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クボちゃん、死のうよ

中野隆行
口にふくむかぎりはとろりと甘いその書物、天使にうながされるまま呑み下すとこんどは苦い味がするのだった。そのとき私は「諸々の民族と国家と言語と王政とについて汝は今一度預言をせねばならぬ」との声を耳にした。(黙示録第十章)

キリマンジャロの頂に今しも移動式銭湯がその巨体を横たえたところである。前夜祭と称してスルタンがお気に入りの舞妓二人に無理難題を強いている。
「ほほすりあはせぢゃ」
「このとおり努力しております」
「いかん、米粒をおとしてはいかん!」
「この地は乾燥しております」
「感心しとる場合ではない。右に二粒、良いか、今一度ほほのすりあはせ!」
「あなたそれじゃ反対よ」
「よし、そこで杭を引くのだ。本気で、もうあとはない、本気で引くのだぞ!」
「また一粒おちました」

キリマンジャロのお祭りに際しまして、ここでひとつ社長よりご訓示を玉割りたいと存じます。社長、どうぞよろしくお願いいたします。おゥ、お前もこの頃だいぶ敬語うまくなったな。はい、「にこにこ」、こんなこと申しますのも、みなさんの眼球に私の笑顔があるいはうるさすぎやしないかと、そんなときふと「俺達は不細工な木々に過ぎぬ」と社内報の投稿欄にあったのを思い出します。あれは夏の号でしたか。私は北海道でそれを読みました。玉にはじっくり考えてみるのもいいでしょう、それに、毎日がお祭りなんですからね私の場合。あなたたちはこの一行を詩的だとおっしゃる。詩的、ですって? ああどうぞ、楽になさっていただいて結構ですよ。ええ、私に言わせればそれにつづく「まだいたのか/せいぜい机でも焦がしてるんだな」のほうがギクッと來る。ま、あくまで程度の問題ですがね。みなさん、詩的だとおっしゃる一方で、「この気持ちよくわかるなぁ」「まったく同感だ」みたいなこと、どこかで、テレビ見ながら泣いていたんじゃありませんか? それは欺瞞だとあえて申し上げておきましょう。己を知ることが何よりも肝心である、すなわち、他者とはあくまで自己の投影にすぎない、言語もまたしかり、と教え込まれた世代に私も属しますが、一方で、押しつけたがる人たち、満潮(みちしお)しとねなんかがいい例ですね。かの女の代表作に「芯出づればやがて温水うしろより巻き來たらん」というのがあります。みなさんご承知でしょうがわれわれはバイキン採集用のセロハンを本年度限りで廃止いたします、もちろん、深いわけがあってのことです。ちょっとあなた、そこでカツ丼を云々なさってるあなた、『ゴミいらず/抜くぞ朝食/白日夢』、今月の標語をお忘れですか?(沈黙。)ああでもあなたは、過保護に育ったがゆえにあえて、生まん坊の道をえらばれたのでした。こりゃどうも失礼いたしました。アトリエで飲み喰いさえしなければ、あとはみなさん価値観の問題です。もしよろしければここで、痴人ごのみのたとえばなしをいたしましょうか。反対の方、いらっしゃいましたらどうぞ、ご遠慮なく。よろしいですか。はい、では。

ある山村に、などとごまかさずに、日陰村ですね、そこに老人AとやぎのBさんがそれはそれは仲良く暮らしておりました。老人Aは言うのでした、「あんたテトリス出來るんか、さすがあ玉ええのう。じゃこれからは手塗りのお箸をもらってくるようにしなさい。」 この老人Aは無信仰の徒でありましたが、二週間に一ぺんの割合で『寺じゅうおしっこに染めよ』という題の悪夢に苦しめられるようんなってかれこれ数年がたつといいます。さて、うながされるままやぎのBさんはあくる日お味噌のおすそわけを手に、いいですねぇ、それこそさっきの私のように、にこにこ顔でもどってまいりました。やぎのBさんは言います、「結構なことです!、銀さんが写ってるんですから!」 お勉強なさってる方は、ここにどくだみ茶のモチーフを見出して感謝のあまりこのシナリオ自体をもストップさせかねないでしょう。だが待ってください、私はオウムじゃありません。銀さんとは誰か。アメ横あたりで晴着姿のヤッちゃんが、櫻散らしつこんな風にいななくのを、みなさんお耳にはさんだことおありでしょう、「よせばいいのにィ」ってね。それはまったくもって正しいのです! いいですか、銀さんは銀さんです。お味噌のおすそわけに転写していた銀さんは、やぎのBさんによると、イクときしばしば小声で「クウ」と鳴いたものだったそうです。それがたいそう好ましく、かつまたなつかしく思われた、それだけのことに何をあなた、ほお赤く染めたりする必要があるのですか! ありがとう、およそ貴族たる者いかにその生まれが賤しかろうと、みなさんの拍手には戦慄を禁じえないでしょう。 ありがとう。 ところで老人Aはそうでもなかったのです。「老人はかわいい!」などとほざくラザニア公の気持を理解するには、かれがまごころ込めて電池にさいごのフタをしているところを想像していただければ十分でしょう。かの地では営業の者が可聴域ギリギリのこびへつ声でささやくといいます、「最近新規のお客さんが減る一方でして」。そりゃそうでしょう、すぐに腰をおとさないのが悪いのです(そういうの俗に「尻陰る」っていうんですって)。

みなさん研修で『基礎の谷』っての勉強なさいましたね。私は若い頃エロ文学の聴き取りをやっていました。修行時代ですな。たとえばこんなかんじです、「二十四年前までここでは砂金がとれたものでした」。ああ、それがいまではおりこうさん専用のベンチになっているとこのあいだ新聞に出てましたっけね。誰にだってお気に入りのベンチのひとつやふたつ、あってもいい(ドン・ファンをおぼえていますか?)。だからほんと、ショックでした。私は、こどもの頃は、自慢じゃないがおりこうさんだったんですこれでも。ねぇ、だから『基礎の谷』ぐらい自分で本読んで勉強しましたよ。わからんことだらけだった。そう、正直言ってわからんことだらけでしたその、内容が。ごくふつうのイミではそれは「勉強した」ことにひとつもならないのでしょう。でもその「ふつう」をこそ疑ってみるべきだし、何よりも私は、まぁわからないなりにも楽しみかたを心得ていましたからね。それに解釈ってのはあとからついてくることもあるんです。たとえば「ピーナッツきのこ別名なぐさみグスリ」なんて一見呪文みたいでワケわかりませんが、そうかわが社の新製品名にこれはもってこいじゃないか!って、つい最近ですよ気がついたのは。ですからたぶんさっき私がちらっと申しましたどくだみ茶のモチーフなんてのも、みなさん外国語アレルギーは遺伝それとも伝染? セロハン廃止は十年早かったかな? 社長としてひとつだけ、みなさんにお願いしておきたいことがあります。個人的には何度も申し上げておりますので、御存知の方はしばし御辛抱ください、なおこれはある高校のモットーでもあるのです。いいですか、自分であ玉つかってモノ考えなさい。『パパお説教はやめて!』ってのはマドンナのウタですが(ちなみにシングルのB面は『コツコツとハイヒールが』、私はこっちのほうが好きでしたね)、いやどうも、おやじってのはどこの国イッてもお説教したがるもんなんですな。まったく、イヤですねぇ、まるで嫌悪施設、産業廃棄物、地下三階パラダイス(バーの名前です、御存知ない方のために)、何んかもっとないですか? ところで説教される側も説教される側なのですよ、そう思いません? なぜ言い返さないのですか、「ちょっと打ち明け話をさせてくださいませんか」ってね。黙って下向いてりゃやがて嵐も去りゆくであろうと、あなたはおっしゃる。そうかな、嵐はまたやって來ますよ。ほら、サンフランシスコ発、超伝道師ヨゼフのあまりに理知的な歌声が今宵も、手づくりFM放送局を経由して聞こえて來るじゃありませんか!

やってごらんなさい、「じつは、ぶりっ子が大勢手をさしだす波間に、うかんではくるりんと、さかさまに消えゆく十代の頃の淫夢がどうにも忘れられなくて」、いいでしょう。流行りのゴム草履でもはいてきゃあフリーパスだろうさ、などと悪友をそそのかしてやったらいいじゃないですか! きっとよろこびますよ(テープ山のようにもってきてね)。オレの故郷はフラスコの中。いまでもとってあるんだ。こんど見せてやるよ。おやじがな、ま前世紀おわりごろの話だ、パリ秋で話題をあつめたへのへのもへじ柄のそでなしスーツ一式を、やがてオレのかあちゃんとなる女性にプレゼントしようと、おのれの無罪を信じ、そうよ、景気づけにスプライトの一杯もひっかけて、そんで遠路はるばる白ペンキのかおりだけをたよりにかあちゃんの村にたどりついたはいいが、「いい子だ、帰んな」の合図とともにブルドッグの大群をけしかけられてな。それでもあとから聞かされたとこによると、リュックんなかのフラスコにはひびひとつ入んなかったっていうんだ。オレはそのリュックのなかでゆらゆら揺られていたのを、いまでもはっきり思い出すことができる。なぜならオレは温水プールに到着したのだ。するとおやじがこう言う、「今夜はもうおしまいや」「そ、そんな。この草履を捨ててはならぬとおっしゃるのですか!」「兄んちゃん、草履はクツ違いまんねん、大っきいも小っさいもあらへんねん。」 万事休す。しからば今一度、エプロンより流行りの無線機とりいだし、いざ、聞け、わが雨乞いソングを!

畜生、『エアコンに予知能力あり』ってのは本当だったのか。つまり、さいごに弦を切るという行為自体は、ジプシーの流儀であるとか、観客に対する礼儀である、等々いくらでも正当化できる。問題はギター仲間たちにどうあやまるかだ。満タンにして返せば無罪放免だぜ、オレはそれで十年間喰って來たぜ、と遅刻魔でもないのに悪友くんは言うのだった。
「かまへんて」
「栄養士がその位のことでくじけてちゃダメよ」
「アイスの良し悪しは一にも二にも玉子の良し悪しだっていうじゃない。」
やはり、おいてかれてでもおみやげは買っておくべきだったのだ。
「あのォ、実につまらないもので恐縮なのですが、といいますのも、凝ってるのはイレモノばかりでして、ねぇ、外見で判断するとほんと痛い目にあいますな、じっさい中身はあきれるほどお粗末なんです、あらかじめ」
「まあまあ、そうおっしゃらずに。何んですって、ヤマトタケルご愛用の?」
「よしてください、テレますよ(あッ、そこさわっちゃダメです!)。それにそんなの決まり文句じゃないですか」
「ナプキンと」
「おまると?」
「フィルムの」
「三点セット?」
「これは何んともありがたい!」

効能書きにはこうありますよ、
「あなたのおでこにはあとで『ダムなんかこわせばいい』とでも彫っておきますから。ところでお客さんボクシングの割引券はいかがですか? いくらストイックだからといって、水泳を愛する善意の小鳥(とは私のことです)を拒絶する権利だけはあなた、お持ちでないはずです」
「いきなり無理をおっしゃるな、ちょっと、待ってください。一体いつの試合ですか? トイレに特大の石けんがついていると保証できますか? 包装紙に椅子の紋様が印刷されていますが、これはテラスで一服してもいいというイミでなのでしょうか。かりにそうだったとしましょう。いえ、そこでついつい振り向いてしまうであろうこと、この歳になってなお予想できなかった私は、お恥ずかしい話ですが経験不足だったのですね。(オスは飼わないほうが無難です。) ところでその同じ場所に、直立不動のままこちらをにらみつけているポストが、いたりするんですよ。もういいです、白状しましょう。私はわが国唯一の占いスクールから近日中に返事をもらうことになっております。茶目っ気で直立不動、ついでに最敬礼の練習も兼ねて私は、封を切るでしょう。『テープ持参のこと。なお飲食厳禁、とくに汁モノは御法度』とカッターがわめきたてるじゃありませんか。カンベンしてくださいよ、すくなくとも今の私には耐えられません、ここまでの侮辱は」
「でもお客さん毎月ユービン局で、額面七円の『国庫債権』を換金してもらってるって話ですが。そんなに脚が欲しいのですか? まあまあ、この割引率をよく御覧下さい、かならずやバランスすることうけあいですよ」
「救急車のサイレンにだって割引制度はあります。もっとも、あとでかならず請求されますが。井戸が枯れれば家屋も崩壊するんですよ。やはりここは御辞退させていただくことにいたしましょう。」

女流アナリスト固有のふてぶてしさでかの女は、
「さすが御名答!」
とブラ薄にうでをとおすのだった。
「ところでゴルフはお好き?」
「あれは雨あがりが一番です。土のかほりが玉らない」
「今夜あたり決行なさるおつもりですか?」
「私はラブレターまで書いてやりました。それでもなお当事者間で協議がととのわない以上、奇襲攻撃以外にもはや道はないと考えます」
「そんなことが常識からいってゆるされるのでしょうか? 全国均一の深夜割引料金は永遠に不滅ですよ」
「こよみのうえでは浜辺に枝毛がもう散ってもいい頃です」
「お湯に萎えた身体にこのうえ何ができましょう?」
「われわれは谷間をゆく鼓笛隊ではなかったのですか? 雨なんかこわいことありません」
「でも聞いてください。一度なんか私はあのヤブ医者に真顔でこう言われました、『はい、あーんして。おやおや、しけてますな。収入印紙一枚。一回きりで結構です。大変恐縮なのですが、あなたのご趣味をお聞かせねがえませんか?』って」
「存じております。かかしが『うそでもいいからオイラの背中を見てやってくれ』としつこくせまるのです。私にもおぼえがありますから」
「アイアイガサなんてものはとうの昔に没収してやりました。ホネ以外はすべてニセモノでした。ところがどうでしょう、奴らときたら一向に悔いあらためる様子がありません。ああ神様、私を焼却してください!」
「当然でしょう。うやむやにしておいてはいけません。試験まえに三人でうどんの缶詰喰ったのも今となってはいい思い出です」
「いまさら今週の予定も何もあったものじゃありません。『いそがしい』という言葉は本質的に敬語──それも相当にイヤミったらしい敬語──の範疇に属しますから、その運用にあたっては細心の注意をもって、まぁせいぜい誤解を招かないよう相手に対するご機嫌伺い程度に限定しておくのが賢明でしょう。ごめんなさい、とヤボな女王づらさげてどこまでも、もちろん失敗は覚悟のうえでどこまでも、越えてゆかねばならない、そんなハメにもしこのさき私がおちいるとしたら(じつは現に、はからずもそうなりつつあるのですが)、絵ハガキのつらいつらい書き起こしには、『このごろかすんでしまってよく見えない自分を、少しでもとりもどせたらと、こうして筆をとった次第です』あたりが一等賞確実でしょうね」
「それごらんなさい、窓にイカスミをひっかける奴がある。今宵はおそらく銀のスプーン、ママと手垢のほじくり競争ですよ。誰だって、いじめをどすこい耐え抜くしかないのです。あなたこそがその適任者であると私は信じたい」
「こどもは模倣の天才です。駅前でよっぱらいを完全に演じ切っていましたっけ」
「それで読めた、あなた板だけレンタルで済ますおつもりですね?」
「そんなのイカサマだと最初っからわかってます。『天才だりのお料理教室』のほうが百倍マシです」
「あれは店員がいびきをかいてる間に売り切れてしまいました。代わりに彼は、フカフカのうきわを枕にしていたのだそうです」
「あなたはいま、豚、とおっしゃいました」
「もちろんプラチナを燃やした経験はおありですね。箱根越えはやはり苦しいものなんでしょうか?」

ちょっとあなた、もしもし?、ニキビの剃り残しが、あらまあ、溶けちゃってますよ。だらしがないですねぇ。私のカオはあげませんよ。少々お待ち下さい、マニュアルをさがしてみますから。「船便の場合は数分で消滅するが、航空便の場合は、数年後絶望の叫びとなって復活するおそれがあるため、下流地区の住民とも相談のうえ、なるべくなら悩ましい目つきで、自由にしてやるべきである。ただしこの件についてはしばしば訴訟問題に発展するため、専属のスタッフを配することがのぞましい」、これですね。じゃあ簡単に結っておきましょうか。あくまで応急処置ですが。ああ、あなたの血は、肉と一緒で、冷えきっております。くやしいんですか? でもワイシャツはお似合いですよ。さあ、腕をあげてごらんなさい、ズボンをおろしてごらんなさい。ムカついたこいつ、そんなとこにエアガンをかくしてましたね。日本人をナメたらアカンですよ。テロリスト勧誘のために、こうして牛乳びんまでもが汗だくになって働いているのです。アチチ、先生すこしは目をさましたらどうですか(って言ってほしかったんでしょう?)。そこで大声だしたってダメですよ。歩き回ったって茶化したって何したってダメです。すぐ隣ではわが社自慢のハワイアン・バンド「スネあてプアーボーイズ」が、コンテスト十年連続優勝なんです、もう賞品のうちわがあまってあまってしょうがない──それでこうしてお客さんにお配りしているのです[]──、そのハワイアン・バンドが、今日は水曜でしょう、すぐそこで練習してるんですよ。赤ランプが点滅すると無敵のトロンボーン・ソロです。数分で終わります。ステージでは全員がかならずひっくり返ることになっております。秘密結社のイニシエイションをおもわせる、と新婚さんたちの間で評判です。お口直しのあとは、いまや老いたるあしながおじさんたちが、めいめいを背中にかついで送ってってくれます。そのぐらいやらないといまどき人があつまらないんですよね。

でもどういうわけかマスコミには今一ウケが悪いんです。ジャパン・タイムズなどは、レスリング担当記者のつぎのような暴言をそのまま引用してました、「表参道をうめつくす黄色いゴキブリどもに『ためいき宣言』が歌えるだろうか?」 まぁその記者さんにも、同情の余地がないわけではありません。かれには、職権で一番目立つ場所にのっけた「救世主求ム」のつり広告を見てやってきた二人のお子さんがあります。ちなみに、年長の高校生のほうは私のひそかなる遊び仲間でもあるのですが、さいきんどうもメガホンの引力に抗しきれず、日に日に右傾化しゆくのがハタ目にも「おいおい」ってかんじなんだそうです。もって加えてお父さんはお仕事が不定期でしょう。このままいくと日々のごあいさつさえもが有名無実化してしまう、これは一市民として恥ずべき重大事だ!、とその晩かれは、ショウ半ばにして席を立たれたのでした。

キリマンジャロの頂に今しも移動式銭湯がその巨体を横たえたところである。前夜祭と称してスルタンがお気に入りの舞妓二人に無理難題を強いている。
「つぎは何イクのか」
「小さ目のをお持ちいたしました」
「良かろう。汝ら今一度、双子山を舞ってみよ」
「それにしても心がくもっております」
「ひつこいぞ。本番までには新品が納入される手筈になっておる」
「男の子か女の子かよくお選びになって下さい」
「それは山が決めることぢゃ」
「殿、お時間です。」

[註]いまあなたが確立しつつある認識もしくは錯覚を要約すればこうです、「かの女は『こうして』を連呼するけれども、そしてそこには文体のかけらも見られないけれども、そのじつ、かの女はつむいでいるのではなかろうか、文字どおり『こうして』報われぬ人生を生きているその瞬間瞬間を──一見すると無難な人間観察に逃避したかのようですが、この句のスコープはたかが知れてます。すなわち「ついでにここで自分の位置づけ、差別化をも済ませてしまおう」「しかるにわれは、云々」といった程度のものでありまして、失礼ですがあなたの弱さみたいなものを克服するそれは、第一歩にすらなりえていないのです。矛盾するかもしれませんが、あなたにはむしろ徹底的に弱者であっていただきたい。なぜって、どんな詐欺師にもゼロだけはゴマかせませんから。かつてあなたが沖に見出した「元祖宇宙寿司」の名にしても事情は似たりよったりです。良くも悪くも、あなたというひとは変わらないのですね。そう、あなたは得意気でした。おゥ、排他的占有者には天罰がくだるであろう、おゥ、良かったらそこに案内しよう、おゥ、かならずや人生観変えてみせよう、おゥ、すくなくともたまごの味だけは保証しよう、おゥ、あの晩、一体何回「おゥ」を耳にしたことでしょう! おかげで私はそれ以來、居留守がクセになってしまいました。自宅でピノキオ人形たちの間に混じって座禅を組むのもなかなかいいものです。ところでいまや周知のとおりその屋号は、原初において一握りのお寿司にほかならなかった大いなる宇宙が、その唯一目的として入口──いいえ、出口だったでしょうか──のところにかかげていた「拡がりチリ消えゆく」の理を、熱力学第二法則というかたちで人類があらためて意識化したその偉業といえば偉業、堕落といえば堕落のはじまりに由來しているだけなのですが、当時のあなたにそこまでの洞察力がはたしてゆるされていたのでしょうか? いいえ、あなたはもう御存知のはずです。信仰は本來、歴史を前提としてはいませんでした。後世のつけたしにきまってるじゃないですか。それがわかったらもう一度、両手をあげて、はい、そのままの姿勢で。いいですか、私たちに時間を超越できないなんてことはあってはならないのです。

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Composed 20 October-8 November 1994

中野隆行
Takayuki Nakano
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