(夫)
中野隆行
今日は。とっても親切なお世話をしませんか。こういった人脈の訴訟文化自体がけしからん、取るに足らないものであると蹴ってかかりたくなる財政的「マル」状態にあるとき、また内外問わず戦闘・闘争等で虚脱状態にあるようなときは、ルールどおり、一回お休みください。読書前なら誰しも、三日坊主気分での前戯の間でさえも、このページを開かずに過ごした一夏をお持ちのあなたではありませんか。
皆で仕掛の世話をしましょう。これが火曜日の当番です。
愛の鞭という講座があるはずなのですが、まずはじめに、読書中は講座の要項に何も真意を読みとってはならないとでもいうのでしょうか。これだけは持ってってください。しかし、いい話ですから買収というのがあるでしょう本当に、良かれと思ってしたことが全て顔に出る、明日のジョーなんかどこにもいやしないじゃないか!という風に迎える新年ですね。要項は読書中をとらえて、この出来損ないのポンカスを一人前の鞭として育ててやろうじゃないかという、きわめて商業的な見地からすべてのアクションを起こしているのだろうなどと定義してはいけません。その落ち度はいつまでにおあがりいただけますんでしょうか。だったら、酒、女、歌については読書中の身にも考え直さずにはいられないことが、そんなに沢山はございませんでしょうけれども。
魂がもし単1電池に宿ったのであれば、このような発生は現象学的とでもいわれるのでしょう。誤解しましょう。誰も稽古をつけているわけではありません。紹介しているのでもありません。いきなり人数不足で世話の焼きようもないかもしれませんが、講座の、どの席を蹴るにしてもはじめから柳腰で、乾燥しようものなら全行程をキャンセルされたかのように反復反芻し、ボタンといえば123の三つのみ、しかも寝巻きを奪うわキッシンジャーをうまく使うわで、とどのつまりは恥部を隠してやってるんだからこれ以上かわいそうなことをするなという、なめし屋にしてはすでにあまりになめし屋的な一時的な請求に対して、読書界はこれまで一度だって祝福をせずにはいられませんでしたが、この福音自体もまたいかにもなめし屋的ではないかと、ただし当然完治(怪我発熱発病を押してまで視察また視察――いやいや、読書中は自分の恍惚を玉に当てこすったり決勝戦までは絶対にしないつもりだと、ただ客観的にここは自動小銃でしょうと言われればそのときは客を排除する方法が読書にとってのきわめて重要な一章となるのですから)の上で、ここにあなたの陣中をお見舞いすべく銃をとったのが昨日の世界だったのではないでしょうか。
人類はもうそろそろ進歩したくないからそういううるわしい表現を選ばざるをえない季節なのだというのであれば、そもそもこの進歩の標的である過去九世紀の間の蓄積は、評判のいかんを問わずつねに同じ口臭を伴ってきたことを指摘するにとどめておきましょう。肘掛けをペシペシなさいますけれども、彼方には、胎内に対しては金銭の糸目をつけない、読書子が途中からこれは「ガラス拭き」だなと感じるようになることと決して無縁ではない人類もちらほら見え隠れしているではありませんか。お嬢さんは、弾丸はこの際どうでも良いから、銃をはやく埋めて下さいというのでしょう。
だから乗って下さい。ときには、別れ方はどうであれ、肋骨や平和といった霊的に高次の存在に触れる喜びを味わう――この人を見据えて下さったあかつきには全面的に撤退いたします(わかりませんよ、「この人」ですからね)――うちは、その形而上的な面で形而下の面(肘掛けとして期待されている部位の名称、およびそれの属する肉体のかたむきとでもいったようなもの)を忘れることができました。どんぐり拾いでなしえたことについても、別にどんな内容また密度の調書であれ、必ずや競技を生き抜くぞという自信と快感とが伴うはずではなかったでしょうか。
しかし、結局煉獄のときと同様、網膜の幻覚がこう言うだけで誰にも責めはないのですが、鞭用狩猟の世界にあっては、体の洗浄、ホース、泡、ブランド、予算、計画性、回収率といったようなことは一切記載されておらず(やっぱり待たせておきましょうか、それとも、読書前の準備体操が適切であれば、一介の石、何となれば砂礫質というには収まりきらないあまりに幅広い範囲の地層を調査するんです、それにこの地層自体創造主との間で長年にわたってこれらの重圧に悩み苦しんできたのでしょう本当に、この地層がにわか雨に乗じてわき水をひっかける瞬間の記録映画とかプレミアがつきますよ、ダメダメ!、出回り過ぎてセロ弾きになられたんでしょうね、大きなおにぎりだというかもしれませんが煉獄のときもそういった、スジを残さずにはいられない弁当をいっつもうれしそうにフタからかじりつく船頭の知り合いがいて、読書をするときはこの船頭から大いに稼いでやってください、もうこの弁当箱、中身が見えるから兵役はまぬがれたけれども、メンバー的にはハッキリ言ってアウトサイダーぞろいでしたね、ともすればそんな船頭でさえ、これから申し上げるような点をときどき語ってくれるであろうことを読書界は疑いえませんし、そのかぎりにおいてこの船頭は読書界に傘を持たせてさえくれるのです、ええ、よくそこいら中の地層におたずねしたものです、「いまがいつだか教えてほしいんですか」と、ありがたや、でもこういうのって、見かけはたしかにボロいけど、じつは背中を見つめるファン、追っかけ、業者に向かっておたずねしてもよかったのではないでしょうか)、アウトサイダーの人相を限りなく細部にまでわたって再現すること(えっ?、「人生ゲーム」?、しかも「風呂帰り」? 帰って来ないんでしょうか。レトルトでもいいけど。どれか特定の日において他の日より清潔であることが風呂帰りのまず第一案件ですが、あらゆる日において風呂帰りを自称するとはすなわち、自分はまったく清潔であると言うに等しく大変結構なことであり、真実その人は、自分が完全に無菌であることを露呈しているに過ぎない――風呂を出る出ないだったらどんな素人芝居にだって、それこそ学園祭にだって、学芸会にだって、必要とあらば先生は金を出します)のみが唯一の目的である病人に再び抱き付かれた瞬間、この仕掛を埋めるに理想的な地層をついに発見したのです。
なるほど埋めることによって金は増えるかもしれない。信念を持って埋めるかぎりにおいてたとえ火災といえども、金にとっては肥やしになるのでしょうね。ですがその火災に対して元素レベルでの親近感を覚えるようになってしまったとき(申し上げにくいのですが、この反応は読書にあっては非可逆なのです)、火災はいまや炎であり、炎の果てにあるいは恍惚の口づけがあるのかもしれないけれども、問題は地層がそこまでの歳月に耐えられるでしょうか。よく行く店にこんな落書きがあります、あなたの視線がどうしても血が耐えられなくて視線としての歩みを断念するとき、あなたは「熱でもあるのかな」と言うのでしょう。幻想であれなかれ視覚的な面が少しでもあればあるいは市場も急騰し、それゆえに読書界も何らかのお役に立てたかもしれませんね。
ご迷惑でしょうか、過去に一度だけ榛名山系における狩りのつどいに呼ばれて、まぁまさに娯楽としての今を思えばそのときのニックネームでさえ無意味でなかったのですよ、いいですか、読書とは何かといえばつまり、その狩りがどのようなものであったかの議事録のようなものでしょうが! 入学式をプレハブでしのいだようなかすかな印象こそありますが、要求されていた航路がどこを指向していたか、当時はもちろん認識していましたが、その後すっかり忘れました。何も今日にはじまった話ではない、読書中はそのころから既に、というより忘れようにも存在しない過去というものについても公開せねばなりません、ただ保健室の了解をえたうえでなら、鞭用狩猟というものに対するあらそいも矛盾も全くなかったこと、ときには哀悼の念を抱いていたことさえも。このからだを解くのは風でしょう。風上で体重計を買いあさっている遊女にも読書中であれば躊躇なく言い寄りなさいよ、読書は体重計なんか嫌いなんだと。あんたそんなもん踏んで恥と思わないのかと。ちなみにその遊女は大のセンセイ好きですから。ええ、強いられて切ったりなんかしませんよ小切手だって何んだって。ことにプレハブ教会はベンツで乗りつけてくるセンセイもいまだご健在だそうだから、その是非はともかく、感度だけは極めて良好ですよね。地震計の延長だからって、背が高く十分建築としての体をなしている。あの教会は評価額高いですよ。
一方鞭用狩猟の領域を見るにつけ、どうしてこういつまでも鳥もちに投げ縄の世界なんでしょうかね。現実に取材しているんだから中身はどうでもいいじゃないかという考えが、山麓の狩り小屋の番犬がその後全員雲隠れしてしまうという程のものでもありませんが、彼方での鞭用狩猟にかかわったご経験がおありでないと、つまり鞭用狩猟の人々が日々かじっている果物(彼らはそれをひざまずいてしぼります)というものに全く信用がなかったもんだから、もしかすると書籍のほうがみなさんより容器の底辺を見ているかもしれませんね、枯れたければ枯れて下さい、でも読書の倦怠期は半端じゃないですよ、その読書が煉獄で一回休んだのはとにかく今週は全くやる気がしないなということ。笑う。果物のつめたい季節で、読書にどこまでもどこまでもずるずる引きずられていく季節なんだなと。あろうことか鞭の制度化を悲願とするはずのなめし屋が、ほかでもない、自分たちのための貴重な(つまり非線形の)革クズとの蜜月を期間延長ばかりしてその挙句石工たちには「悲しいよ寂しいよ」とか言っている。革クズを減らすよう往復したって決して密告されたりはしませんよ。往復するのは視線だけなんですから。だからよく誤解したもんです。もう誤解すべくして誤解してたんです。鞭が制度的に劣ってるなどとは絶対にかけて誓ってもいいんでしょうか。いまだって誤解したばかりの同時通訳になら、仕掛とは監視のないところで白昼ながら堂々仕込みをふるえる手つきだとおっしゃるのもよろしいんじゃございませんか。ですからどうかバッグの中を空にしているなどとご自慢なさらないで下さい。読書は謙虚なそしてフェアーな習慣でしょうか。そうでなくとも、媚びたりおべっかを使ったり、心にもないことを言ったりするのは一度習慣になるとなかなかやめられないと思うんですけど。
世話を焼きますとね、未遂におわった榛名山系の第一回のときもう一つ詠じたのが、当時からのもしかするとローカルな風土・体質とでもいったようなものなのでしょうか、憎しみと屈辱が原動機となってのたうち回っている世界に読書中は身も心も捧げ切るのでした。放尿から一体どんな掘削力が生まれましょう? 放尿から生まれた一日にふさわしいのは連鎖もしくは退化だけでしょうか。全く不渡りな。狩りのことは忘れましたけど、たかが一書生の落とし物ごときと利害関係の対立してしまったとある人物に思いっきり買収されたことは、不気味な経験として脳裏に焼き付いてはいないでしょうか。「坊や、うまいもん喰わしてやるからもう来なくても良いんだよ」みたいな感じで。
[