9月11日(水)
日本テレビでやっていた、 独占・全世界同時公開「0911・カメラはビルの中にいた」を見ました。 私達がニュースなどで目にする、飛行機がビルに突っ込む映像。 しかしそれには続きがあったのです。
あの映像を撮ったのは、フランス人の兄弟。 弟のジュール・ノーデ、当時28歳と、兄のギデオン・ノーデ31歳と2人で、 ニューヨークの消防署の活動に密着取材をしていたんです。 撮影は2001年の6月から始まっていました。 取材の内容は、見習い消防士のトニーが成長していく様子。
事件があった日、いつものように仕事をしていた消防士達。 ガスのような臭いがするという通報を受け、ファイファー隊長と ジュール達が向かった。 現場に着き、道路でガスのチェックをしていると、轟音が鳴り響いた。 見上げると、飛行機が世界貿易センタービルに突っ込む瞬間だった。 これが私達がよく目にする映像です。 45秒ほどのこの映像。 しかし実際には1日以上の続きがあります。
たまたま現場付近にいたジュール達は、事件後2〜3分で 貿易センタービル・タワー1に到着します。 一番始めにビルに入った消防士となった、ファイファー隊長と消防士達。 そしてカメラマン、ジュール。 現場は78階であることが分かり、1階ロビーで作戦を練るファイファー隊長。 そこへ、他の消防署からも消防士が沢山来ます。 各消防署隊長4〜5人が集まって話し合いを始めます。 この中にはファイファー隊長の弟もいました。
上の階へ目指す消防士達。 エレベーターが動かず、非常階段で上っていました。 消防士のフル装備は30kgにもなります。 1階登るのに1分かかったとして・・・・。 そんなことを考えながらも上を目指していたそうです。 そんな中、隣りの貿易センタービル・タワー2めがけて、 2機目の飛行機がつっこみます。
その頃ロビーの前線本部では、機能がマヒし始めて パニック状態になります。 飛行機が突っ込んだショックでビルの電波塔が壊れてしまったために、 無線が繋がりにくい状態。 ファイファー隊長率いるこの消防署は、もともとこのビルを受け持っていた 消防署なので、ビル内部には詳しいということでファイファー隊長が 指揮していました。 しかし無線が使えず、現場に向かった消防士からの連絡など、 一切の情報が入ってこなかったそうです。
ビル内部にいながら、テレビで事件のニュースを見ている人達よりも 状況が分からない。 バン! と、たまにビル内に響き渡る、飛び降りた人の音。 こんな非常事態の中、隣りの貿易センタービル・タワー2が崩壊します。 鳴り響く音、土煙。 タワー1の消防士達は、何が起きているのか分からない状態。 そんな中でも冷静なファイファー隊長は、消防士達に撤退命令を出します。
1階ロビーの前線本部で、繋がりにくい無線に向かって 撤退命令を出すファイファー隊長。 そんな中、鳴り始める轟音。 ついに貿易センタービル・タワー1が崩壊しはじめました。 何かがこのビルで起こり始めた。 そう判断したファイファー隊長達は、外に向かって走り出します。 角を曲がり、動いていないエスカレーターをかけ上がる。 その時、砂埃がビル内を包み、視界がさえぎられました。 太陽の光すら遮断してしまうほどの砂埃。 砂埃で前が見えないと同時に、暗闇で前が見えません。 カメラマンのジュールは、カメラのライトをつけます。 このライトでなんとか前に歩き出す消防士達。 そして外に出た消防士達は信じられない光景を目の当たりにするのです。 世界貿易センタービル・タワー2が無い。
外に出たファイファー隊長は、すぐにまた前線本部を作ります。 ファイファー隊長に集まってくる消防士達。 しかしすぐに、与えられた指示をするために去っていきます。 そんな中、貿易センタービル・タワー1が崩壊します。 避難する消防士達。 車の影に隠れるジュール。 そしてそのジュールの上に覆い被さるようにするファイファー隊長。 目の前に広がっていた街が、あっという間に砂埃に 包み込まれてしまいます。
砂埃がおさまり、辺りを見渡すジュール。 そこは砂埃で真っ白の世界になった街だった。 街や消防士を撮影してる間に、ファイファー隊長とはぐれてしまう。 警察にここから避難するように言われ、消防署に戻ることに。 そこには埃まみれになった兄と、消防士達の姿があった。 この消防署の消防士達は全員無事だった。
その夜、全員が署に泊まりました。 黙っている人、自分が見た状況を語る人、いろいろな姿がありました。 消防士見習いのトニーは、先輩が言った言葉が心に残ったそうです。 「人の体のいろんな部分が降ってくるんだぜ・・・。」 その時、トニーはこう思ったそうです。 「ああ、こいつは地獄を見てきたんだな・・・。」
朝早く出発するファイファー隊長達。 ガレキの撤去と、生存者の救出をしなければいけない。 しかし生存者は殆どなく、死体を運ぶ仕事が殆どだったそうです。 「人を救うために消防士になったのに・・・。」 そんな思いが、消防士達の心を削っていったそうです。
この作業は何日も続き、やがていつも通りの仕事もするように なっていったそうです。 そして毎日のように行われる、消防士の葬儀。 ファイファー隊長の弟も、この事件で帰らぬ人となってしまいました。 事件から1年たった今でも、彼らの悲しみは消えることはないのでしょうね。
この番組で見たことを、忘れないように書きました。 多少、順序が違っているかもしれませんが、大まかな流れは こういう感じだったと思います。 この番組で、あらためてテロの卑劣さが分かりました。 しかし、だからといって力に力で対抗するようなアメリカの判断には 支持しかねます。 どんな理由があろうと、争いで人は死にます。 もう人が死ぬところなんて見たくもありません。 争いに正義も悪も関係無いのです。 テロで犠牲になった人達の為にも、争いの無い世界にしてほしい。 そう祈るばかりです。
犠牲になった人達のご冥福をお祈りいたします。
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