008 九州の岡部 1998.09.06

最近になって、家にもう一つ岡部家系図があることがわかった。これは、初代岡部出羽から380年に当たる平成元年に行われた祭典に際し補足されたものである。
こちらのはしがきにも、九州岡部の祖が、六彌太忠澄の長男三郎廣澄であることや、岡部長景氏を総裁とした全国岡部會の存在など興味深い記述が多く見られる。

九州岡部の祖については、『角川日本姓氏歴史人物大辞典 35山口県』(編:山口県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会、発行:(株)角川書店[1991])に以下のような同様の記述が見られる。

岡部忠澄┳広澄━頼朝の命により大友能直に従って九州の岡部氏の祖となる。
    ┃   大友氏没落の後、浪人して大阪に住んだ後に毛利秀就に仕えた。
    ┣景澄━承久2年長門国美祢郡岩永の地頭に補された。
    ┗忠澄

広澄の兄弟の忠澄は忠季の誤りであろう。また、景澄は『全国名字辞典』(著:森岡浩、発行:(株)東京堂出版[1997])に同様の記述が見られるものの、他の文献では、忠澄の子は後を継いでいる忠季と広澄しか出てこない。

岡部家家系の初代、出羽信安は廣澄の18代後とされているが、その間の人物については全く不明である。とりあえず、小野孝泰から廣澄本流のわかる範囲の系図です。

ちなみに、初代岡部出羽信安からの系図はこちらです。
3代目の刑部少輔信正の時に帰農したためか、四右衛門や森右衛門など同じ名が多く見られます。また、系図は称で書かれているようです。


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