清風の甥竹内正兵衛は、高祖父河北一の祖父山田市郎右衛門の甥でもある。
また、正兵衛の妻は清風の娘駒である。
竹内正太郎勝友の跡を継ぐ。
以下、『明治維新人名辞典』(編:日本歴史学会、発行:(株)吉川弘文館[1981])より。
竹内正兵衛
文政2(1819)-元治1(1864).11.12 (46)
諱:勝愛
称:清喜、正兵衛
変:松永鼎
雅:竹叢、至愚、提山
生:長門国大津郡三隅村浅田
身:萩藩士八組士
禄:102石5斗
贈:正四位
検使役・代官役等を経て所帯方頭人となり、財政整理に尽力した。文久2年3月大坂藩邸の監吏となり、宍戸左馬介・中村九郎らと金穀を調達して尊攘運動を賛助した。同年11月当職手元役に転じ、3年帰国して蔵元役を兼ね、下関攘夷戦に出張した。元治1年6月佐久間佐兵衛と共に福原越後の参謀として上京し伏見にいたが、7月の禁門の変に敗れて帰国、ついで恭順派が藩の政権を握ったため野山獄に入れられ、斬殺された。年46。宍戸・中村・佐久間の三士と併せ、長州四参謀と称された。
系: ┏━清風 ┃ ┝━━━━━━━┓ ┃ 梅子 ┃ 河北信藏 嶺村素輔 村田光賢 ┃ ┃ ┝━━━━━一 ┝━━━━━一枝 ┝━━━━╋━山田市郎右衛門━━━フキ ┝━━━━━━俊 ┝━━━━━母 岩子 ┃ ┃ 伊登 貞子 ┃ ┃ ┃ 八谷正左衛門 ┃ ┃ ┝━━━━━━━━━竹内正兵衛 ┗━秀 ┃ │ ┗━駒
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