水野先生問題その8
【みずのせんせいもんだいその8】
この項目はこれ以上投稿できません。
- バブリーズは自分の持ちキャラスイフリーがいたから別格。
- 短期的な課題としては、もはやデーターベースの構築でしょ。一体、いつ先生のデータベースできるのだろうか。
- バブリーズを出したんだからそんなことはないかと。アレくらい知名度が高いのは噂ぐらい出ないとおかしいけれど、基本的には人様のPCなんて出さない方が賢明ってことじゃ?
- みやび女史、さなえ女史のリプレイのぞ増刷の見本は贈られていたらしい。でも川人先生の作品を含めて、読んでるの怪しい気がする。清松氏旗下の設定は、意図的に無視なのだろうか。
- 水野先生、バグナードはOVA版のような絶対悪ではないけど邪悪だって小説の後書きで言ってたと思うけど
- 作者自身が悪人ではないと解釈したんならそれでいいでしょ。読者は読者でバグっちんは悪だとみなす。問題なし
- 禁忌なく知識を究めたい。ラルカスのギアスから逃れるためにノーライフになりたいという一途な目的のために(悪行を為しても)バグナードは邪悪じゃないと解釈していたような。
- 「善悪が解らない(あるいはズレている)人間を罰せない」というのであれば、まだ分かるんだけど……
- とりあえず、水野先生的には、マッドな魔術師が魔道の探求のために手段をえらばないのは悪ではないが、暴走する女王あるいは国王をいさめないで悪乗りして一緒に暴走するのは悪なのか。何か釈然としないが。
- 何かミステリー。外伝で残された謎が明らかにさるのだろうか。個人的には、どの道外伝でるなら『リウイの剣』とか『ニースの憂鬱』とか読みたいのだが。水野先生『サイラーグの妖魔』、『あるいはクリムゾンの妄執』のような話できないのだろうか。
- 悪事を働く人が悪人なんだが。悪事を悪と考えずに行っていたなら分かるが、純粋ならってどういうことだろう?
- ヴァンやバグナードなど悪行を為していても根が純粋なら悪人範疇に入らないらしい。
- ひねるなら、ルキアルの背後に本当のラスボスがいてもいいと思うのだが。いくら、因縁ありとはいえ、リウイVSルキアルって、ラストバトルには物足りない気が。応用問題なら、マナ・ライ。あるいはバレンがラスボスだったでもいい気がするが。
- で、実際のところ、アルモザーン子爵・ジューネのいい人だった設定に対するアレルギーはどれくらいあるのだろうか。『賽子の国の魔法戦士』を読む限り、連載当時、鋼の国の評判はそう悪くないと思えるが。
- いや、水野がワールドデザイナーなんだし、主要な歴史を決めるのが水野であるのは当然じゃないか? 公式がどうであれ鳥取で公式と違う歴史の流れが展開されても問題はないんだし。
- しいて、一貫性が貫かれているところをあげるとするなら、GMはシナリオのバランスを取ろうとするな。プレイヤーはゲームに参加そしているなら、最低限プレイヤーとしての節度を守れて点だろうか。カーラ・ルキアルのラスボスって、何か恣意的なものを感じる。フォーセリアの歴史の歴史を決めれるのは自分だけって意志表示?
- ロードス初期とリウイ聖剣探索の頃では時代背景が違うからねえ。昔は勧善懲悪がスタンダードだったからこそロードスのようなタイプのラスボスは凄く魅力的だった。でも、今はその類(悪に見えるけど実は…)のラスボスが溢れているから悪役らしい悪役の存在が重要。
- ストーリー的には、ラスボスがラスボスらしくないってことも気になる。フォーセリアにはスーパーヒールってなじまない?なんとなくガンダムしてる?
- 短編小説のクレスポは生命力が低いので疲れやすいなど、生命力由来のラウンドまでという疲労を採用するハウスルールもある。
- ゲームでも『疲労』というリアリティ優先のルールもあるけど、正直なところゲームが面白くなるものとも思えないし、使うことはねぇ……。
- 超英雄ポイント20を駆使すればカシューならゴブリン数万匹殺せるらしいし・・・ゲーム的にはね
- まさかと思うが、パーン視点・リウイ視点などによっては歴史の流れが微妙にことなるのが公式設定なのか。素朴な疑問で、戦記1巻のリニュアールだけで、設定の変更完了するのだろうか。何か、リニューアルの無限ループがありそうな気が。
- 小説の話で良ければ、戦記小説版で「戦士は一度に何人もの敵と戦えるものではない。しかし、一対一では必ず勝てる、それが優秀な戦士でありその典型がカシュー王なのだ」という趣旨の描写が。
- ベルドとカシューは何万相手でも生き残り、レオナーは数千相手で死ぬと。
- 妙にリアリティ、英雄伝説にはふさわしくないところで、追求している気が。リウイ・ミレルの2人旅、パーン・ディード、スパーク・小ニースと比較するとあぶなかっしいというか何かが間違ってる気が。
- 10レベルでも寡兵では大軍に勝てないということか。ましてやあの3人は超英雄キャラじゃないし・・・事実、只の10レベルキャラは悉く死亡しても超英雄であるマナ・ライだけはちゃっかり生存してるしな
- 女の方から「婚約解消してくれてもいい」と言われないとズルズル行ってたと思う
- 個人的には魔法戦士リウイ9巻のリウイママの「本当に大切な人がまだ誰だか分かっていない」というあの時点で婚約解消フラグな気がしてたんだ
- 結局のところ、鋼の国でのヒュードの一撃、アイラとの婚約解消フラグだったのかな。
- ミレルを選ぶなら選ぶでもう少しドラマがあっても…
- 思いつき、いきあたりばったり…
- あとスパークパーティの死亡率とリウイパーティの死亡率。この扱いは差は何?というか王の座から逃れられたパーンとリウイとスパークの差って何なのかても疑問。あとジューネ死刑が規定路線なら、鋼の国の展開も疑問。聖剣戦争編のラスボス、ルキアルでなく、ヒュードでもよかった気が。
- リジャールらの最後はあっさりしすぎ。ロードスの10レベルの描写を見ると国家の支援まであれば負けるはずないんだけどなぁ。
- それに試練があるのが重要なことではなく試練に意味があるということが重要なんだと想うのだが。
- なんというか、英雄がたいした必然性もなくあっさりした描写でどんどん死んでいくのが問題視されるのでは?英雄戦争のようにお互いの信念や理想等のためにぶつかり合い死んでいく、というのが伝わってこないと
- 感じ方は人それぞれであると思うけど、魔法の国の英雄狩りに違和感があるというのは、そう暴論ではないと想うが。私としては、それが伏線で、『魔術士オーフェン』のようなストーリーへ続くのであれば、私としては受け入れがありとは想うが、個人的には先生の作品、出来に差がありすぎる気がしています。時々、コアなファン層を狙ってストーリー作成しているのではと思える時がありますんで。
- よくわからないけれど、最近のファンタジー読者は英雄が試練も何もなく敵をぶち倒していくお話が好きなのだろうか。確かに最近のファンタジーはまるで日常系みたいにスリルがない話が多い。だからロードスや指輪みたいに主役が善悪の狭間で苦闘する話は受け付けないのかな。でも、日常系化して話ばかりかファン層まで薄くなったと思うね。
- そもそも英雄嫌いなら、ファンタジーの形式取る必要がないような気が。
- しかし、先生は主人公の想いを逆手にとってこれでもかって試練を与えている木がする。何か違和感がある気が。水野世界って、先生の気まぐれで英雄の大リストラが突如として断行されるし、世界からの離脱も認められていない。この世界観、ちょっとどうかと想うときがあります。キャラはたっているとは想うのですが、キュアがない気がする
- ファリス神官には悪と判定したものを皆殺しにして回るような人もいるけれど、パーンはちゃんとカーラの悲しみも理解していたはずだよ。その上でカーラが悪だからというのではなく間違っているから倒した。だから彼は聖騎士にはならず自由騎士だったんだよ。ロードス島戦記の主人公の想いというと例えばこんな感じかな。
- むしろ問題なのは、安定終末の設定が「終末が来るから、秩序を破壊すべき。ファラリスはいいことしたんだ。カーラも結果的にいいことしたんだ。邪魔するファリスやパーンは悪もんや」という読者の誤解を生んだことかと。以来すっかりと、終末を避けられるなら無辜の犠牲者を何人バラそうが構わないと本気で考える読者がでてきた。主人公の想いが伝わっていない。
- ↓それは違うだろ。勝手にやって来る終末が悪い。平和な一家に放火して回る放火魔や、混乱をもたらす通り魔は、終末を遠ざけているから偉いのかね。そんなもん「国が豊かになったら侵略者が来た。国を豊かにした奴が悪い」と因縁つけるのも同然だぎゃ
- パーンの「ロードスの平和はオレが守る!」も終末を近づけていただけという…
- というかパーンのこれまでのガンバリをなんだったのかってする魔法の国のストーリー展開、パーンにとって非情な気が。というかリウイに対する説明、させるならディードにさせろよって感じです。
- 遅筆・・・・・
- ↓2、いくらなんでも一巻からの目標を達成させて余計と言うのはどうかと思う。パーンが王様になるより無名の英雄でいいという信念の始まりなのに。
- しかし、ボタンの掛け違いは水野先生がワールドデザイナーであるようなことに全ての要因があるような気が。ワールド設定させるならシステム設定も任せるべきだったのでは。収拾つけるためには、スイフリーによってゆがめられた歴史を正すという正真正銘のラストイベントという展開もありかと。
- いつ、ロードスのリニューアル版が発売されるのだろうか。新ロードスのラストを考えるとフォーセリア内で水野結界を張った上でのリウイVSスパークの第二次英雄戦争で、デビルマンのようなラストでもいい気が。というかパーンにカーラを倒させたこそ、そもそも余計なことだったのではって気が。
- リウイの最終巻、ラクシアの魔法戦士であっても違和感ない気が。
- 水野先生が生み出すさまざまな問題その8・・・アンチにならないよう御注意