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私は自他共に認めるバイリンガルだ。小学校の頃から2か国語を自由に使い分けていた。だが私がその事に気付いたのは大学に入学してからの事だった。今日は私が自分のアイデンティティを確立するに至る転機となった事件を紹介したい。
それは大学1年の時、コンパの1次会と2次会の間に起こった出来事だった。2次会に向かっていた私は帰宅が遅くなるということを自宅に連絡しようとしていた。
私:「あ、俺ちょっと家に電話するから」
友人:「ああ」
私は公衆電話から自宅に電話をかけた。すぐに母が出た。
私:「あ、おかん?俺。今晩おそなるから、家鍵かけとって。ああ、ほなな。あ、あと明日の朝イグアナに餌やっといて。ほな」
そして私は電話を切った。ふと気付くと友人があっけにとられた顔でこっちを見ている。何のことか分からず私も友人を見返した。
友人:「お前、何ジンだよ」
私:「何が?」
友人:「今、関西弁しゃべってなかった?」
私:「うそ。」
そう、私はこの時まで自分が関西弁と標準語を見事に使い分けているということを知らなかったのだ。
作者紹介でも述べた通り、私は大阪府堺市出身だ。小学校4年の時、親の転勤で東京に越してきた。
それから10年以上もの間、私は自分の素性を隠し自分は東京生まれの東京育ちと思い込んで生きていたらしい。自分は母と違っていつも標準語をしゃべっているつもりだったのだ。
他にも私の素性が暴かれたこんな事件もあった。
学生時代のある日、用事で出かけようとしていた私に母が聞いた。
母:「健史、今日どこ行くん?」
私:「ひぐれさと」
母:「はあ?どこって?」
私:「だからひぐれさと」
母:「それ、まさかにっぽりのことちゃうん?」
私:「、、、、、、、、、、、うそ」
母:「ははははは、ひぐれさとやて、あほとちゃうか」
関西弁で笑うんじゃねえ、ちくしょう。
そう、関西出身の私は都心の難しい名前が苦手だったのだ。関西弁丸出しの母に笑われた、今でも歯噛みするほど悔しい経験だった。
こういった経験から、私は自分がバイリンガルであること、しかし関西人としても東京人としても半端な存在であることを認識し、注意していく様になった。
そして今では関西人と東京人の良さを兼ね備えたパーソナリティを獲得するに至ったという訳なのだ。そう、「御徒町」も「馬喰町」もばっちりである。
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