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人には誰も一生背負い続けなくてはならない業がある。今回は私の背中に重くのしかかり続けるであろう重荷についてお話したい。
それは私が就職して間もない頃に起こった。その頃、我が家では父、私、そして弟の3人が出勤/通学していた。10歳離れた弟はまだ高校生で、朝起きる時間は一番早かった。
ところが誰にでも覚えがある通り、高校生ぐらいの頃が一番朝が辛い年頃なのである。成長期で体が睡眠を必要としているのだろう。ご多分に漏れず弟も朝、なかなか起きられなかった。
これがお上品な山の手辺りのご家庭なら、何の問題もなかったのだろう。ところが関西下町系の我が家では話が違う。我が家では毎朝、おかんの怒号が家中に響き渡っていた。
ひろ!!時間やで!!はよ起きんかい!!
弟はひろまさという名前だ。またこの頃、おかんはよく私と弟の名前を取り違える事があった。
けん!!、、、ひろ!!起きんかい!!
あたたかな布団の中、朝の最後の30分をまどろんでいた私は毎朝のようにそんな声で目覚めさせられていた。
そしてそんな時、私は部屋から出て逆におかんを怒鳴った。
名前間違えんな言うとるやろ!!
ガキ!!お前もさっさと起きんかい!!
そしてこの頃、丁度反抗期だった弟も黙ってはいなかった。
起きてるって言ってんだろ!!
しっかり布団にくるまりながら怒鳴っていた。正に「理由無き反抗」である。
しかし我が家においてその標準語の中途半端な反抗は皆の怒りの火に油を注いだだけだった。
ほんなら早よ降りて来んかい!!
布団の中に入っとって起きとる言うか!!どあほ!!
怒りの連鎖、イスラエル/パレスチナに一歩も引けを取らない憎しみの応酬、それがこの頃の我が家の日常だった。
そしてそれがある日、越えては行けない一線を越える最後の引き金を引いてしまったのだ。
その日、最初の呼びかけにいつも通り反応しなかった弟に対し、私と父から「いいから怒鳴るな」と言われていたおかんはいつもとは違うアプローチに出た。
けんし〜、ひろちゃん起こして〜。
その時、すでに半分起きていた私は不承不承、布団から出た。
弟の部屋へ行って声をかける、すると弟は生返事をするだけで布団から出てこようとはしなかった。
ええから起きんかい、そう言いながら布団を引っ張ると弟は両手足を使って布団にしがみつき、離そうとしなかった。
どうやらもうほとんど起きていて、ふざけているらしかった。ええい生意気な、そう思いながら私は布団を右へ左へ引っ張って引きはがそうとしたが弟はふざけてなかなか布団を離さなかった。
そんな時、いつもなら布団の上からのしかかって思いきりくすぐってやる所だが、この時、布団にしがみつく弟の脇腹が布団の下にふと見えた。
お、ちょっと蹴ったろ。
予想外の攻撃にたじろぐ弟の姿を想像しながら、私は布団を上に引っ張り、露出した弟の脇腹をつま先で一撃した。
くぅぅぅぅ、、、
突然布団の下の弟がおとなしくなった。布団にしがみつくのを止めてうずくまっている。布団をめくってみると蹴られた脇腹を押さえて「く」の字になっている弟がいた。
、、、大丈夫か?
ちょっと心配になった私は聞いてみた。すると反抗期真っ只中の弟はその状態からも気丈に反撃して来た。
てめぇ、痛てぇんだよ!!
そんな弟を見た私は少し安心して、「ええからさっさと起きんかい」と捨て台詞を残してその場を去った。
1階のリビングに降りてしばらくすると、弟が続いて降りて来た。まだ脇腹を押さえていて痛そうにしていた。
痛い痛いといいながらも、弟は朝食をとり、何とか学校へと向かった。
おかんも「ちょっと、やさしくしたってやー」とか言いながらもあまり心配はしていなかった。
私も大した事はないだろうと思いながら朝食をとり、会社に向かった。
しかし、実はこの時、弟の体はすでに回復不可能なダメージを負っていたのだ。
その夕方、私が帰宅するとおかんがすぐさま玄関に飛び出て来た。
あんた、なにしてくれんの!!
なんやねん。
ひろちゃん、肋骨折れててんで!!
うそ。
どうやらクリーンヒットした私の一撃で弟の肋骨にヒビが入ってしまったらしい。
部屋に見舞いに行くと弟はまたあのやる気の無さそうな口調で言った。
てめぇ、何すんだよぉ、、、
いやー、すまん。
そしてその時私は自覚した、
「弟の肋骨を折った男」になってしまった、、、
それから数週間、湿布を貼り続けて弟の肋骨は回復した。しかし私の背中に刻まれたこの烙印は一生消える事が無いのだ。
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