023 河上彌市 2002.3.09

但馬生野の義挙で自決した奇兵隊二代目総督河上彌市は、高祖父河北一の再従兄弟。

以下、『明治維新人名辞典』(編:日本歴史学会、発行:(株)吉川弘文館[1981])より。

河上彌市
天保14(1843).1-文久3(1863).10.14 (21)
諱:繁義、正義
称:松之助、彌一、彌一郎、彌市
変:南八郎正義
生:長門国萩金谷
身:萩藩士、奇兵隊総督
禄:103石
贈:従四位

高杉晋作と最も親しく、文久3年6月高杉の奇兵隊編成に参加し、下関の外艦砲撃に小倉藩の態度を怒り、門司田浦を占領して砲塁を築き守備した。同年8月上京したが、政変のため帰国した。同年9月奇兵隊は吉敷郡秋穂村に転陣し、高杉が政務役となったため代って滝弥太郎と共に総管を勤めた。同年10月に先の天誅組義挙に内応するため、西下七卿の一人沢宣嘉を擁して東上し、変名して但馬の生野に拠り義挙を挙げ、別隊を率いて朝来郡山口村西念寺に陣し、ついで妙見山に籠ったが、生野本陣は敗れ、士兵も幕府側の軍を援けたため、事の成らないことを知り、沢卿に別れを告げ、各々姓名を妙見堂の壁に書き、山麓の山伏岩で切腹した。年21。

系:

                                        河北信藏                  嶺村素輔
      村田光賢                          ┝━━━━━一            ┝━━━━━一枝
      ┝━━━━┳━山田市郎右衛門━━━フキ        ┝━━━━━━俊          ┝━━━━━母
      岩子      ┃                                  伊登                      貞子
                ┃
                ┃  八谷正左衛門 
                ┃  ┝━━━━━━━━━河上繁治
                ┗━秀                  ┝━━━━━彌市
                                        コヨシ
                    

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