でェ〜ス』
「ああ、オレもちょっと悩み始めた所だ」
『ああん』
マネキンは剣を床からゆっくりと引き抜くと肩にかついでキマイラのほうへ再度向き直る。
その迫力(不気味さ?)に圧されてキマイラは1歩後ろに下がった。
「……ここらが潮時だな。今回はこの辺で失礼する事にするぜ」
キマイラの言葉にヘクタルは左手を精霊魔法のために準備する。
「…逃がすと思っているのか?」
マネキンも剣を振りかざす。
『抹殺でェ〜ス』
キマイラはフッと小馬鹿にしたように笑う。
「いや、帰らせていただくさ。そろそろ、相棒とのデートの待ち合わせ時間なんでな」
キマイラの言葉が終るのを待っていたかのようにキマイラの姿が霞み出し、そして消えて行く。
「!」
『逃げたデスか?』
キマイラが消えたのを確認するとマネキンはその動きを止めた。そして、その傍らにジラがテレポートで現れる。
「どうやって逃げたのかしら。幻魔城ではテレポートは中から中へは移動できるけど、中から外、外から中へは移動できないはずなのに…」
「『強制送還(リマンド)』だ」
ヘクタルの言葉にジラは驚きの表情を浮かべる。
「リマンドってあの召喚魔術の奥義のですか?」
「相方の待ち合わせの呼び出しなんだろうさ。しかし、この床…あとでベルクが言い訳に苦労しそうだな」
「あら、誰がやったのかしら?」
ジラはわざとらしく驚く。
「フン。まぁいい。我が副官殿よ、そろそろ我々も消えるとしよう」
ヘクタルはこちらに近づいてくる足音を聞きつけ、ジラの方に歩み寄った。
「承知しましたわ。マイマスター」
そして、マネキンと二人は程なくテレポートでその姿を消したのであった。

 追記、ベルクは結局その床の破損を酔ったライムの所為にしてごまかしたのであった。


                           【了】

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