009 家紋の謎 1998.09.26

家紋(三頭右巴) 右にあるのが、我岡部家の家紋三頭右巴である。いわゆる三つ巴である。三つ巴の左右については、回転の方向つまり右廻りか左廻りかで決まる。ところが、中心から外向きの回転ならば、右の図は右廻りだが、外側から中心への回転と考えると左廻りとなる。実際にいくつかの書物では右の巴は左三つ巴としている。
『家紋の話−上絵師が語る紋章の美−』(著:泡坂妻男、発行:(株)新潮社[1997])によれば、そもそも巴は卍から派生している渦巻紋で、巴の左右も、鈎が出た方向で左右が決まる卍の名称を踏襲しているとのことなので、ここでは、三頭右巴とした。

ところで、『新訂寛政重修諸家譜』(編:高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、発行:(株)続群書類従完成会[1965])で岡部家の家紋を見ると次のようなことがわかる。

小野氏岡部家で見られる主な家紋
十萬、丸に十文字、万字、九曜、丸に万字など
藤原氏為憲流岡部家で見られる主な家紋
三頭左巴、雪輪の内根笹など
先祖とされる小野氏岡部家で三頭右巴は見当たらず、全くつながりのない藤原氏為憲流岡部家(岸和田藩主の系)で三つ巴が多用されている。ただし、左右は逆で、これは他の書物にある岸和田藩旗等で確認できる。

一体どういうことか。小野氏岡部家については、四代目で本家から別れ九州に下向しているので、ある時期、八幡宮の紋にあやかり巴紋になったとも考えられる。
ちなみに、武家に巴紋は多かったようである。
さて、藤原氏為憲流岡部家の三頭左巴だが、これは、偶然なのだろうか。それとも、先祖は小野氏岡部家ではなく藤原氏為憲流岡部家で、間違えて反転した紋が伝わったのだろうか。

一つ気になるのは、九州岡部の祖である広澄の子孫が一時期浪人して大阪に住んでいたということである。その時期に藤原氏為憲流岡部家の子孫が大阪に移っていたかは不明であるが、江戸時代には岸和田藩主となっている。
また、岸和田といえば、だんじりであるが、その中の一つに薩摩守忠度と岡部六弥太の血戦を主題とした彫物があるという。
ただの偶然なのかもしれないが、小野氏岡部家と藤原氏為憲流岡部家、どこか接点があるような気がしないでもない。
とにかく、三頭右巴紋がどういう経過で使われるようになったかは、全く不明である。


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