長編小説『漆黒の炎』
第一話 狼
1
のどはからからに枯れ、息もかすれていた。
しかし、逃げなければならない。捕まる事は死を意味する。
逃げたモルモットは捕まれば殺されるのがさだめと言うものだ。
「…オレは…まだ死ぬつもりはねぇっ!」
自らの思考を振り払うかのように男は咆哮する。
しかし、ほどなく血まみれの足が止まる。
男の瞳は天に向いていた。
「や…べぇ……」
目を落とすと目前にこじんまりとした崩れかけた神殿の遺跡が見える。
「あ…とすこ………」
ひざが地面につく。
人影は地面に両手をついて激しく息をつく。
次の瞬間、影は人から獣へと姿を変えていた。
2
「護衛をお願いしたいのです」
知識神の司祭リストはそう依頼してきた。
報酬はまぁ、満足できる額だ。
「どうするよ兄者?」
一瞬オーガーかと見まちがう程の体躯を持った大男が、
隣の席に座って酒の入ったグラスを口にあてている細面のどちらかと言えば華奢な体格の男に声をかける。
「…ステフが来てからになるが…オレは受けてもいいと思う」
その二人はどう考えても兄弟などには見えない。
体格もそうだが顔の造詣がまったくといっていいほど違うのだ。
「ってことだ。リストさんよ」
その大男の名はガストン。巨人の住まうドゥーデント半島のとある集落で生まれたが、ある事情で旅の魔術士エイカーに養子として預けられた。
そのエイカーのもう一人の養子がガストンが兄者と呼んだ男である。名をヘクタルという。
「助かります。一応神官戦士が一人同行してくれる事になっているのですが…なにぶんうちはラーダの神殿…あまり、神官戦士はいないんですよ」
「まぁ、そうだろうな」
力で解決する事を嫌うラーダの神官に戦士は少ない。大抵は魔術士や賢者なのだ。
そして、リストは賢者であった。
「それで、ステファンさんはどちらに?」
「師に挨拶してくるとか言っていたな。
それより、詳しい話を聞かせてくれ。」
「は、はい。実はこのベルダインの街の北に非常に古い神殿の遺跡があるのですが…
それを今回私が調査する事になりまして」
「その調査の護衛ってわけだな!まかしときな」
ガストンは豪快に笑う。

「危険があるのか?」
ヘクタルはグラスに目を落としたままつぶやく。
「ええ、どうも噂では最近その神殿遺跡の周辺に狼が多数住み着いているとか…」
「狼くらいなら敵にならんぜ。なぁ、兄者?」
「…ん?ああ、そうだな」
「それは頼もしい」
一人ヘクタルの表情は浮かない。
(…狼が多数……こんな街の近くに…か)
3
形式通りの挨拶を終え、ステフは一礼すると、
師、ライトの部屋を出た。
ステフは古代語魔法を操るソーサラーだ。
しかし、彼は魔術師ギルドには所属していない。
魔術師ライトの開く小さな私塾で彼は魔術を習っていた。
魔術師ギルドがある以上、私塾と言うものは肩身が狭く、このライトの私塾も門下生はわずか数名のみであった。
「ステフ、聞いたわよ?旅に出るんですって?」
玄関から私塾を出ようとするステフにローブ姿の少女が声をかけた。
「ハンナ…、そうだよ。私は東の大国オランに行く。ずっと行って見たいと思っていたんだ」
「いいなぁ…あたしも一度でいいから旅をして見たいんだけど…兄さんが怒るから」
ステフは一瞬複雑な表情を浮かべたが、荷物を脇に降ろすと、頭を振ってハンナの両肩に手を置く。
「あまり、ルードヴィヒ…兄さんに心配かけてはいけないよ?」
「でも…!」
ステフはにっこり笑ってゆっくりと頭を振る。
「キミがそれを望む限り、機会は必ず訪れる。機会が訪れたら逃さずにそれを掴めばいい。
だから、それまではおとなしくしておくんだ。いいね?」
ハンナは少しはにかんだようにうなづいた。
「いい子だ」
ステフはハンナの両肩から手を離すと荷物を持って立ち上がった。
私塾の2階、ライトの自室の窓から、ライトとルードヴィヒはそれを見ていた。
「旅……許可なさったのですか?」
ライトは笑った。
「許可も何も…わしは門下生の自由を縛るほど偉くは無いよ」
「学院では当然でしたが…」
困惑した様子のルードヴィヒを見てライトは意地悪く笑う。
「学院の常識が全てこれ世界の常識とは限らんぞ?
お前さんのそういうマニュアル一辺倒なとこを直してやらんといかんようだな」
「恐縮です」
二人は再び視線を窓の外に移す。
「…感動的な旅立ち、と言った所でしょうか?
師は見送らなくて良かったのですか?」
「わしゃ、見送るのはヤツが旅立つ時だけでえーわい。何回も見送る趣味は無いのう」
ルードヴィヒは「はぁ」と生返事をしたまま妹を眺めていたがふと気がつく。
「はっ!?旅立つのではないのですか!?」
「金がたまったら旅立つと言うておったぞ?」
窓の外には目をきらきらさせて見送るハンナ一人になっていた。
4
荒い息をつきながら、知識神に仕える司祭、リストは前方を指差した。
「…あそこに小さく見えるでしょう?
あれが今回調査する神殿跡ですよ…ゼェゼェ」
ベルダインの北は徐々に山岳地帯へと移って行く地形だ。
歩いて半日と言う距離であるために特に休憩をとらなかった。
そのため、本来インドア派であるリストの体力は限界に達している。
むしろ、街からここまでずっと、緩やかとは言え上り坂しかなかったのに文句も言わずに歩きつづけたリストは賞賛されていいだろう。
もっともリストの分の荷物は今回の調査に同行する知識神ラーダの神官戦士マキシが持っていたのであるが…。
ヘクタルは荒い息をついているリストを見て足を止めた。
「…ここで休憩にしよう」
「わ…私の事でしたら…ゼェゼェ…お気になさらないで下さい」
リストは熱意からかそう主張するが、依然として息が切れたままなので、残念ながらあまり説得力があるとはいえない。
「別に貴方を気遣っての事ではないさ」
ステフが手近な岩に荷物を置きながら、リストに笑いかける。
「考えても見たまえ。神殿跡には狼が生息しているのだろう?ついたら戦闘になるのは避けがたいだろうからね。
今のうちに休憩を取っておいて損はないはずさ」
「ああ、なるほど…ゼェ…仰る通りです」
言ってることは正論だが何故かその仕草が芝居臭くて胡散臭く感じるのは自分がひねくれているからだろうか?
ヘクタルはそんな事を考えながら、水袋の口を開けた。
「おい、兄者。休憩は中止だ」
ガストンが遥か遠くに小さく見える神殿跡の方をにらみながら降ろしかけた荷物を持ち上げた。
そして、ヘクタルの問いかけるような視線に気付き、説明する。
「狼と誰かが戦ってるぜ。女の姿も見えた」
ヘクタルはやれやれと水袋の口を閉め立ち上がる。
「ガストン、キミは相変わらず大した視力だなァ。ここから見えるのかね?」
ステフは片足を岩にかけて神殿跡の方に目を凝らすが、ちいとも確認できない。
「故郷のドゥーデントじゃこのくらいは見えて当然だったぜ?」
「どうやらキミの故郷で生活するのは私には無理なようだよ」
ステフは荷物を背負うと手をひらひらさせた。
「先に行くぞ。…リスト殿は、後からゆっくりついてきてくれ。」
ヘクタルは冗談には付き合ってられんとばかりに走り出した。
あわててガストンとステフも後を追う。
「ま、まってくれ兄者!」
「あはは、怒らせてしまったようだね」
「てめぇ…後で殴るか?」
走る三人を見ながら神官戦士マキシがリストに声をかける。
「司祭様。我々も急いで行くべきです」
「…しかし」
「狼に襲われているとすれば看過できません」
リストはマキシの声に止めても無駄と判断したか溜息をついた。
「それではもう一走りしますか。もう今日は坂を登るのはこれで最後にしましょうね?
でないと、私の体が持ちませんよ」
そして、残った二人も後を追って走り出したのである。
5
「えーい!」
かわいらしい気合の声と共にレイピアが一匹の狼に止めを刺す。
年のころは十五、六くらいであろうか?
レイピアの持ち主は女性、それもまだ少女であった。
頭にターバンを巻き、おろしたての皮鎧に身を包んでいる。
そのレイピアさばきは意外にしっかりしたものだが、実戦に慣れていないのは明白だ。
「次〜って、げ!」
たった今、一匹の狼を屠った彼女であるが、その死角から別の一匹が彼女、ティーに襲いかかった。
「危ないっ!お嬢様!」
脇から飛び出してきた青年がその一撃をラージシールドで無理やり受け止める。
「わわっ!ちょっとダメですよ。引っ張らないで!」
しかし、狼にラージシールドに牙を立てられ、引っ張り合いになっている。
ドガン
その狼が瞬時に地面に縫いとめられた。
狼の体を縫い止めているのは機械弓(クレイン・クィン・クロスボウ)用の大型のクォレル。
目を移せば射手の姿が確認できる。
この射手も女性、そしてまたも少女であった。
ティーよりは若干年上に見える。
「あ、マリア。ありがとー」
ティーは、次の射撃のために機械弓の巻き上げにかかっている少女に感謝の声を上げた。
「ああ…お助けしたのは私ですのに〜」
「シャリオルもありがとー」
シャリオルと呼ばれた青年は口では情けない声を上げつつもラージシールドを再び構えて、周りに気を配っている。
「おいおい…君らが遊んでる間もオレは集中攻撃をうけてるんだけどー?」
ぼやきながらも3匹の狼の攻撃をいなしているのは盗賊風の格好をしたハーフエルフ。
「リベラっ!男のコがそんな事くらいで簡単に弱音を吐かないっ!」
巻上げ作業を続行しながらマリアが叫ぶ。
「…男女差別反対〜」
憎まれ口(負け惜しみ?)を叩きながら苦笑するリベラの目に神殿遺跡の中から新たに数匹の狼が出てくるのが映った。
「あ〜数匹そっちへ抜けるぞ〜」
既に3匹に囲まれている形のリベラはあっさりとそう宣言する。
「じょ、冗談止めてよ!あと2ラウンドまって!
弓が巻きあがるから!」
「狼は待ってくれないでしょう…」
慌てるマリアの悲鳴にシャリオルが突っ込む。

とはいえシャリオルもティーも目の前の狼で手一杯であり、とてもマリアのカバーには入れそうもない。
「ひょっとして…登場早々やばいの?あたし」
マリアは牙をむき出しにして目前に迫ってくる数匹の狼を見つめ、GM(作者でも可)に石を投げたくなった。
6
マリアの危機を救ったのはガストンであった。
マリアに迫る先頭の狼をグレートソードで一刀のもとに斬り捨てたのだ。
「あ、ありがとう。…貴方は?」
「ガストンだ。話は後だ。壁になってやるから
さっさとその弓巻き上げちまってくれ!」
後続の狼たちはグレートソードを振りきって態勢の崩れたガストンに目標を変える。
ガストンが2、3発貰うつもりで筋肉に力を込めたその瞬間、狼達の周囲が暗くなる。
ぱあんと乾いた音がなると同時に闇は晴れ、一匹の狼がその場に崩れ落ちた。
本能的に危険を感じたか残りの狼もガストンへの攻撃を中止し、距離をとる。
「シェイド…兄者か!」
振りかえるガストンの目に腰から銀のレイピアを抜くヘクタルの姿が映る。
その後方にはステフがこちらへ走っており、更にその後ろにリストとマキシの姿も見える。
「なんだ、結局おっさん達もついてきてんのか?」
あきれたような口調でガストンはぼやいた。
「…そのようだな。それよりオレを追いぬくんじゃない。先に走り出したのにカッコつかんだろう」
「いいっ?」
「…冗談だ。ガストン、お前は狼をなぎ払いに行け。カバーは俺が引き受ける」
「ありがてぇ!任せたぞ兄者」
ガストンは間合いを計っている狼達の中へ突如咆哮を上げて踊りこんだ。
驚いたのはティー達だ。何しろその巨体である。
一瞬オーガーまで現れたのかとティーが思ったのも無理からぬ所であろう。
「な、なに?」
「お嬢様!どうやら援軍のようです」
慌てるティーに冷静に分析したシャリオルがいう。
「そいつは奇遇だ。向こうもだってよ」
神殿遺跡の中からまたも現れる狼の姿にリベラも溜息混じりだ。しかし…。
「『眠りをもたらすやすらかなる空気よ…』」
狼側の援軍が入り口で沈黙した。
「『眠りの雲』…ステフか。いいタイミングだ」
ヘクタルは言いながらも狼の一匹を仕留める。
ステフはヘクタルの後ろで優雅にそのルーンの刻まれた剣を構えなおした。
「フ、距離を拡大したから魔法はこれで撃ち止めさ。しかし私にはまだこの剣がある!」
「……ああ、そうかい」
ヘクタルは心の中でステフの評価を±0に再変更した。
「なぁに、心配することは無い。すぐに終るよ。あれを見たまえ」
ステフの指し示す先ではガストンがグレートソードを振りまわし、大暴れしていた。
そしてステフの予言はすぐに現実となったのである。
「さぁ!巻き上げ終わったわよ!」
「あ、これで最後だよ。マリア。」
ようやく巻上げを終えたマリアが顔を上げた時、
目の前でちょうどティーが最後の狼に止めを刺した所であった。
7
お互いの自己紹介を終え、神殿前で一休みすることになった。
どうやら、ティー達は街の衛兵隊長の依頼で、街の住民の不安の元となっているこの神殿跡に住み付いた狼退治にやってきたらしい。
結局リスト司祭の申し出で神殿内にまだいるかもしれない狼の退治を協力して行うことになり、
今はマーファ神官であるマリアとチャザの神官であるティー、そしてリストの三人による神聖魔法での治療を行っているところである。
「こんな可愛らしい神官殿に精神力を分けていただけるとは…光栄だなぁ」
歯の浮くような台詞を飛ばしているのはもう皆様も予想がついていると思うが魔法戦士、ステフその人である。
「ありがとー。嬉しいからおまけにスマイルをサービスしてあげるね」
ティーはにっこりと微笑んだ。
「そ、それはありがたいねぇ…あはは」
ステフは予想外の反応にやりにくそうである。
「あとちょっとだけ待っててくれれば…」
「あ?なんのことだ?」
『癒し』の呪文をかけながらもぶつぶつ言っているマリアにガストンが問いかける。
「え?あ、いや、なんでもありませんのよ。ホホホ…。
その、ちょっとだけ、せっかく巻き上げたんだから撃ちたかったかなーとか、思ったり、思わなかったり……」
「ああ、あのしちめんどくせえ弓のハナシか。あんなかったるい武器使ってっからだよ。
やっぱ接近戦だぜ」
ぴきぃいいん
「かったるい?」
「あ…」
さすがにガストンも自分の失言に気付く。
ついいつものようにステフやヘクタルに対するのと全く同じように反応してしまったのだ。
「あーその、なんだ」
恐る恐るマリアの顔をうかがってみるがいまいち感情が読み取れない。
「だよねー。やっぱ自分の手で直接やるのもいいんだけどな。武器変えよっかなー?」
「うお?」
突然うってかわってしゃべり出したマリアに、おもわずのけぞるガストン。
「でもやっぱりあのクレインクインのガツンって手応えがたまんないんだよねー。やっぱ弓よ弓!」
ガストンなど無視して話しつづけるマリア。
この女…苦手だ。
ガストンはそう結論付けた。
そろそろ日が傾いてきたな…。
向こうで護衛を手伝うのだからと報酬の交渉で冒険者技能と無縁の闘いを
リストに仕掛けているシャリオルを横目に見ながら、ヘクタルは神殿の入り口を見張っていた。
「旦那はどう思う?」
となりで見張りを引き受けているもう一人、リベラがヘクタルに問いかける。
その口調はハーフエルフとは言え、彼のその少年と言っていい見かけに比べてずいぶん世慣れたものだ。
やはりシーフか。
ヘクタルは心の中でつぶやくとリベラの方へ視線を戻した。
「どう…とは?なんのことだ?」
「外にいる狼は一匹残らず全部やっつけたな。
ティーのヤツが晩御飯にするって言ってたが…オレは止めた方がいいと思うけどな」
リベラはあいまいな答えを返す。
オレを…試しているのか?
そう、確かに外にいる狼は「全て」殺した。
不利になっても、最後の一匹になっても、あの狼達はけっして逃げようとはしなかったのだ。
そしてあの狼の数…。
「銀の武器はもっているか?」
ヘクタルの言葉にリベラは満足そうに笑う。
「それがティーしかもってないんだ。そっちに予備は無いかい?」
「残念だがこっちもオレのレイピア一本だけだ。あとはステフに頼むしかないな」
「困ったな…。仕方ない。オレはまた回避に徹するか」
ヘクタルはその強敵との戦い方を再び考えはじめた。厄介な話だ。
ヘクタルとリベラ。二人のつぶやきが重なる。
『人狼か。』
8
シン…と静まりかえっていた神殿内を靴音が侵していく。
(見たところ…獣の足跡しかない…)
埃の積もった床にはくっきりと多数の足跡が残されている。
もっとも盗賊としての訓練を受けたもので無ければ早々気付くまいが…。
入り口から差し込む夕日を幾つかの瞳が反射し、同時に剣呑とした唸り声が響き始める。
すでに皆は武器を構えて闇を見据えていた。
「『かの暗黒…光の前に立ち去れ』」
神聖魔法『精神力賦活』によって回復したステフの『明かり』の呪文に照らされ数匹の狼の姿が浮かび上がった。
狼に囲まれるようにして奥の壁にボロボロの衣服を身にまとった男がよりかかっている。
「…!大丈夫!?今助けるよ!」
はじかれたように狼からその男を救おうと言うのだろう、ティーが飛び出した。
「しまった!」
ヘクタルとリベラの声が重なる。
(「そいつ」はちがうんだ!ティー)
ヘクタルは自分の予想を皆に伝えておかなかったことに後悔した。
ここの床に獣の足跡しかない以上、その男は…。
一瞬遅れつつも、ガストンとシャリオルが駆け出すが狼に阻まれてしまう。
マリアの機械弓も既に狼の一匹を床に縫い止めるために放たれた後だった。
ティーは反応の遅れた狼を突破し、男を助け起こす。
「大丈夫?」
「……」
男は何事かつぶやいているようだ。
とりあえず生きているらしいと安心し、『癒し』の呪文に集中を始めたティーの耳に
なじるような響きの共通語が聞こえてきた。
「…き、来やがったな!お、オレはてめぇらの思い通りにはいかねぇぞぉ!」
「え?」
男の目は血走り口の端から泡を飛ばしながら男は咆哮を上げた。
見る見るうちに男の体に毛が生え、人型から獣の姿へ変貌をして行く。
「え?え?」
ティーはあまりの驚きに声も無く、いつのまにか呪文の詠唱も中断してしまっていた。
「アレはまさか!」
リストが男の変貌を見て悲鳴を上げる。
「だれかティーをそいつから引き離せ!」
銀のレイピアを構えて走りよりながらヘクタルは叫んだ。
「『わが友、光の精霊ウィル・オー・ウィスプよ…つぶてとなりて疾れ!』」
リベラの召喚した光の精霊が男を撃つがその体毛を焦がしただけにとどまる。
ガストン、シャリオルは目の前の狼に手一杯、
ステフもようやく次の呪文に集中をはじめた所、
マリアはまだ機械弓の巻き上げ中である。
誰もその男の「変身」を止められるものはいない。
「そいつはワーウルフだ!」
そして、次の瞬間ティーの目の前には大型の狼が鋭い牙をむき出しにしてうなっていた。
9
ワーウルフは真っ先に目の前にいるティーに襲いかかった。
「きゃ!」
チェインメイルと牙のぶつかり合ういやな音がする。
わき腹に噛み付いたワーウルフはそのまま頭を振ってティーを壁に叩きつけた。
ティーはその場に崩れ落ち、床に血だまりが出来ていく。
「お嬢様!」
シャリオルが悲鳴を上げる。
「化け物め!」
何時の間にかヘクタルを追い越したマキシがワーウルフにグレートソードを叩きつける。
「ダメです!マキシ君。君の武器では…!ワーウルフには銀製か魔法の武器でなければ効果はありません!」
ティーの傷を癒すべく駆け出したリストの叫びの通り、
マキシのグレートソードはワーウルフの表皮で止まってしまっている。
「どけ!オレがやる」
ヘクタルはマキシを押しのけワーウルフにレイピアを突き出した。
しかし、その一撃をワーウルフはなんとその牙で刃先をかじる事によって受け止めたのである。
「バカな!?」
「どけい!兄者ぁ!」
狼を屠ったガストンがグレートソードを振りかぶった。
「ステフ!」
リベラがガストンのグレートソードを指差し、ステフに指示する。
「フ、分かっているさ『万能なるマナよ、戦士の武器に力を!』」
ステフの『魔力賦与』の呪文に応え、ちょうど振り上げられたガストンのグレートソードに淡い魔力の輝きが灯る。
一時的に魔剣と化したガストンのグレートソードはワーウルフの胴をたやすく両断した。
崩れ落ちるワーウルフの姿は元の男の姿へと戻っていく。
「ごぼ…くそ…オノレェ…し、漆黒の炎め…」
血泡と共にその男の口から流れ出した言葉に、リベラは目を細めた。
リストの『癒し』の呪文によって一命を取り留めたティーに一同が安心しているその時、
その神殿跡のかつて天窓であった穴に人間の手の平ほどの大きさの身長しかない少女が
腰掛けて中の様子をうかがっていた。
少女の背中には黒い蝙蝠の翼がありその身長以上にその少女が人間でないことを主張している。
少女は口元を禍禍しく歪ませ、邪悪な笑みを浮かべながら、ポツリとつぶやいた。
『見つけた』
第1話 『狼』 終り