長編小説『漆黒の炎』

         第ニ話   影



    1


 円筒形のガラスの中には淡い青の液体が満たされている。
そのガラスに手を触れ、一人の男が中に浮かぶものを眺めていた。
心なしかその手は震え、その男の表情には恐怖の色がある。
『ドーしたのさ?まだ迷ってるのかい?』
声にびくりと反応し男は振り向く。
宙空に浮かぶは小さな蝙蝠羽の妖精…フィアである。
「い、いえ…そのような事は…」
フィアは冷や汗混じりの男の顔を覗きこみ、クスリと小さく笑う。
『なら…いいんだけどね?ねぇルヴィオン?』
フィアは言って、真っ黒な全身鎧に身を包んだ人物の肩に舞い降りた。
その人物は戦場でもないのにフェイスガードを下ろしており、その顔はうかがうことが出来ない。
『魔将曰く「シャドウの完成状況は?」』
全身鎧の人物は一言も発していない。しゃべったのはフィアだ。
しかし男も全身鎧の人物も全く動じた様子はないようだ。
「は。試作のシャドウが約80%という所です。」
『魔将曰く「急げ。予定より遅れている。」』
「は、はい。もちろんであります!」
『魔将曰く「任せる。それと残り物はゾンビにでもしておけ。再利用だ」』
「は…はい……承知しました」
去って行く全身鎧の人物とフィアを見送りながら男は気分悪げに胸を押さえる。
その背後のガラスの筒の中には…
小さな子供が浮かんでいた。


    2


 「話が違うじゃないかね?」
おお、なんということだ。
ステファンは指先で額を押さえ、天を仰いだ。
「いや、しかし品数が少ないもので…どうしてもこのお値段でないと…」
『蒼い小瓶』亭、それがこの店の名前だ。
魔術用の器具をオランなどの魔術先進国から仕入れ、販売する特殊な店である。
ステファンはここへ買い物に訪れているのだ。
もっとも彼の師、ライト・ディッセンの使いで来ただけなのだが…。
「品数が少ない?ギルドが新たに研究でもはじめたと言うのかい?」
普通こういった魔術の研究以外には使用する余地のない機材は魔術師ギルドや魔術師の私塾以外に
需要が無いため仕入れの数もそうそう変動することはない。
私塾の使いできたステフに数が少ないと言うという事は同時に魔術師ギルドに買われちゃいましたという事を意味する。
しかし、この街で魔術の機材を卸しているのがこの店だけである以上、ギルドが購入したならこの店で買ったということだ。
それでは値上がりするのは明らかにおかしな話だった。
「いえ…うちも船で運んでくれる業者から卸してるんですが、
その業者から買い取るときに他に買い付けに来た方がいらしたんで、うちが今回卸した商品はいつもより少ないんですよ」
店主は禿げ上がった額の汗を吹きながら弁解する。
「商売敵でも新しく出来たのかね?」
「いや、その買っていったってのが貴族の方でして…なんでもクライブ男爵って言う道楽家らしいんですよ」
ステフは右手を顎にやって首を傾げると唸った。
「ふむ、ディレッタントというやつか」
店主としてもお得意様に対する弁解だ。
なんとか納得してもらおうとその時の様子の説明に必死である。
しかし、当のステフはあまり聞いていなかった。
なにしろ師に預かった宝石では値上がりした機材の購入には若干代金として不足しているのである。
この場はたてかえるとして…現在の持ち金を足して足りたかな…?待てよいくら今持ってたっけ?
袋を覗いて数えるのは絵的に美しくないから却下だ。
しかし、いざ出して足りないのはもっと美しくないし…。
等と考えをめぐらせていたのだから…。
「まぁいい、仕方の無い事だ。…その値段で買おうじゃないか」
「どうも済みませんねぇ…全部で2500ガメルになります」
ステフは賭けに出た。
師から預かった宝石2000に自らの銀貨を加算していく…。
結果、ステフは賭けに勝利した。
もっとも、支払い終了時に袋の中には21ガメルしか残っていなかったが…。
「はい、確かに。それじゃこちらが商品になりますが…どうやってお持ちになります?」
リスト片手ににこやかに店の一角を指差す店主。
指し示す先には直径1メートル、高さ1、5メートル程のガラスの筒が四つ並んでいた。
ステフはリストを確認すると大きな溜息をついた。
「…こんな事なら面倒くさがらずにあの台車持ってくれば良かったなァ…。は、ハハハハ」
その笑いはさすがに乾いていた。


    3


 暗い部屋に二人の男が机を挟んで座っている。
片方は見た目の上では男というよりは少年といった方がいいだろうか。
しかし、彼の尖った耳と醒めた目が彼がただの少年ではない事を語っている。
男は2枚の似顔絵を机の上に置いた。
「こいつらだ」
一言、感情のこもらぬ声で言う。
男の置いた似顔絵を手にとって、向かいに座るハーフエルフ、リベラは
いぶかしげに向かいの男を見ながら似顔絵を叩く。
「…ギルドともあろうモノがなんでこんな
チンピラ二人をまだ捕まえていない?」
男はしばし黙ると再び感情のこもらない言葉を紡ぐ。
「奴らはモンスターを使っている」
リベラはその一言に頭を巡らせる。
…つまり、モンスターを与えた奴が他に居るって事か…。
だが…それでも密偵でも使えばなんとでもなろうに…何故、冒険者なんだ?
疑問は疑問へ。…なにか隠しているな
どうも腑に落ちない。ギルドは自分にチンピラの捜索以外の何かの成果を期待しているようだ。
「まだわからねぇことがあるな」
「操作に役立つ情報は…これだけだ」
返答はにべもない。リベラは思わず苦笑する。
言えないってわけか。やれやれ…。
「OK、わかった。話をまとめよう。
最近街で起きている子供をターゲットとした行方不明事件、
元ギルド員のこのチンピラどもの仕業だが、一向にギルドに報告は無い。
そこでオレは冒険者の仲間を使ってモンスターを蹴散らしてこいつ等を確保、
ギルドに差し出せば報酬が貰える。…これでいいか?」
「背後関係を洗ってくれれば報酬は増額する」
相変わらず感情のこもらない声で男は淡々と告げる。
ようやくほんの少し本音を出しやがったな。
リベラは溜息をついて同意の旨を男に伝えた。
あとは直接調べて答えを出すしかないな、と
結論付けて不安をかき消すとリベラは部屋を後にした。

 「よろしいのですか?ギルドマスター」
男ははじめて希薄ながらも感情のこもった声で奥の部屋に居るはずの人物に語りかける。
「ギルドが正式に調査するのは問題になる。取り決めのこともあるしね
…でも知らない奴が勝手に調べちゃうのは偶然よね」
扉を開けて一人の女性が入ってくる。
「…仕組まれた偶然ではありますが…」
男の言葉にかすかに込められた感情は、何も知らないHエルフへの同情であった。


    4


 酒場の喧騒の中、バアン、と派手な音を立ててジョッキが机に叩き付けられる。
「ッカァアア!この一杯のために生きてるゼ!」
飛び散る泡を鬱陶しげに避けるとヘクタルは隣のガストンを睨んだ。
「昼間から飲むとは感心せんな。まだ仕事も見つかっていないんだぞ」
「まぁ、そういうなよ兄者。こないだの報酬だってまだ残ってるんだろ?」
ガストンは笑うが、ヘクタルの方は大真面目な
表情だ。ガストンはこの瞬間、本能的に自分が失敗を犯したことに気付いていた。
「…そういう刹那的なことではいかん。いつも定期的に仕事が見つかるワケではないんだ」
「へーへー」
「…そもそもだな」
またはじまっちまったか…。兄者もこの説教癖さえなきゃなぁ。
ガストンが頷く振りをしながら視線を泳がせると、ちょうど入り口からはいってきた二人組が見えた。
(お…あいつらは)
ガストンの視線に向こうも気づいたらしく、二人はテーブルに近づいてくる。
「仕事よ。私達と組まない?」
マリアは許可も求めずにガストンの隣に腰掛けるとそう言い放った。
「…なんでぇ、突然?」
ガストンはあっけに取られて問い返す。向かいのヘクタルも説教を妨害されたのが気に障ったのか、
隣に平然と腰掛けて二人分のエールを注文しているリベラを睨みつけている。
「そんなに睨まないでくれよ旦那。仕事持ってきたんだからさ」
ヘクタルは当然睨むのをやめず、更に険のある視線をリベラに放射した。
「あのちっこい嬢ちゃんとひょろひょろ兄ちゃんはどうしたんだ?」
「…たしか、ティーとシャリオルだったか」
ガストンの言葉をヘクタルが補足する。
「なんか家庭の事情で忙しいらしいわよ」
「はぁ?」
「ああ、ティーの家は結構大きな商店なんだとさ」
リベラが早速届いたエールの片方をマリアに手渡しながら言った。
マリアは喜んで受け取ると一気に飲み干す。
それを見たガストンはヒュウと口笛を吹いた。
「…で、仕事の内容は?こっちはステフがまだ戻って無いが」
ヘクタルは溜息をついて話を聞くことにした。
いつまでも怒っているのも疲れるだけだ。
「うーん」
マリアが考え込む。
「おいおい…ヤベェ仕事なのかよ?」
「いやぁ…そーじゃなくて2回も説明するのめんどくさいなーなんて……」
頭を掻いて笑うマリア。
「…あのな」
「ハハハハハハハハ!心配は無用だよ!」
ヘクタルが疲れるのを覚悟でもう1度怒ることを決意したその時、笑い声も高らかに入り口に影。
ステフである。

 静まり帰る酒場。
ガストンは口をぽかんと開き、ヘクタルとリベラは顔に縦線を入れながらげんなりし、
マリアはいつも通りにこにこしている。
「…どうかしたのかね?諸君」
「むう」
「どうかしてるのは貴様の方だろうが」
「…羞恥心って…聞くだけ無駄か」
「すごいのは確かね」
ちなみにこの台詞、ステフ、ガストン、ヘクタル、リベラ、マリアの順だ。
「失敬だね…君達。やむにやまれね事情というものを察して欲しいものだが…」
 ステフはオーク3体を相棒にガラス円筒を逆さにして被って酒場の入り口に立っていた。
「「「「察っせるか!」」」」
ハモリ4重奏である。


    5


 それは不安と自信の微妙な拮抗状態とでも言おうか、
とにかく少しでも衝撃があればたやすく崩れてしまいそうな、そういった虚勢の自信だ。
確かに今の自分には「力」がある。
それがあればたとえギルドの追っ手であれ恐れる必要は無い…はずだ。
しかし、その一方でギルドがそんなに甘いものでは無いのではないかという恐れと
今の自分を駒とするものが自分をたやすく捨てるのではないかという不安がある。
自然、精神状態は不安定な状態が続くことになる。
先ほどもぶつかった少女を怒鳴り散らしたばかりだ。
 彼は人気の少ない裏通りの方へ入っていった。
そろそろ仕事をしなければならない。仕事をしなければ…消されてしまう。
そう、かつていた彼の相棒のように。
もはや過去を悔いたところで命が助かるわけでは無い。
生きて行くためにはたとえあんなやつらでも従うしか無いのだ。
従順で、仕事をきっちりしていればやつらも自分を消しはしないだろうから。

 視界に一人の少女が映る。
よく見れば先程彼が怒鳴り散らした少女だ。あたりに他の人影は無い。
(まったく運の悪いやつだ)
彼は手の平の中の小さな水晶に集中する。
「力」を使うためである。
この「力」も仕事をスムーズにこなすためにやつらに預かったものだ。
(出ろ。そして捕らえろ)
彼の念に応え、少女の影から蛙に似た奇怪な獣が口を開け現われ少女を飲みこまんとする。
アザービースト。そんな名前だったか。
やつらに一応説明は受けたがバケモノであることくらいしか彼には理解できなかった。
しかし、彼にとってはそのバケモノが自分を襲わず、自分の命令に従う事と
誘拐にはうってつけの能力を持っていることが分かればそれで十分だ。
あとは飲みこんだ少女をやつらに引き渡せばひとまず仕事は終わりだ。
今晩くらい酒を飲んでもやつらは文句を言わないだろう。
 しかし、彼の予想通りには現実は訪れてはくれなかった。
少女は足もとのアザービーストのあざとを華麗な宙返りで飛び退りかわして見せたのである。
「バカな!」
彼は思わず声をあげていた。そして、同時にほのかな恐怖がこみ上げてくる。
あれは盗賊の動きだ。それも彼のようなちんぴらなんかよりもずっと実力のある本物の盗賊の。
少女はこちらを見据えてどこから取り出したのかダガーを構える。
同時に彼の逃げ道をふさぐ形で大男の戦士、女性の神官、盗賊風の男、優男の軽戦士が姿を現す。
完全に囲まれた形だ。
彼は認識を変更した。こいつらは暗殺者ではなく冒険者だ。
暗殺者よりは恐ろしくない相手だ。
そう思いたかった。
「こ…殺せ!」
アザービーストは命令に忠実に目の前の少女に襲いかかった。
しかし、少女はすばやい動きでそれをかわす。直後アザービーストにクォレルが突き立つ。
女性神官がもつ大型機械弓から放たれたものだ。
こいつらはバケモノに対抗する装備をもっているのか?
こちらの手札がばれている…そう考えると勝ち目は無いように思える。
(逃げるしかない)
幸い大男もアザービーストに向かって行くようだ。
あの軽戦士さえ抜けば逃げられる。そう考えて彼は剣を抜いて優男に突進した。
しかし、優男は剣を振りながら呪文を唱えている。
あれは軽戦士ではないのか。
彼は自らの読み違えを悔いるヒマも無く回りに発生した白い霧のようなものを吸って眠りにおちていた。


    6


 ステフがかろやかに剣を振り呪文を完成させる。
「『空気よ変われ、マナの力で。眠りをもたらす見えざる雲に』」
目の前のちんぴらその1(仮)はそれで眠りに落ちた。
「ふふふ。魔力を調節すれば一人だけ眠らす事もたやすいのだよ」
説明ゼリフありがとう。
要するに範囲を縮小してまだ誰にも接敵していなかった
ちんぴら1号(仮)だけをスリープクラウドに巻き込んだというわけだ。
 一方、ガストンが切り伏せたアザービーストが風に解けるように
その体を消滅させて行くのを見ながらマリアは御満悦だった。
「んっふっふー。やっと味わえたわ…。
クレイン・クイン・クロスボウの矢が肉に突き立つこの感触…!」
「…よ、よかったじゃねえか」
大型機械弓にほお擦りしているマリアを気味悪げに見やるとガストンは愛想笑いを浮かべる。
この無骨な男にしては珍しい事だ。……よほど怖かったのだろう(笑)。
「ふふふ…意外によく似合ってるじゃないか?あのチンピラもすっかり騙されたようだしな」
ヘクタルは傍らの少女に笑いかける。
少女はじとりとヘクタルを睨むと黙ったまま、手際よく眠っているチンピラを縛り上げた。
そこへマリアがニヤニヤ笑いながらガストンと共に近づいてくる。
「そうそう、かわいーわよー?リベラおじょーちゃん」
「うむ、なかなかのロリっぷりだな」
「だああああああ!」
ステフの言葉に少女…リベラじょーちゃんは大声を上げてカツラをむしり取る。
「だから嫌だったんだ!バカにしやがって」
発案者であるマリアを睨みつけて怒り猛るリベラ。
…でも何故か顔は赤い。
「ん〜?でも上手くいったんだし、いいんじゃない?結果オーライだってば」
「ぐぬぅ」
マリアは涼しい顔だが、リベラはまだ治まらない様子だ。
基本的に普段からからかわれ慣れていないのである。
「さてと…こいつからいろいろと聞き出しますか、と」
ヘクタルはちんぴらA(仮)の顔をぺちぺちと叩く。
目を覚ましたちんぴらは一瞬ギョッとなって周囲を見まわすが、
すぐに諦めたようなホッとしたような表情になった。
「さーて、ザコはザコらしく情報を垂れ流したまえ」
ステフはびしいっとチンピラX(仮)を指差す。…しかし残念ながらあまり迫力はない。
「…命を保証してくれるならな」
「ほお」
「誘拐犯の癖に生意気ね」
「いや、名前も出ない雑魚の癖に、だな」
「自分のやった事をすこしは考慮したまえよ?」
「とりあえず殴っとくか」
余裕の笑みと共にそう言い放ったちんぴら君(仮)は直後、ぼこぼこにされたのであった。


           続く

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