はじめに

これは、当ホームページ専属ウィーン特派員H氏こと広実陽茂(ひろざね はるしげ)氏が、ウィーンヴァルトホルン協会(WWV)の会報に掲載された、当団ホルン奏者にしてWWVの中心人物であるローラント・ホルヴァート氏のエッセイ(?)を日本語訳したものを転載したものである。
人物名の表記などを除き、基本的には広実氏の文章をそのまま記述している。訳の過程で意味不明となっている部分もあるが、概要は十分に理解できるものと思う。それでも"一般の方"にはわかりにくいと思われる部分については、私(フォルカー)の注釈を付けさせていただいた(←それでもわからないって場所についてはゴメンナサイ^^;)。
「まさにホルヴァートの生きざまがかいま見れるエッセイではないでしょうか?」。広実氏が手紙に添えたこのひとことに、深く頷かざるをえない名(迷?)エッセイ。お楽しみいただければ幸いである。


Mag.Roland Horvath著

ヴィリバルト(Willibald)はAボーゲンのスペシャリスト
(フィルハーモニーの救済策)

WWV会報(BLATTER)27,Janner,1997より

1996/97シーズンに、マリス・ヤンソンスが予約演奏会に初登場しました。プログラムはドビュッシーの「海」(ロナルド・ヤノシュツが1番ホルン)とショスタコーヴィチの交響曲第5番(ラルス・シュトランスキーが1番ホルン)。
シュトランスキーは、ヤンソンスがソロ管楽器奏者(Fl:フリューリー、Ob:ガブリエル、Cl:トイブル、Fg:ミュラー、Tp:エダー)とティンパニ(ミッターマイヤー)とコンサートマスター(ヒンク)を立たせて演奏させたとき(フォルカー注[以下★]>:"立たせて"というのは意味不明)、卓越した演奏をしました。
第1楽章でのH(訳者注[以下※]1)の高音では、彼は通常使用しているキムラハルオ(Tokyo)のウィンナホルンではなく、本来の4本バルブ付きのヤマハダブルB/Fホルンへ変え、更にF/ハイFモデルへと変更しました。これは1994年日本オペラ客演の間、特別に作らせて使用したものであります。
第4楽章ではすべての4人ホルンでコントラA(記譜E)をバスチューバと交替で、出来れば交替したことがわからない様に演奏しなければなりません。もちろん、ご承知の通り、ウィンナホルンでこの低いEは不可能であります(★:F管でこの音は物理的に出すことが不可能。B♭管では出る)。
1つの可能な手段としては、(長管の←★:意味不明)C(記譜G)を「現存しない自然音"irrealen Naturton"」として使用し、音を下げます(※2)。しかしながら、これを長時間、そして今回のようなデュナミーク(pp)で使用することは、とても薦められるものではありません。
もう1つの手段は、Aボーゲンに差し替え、問題の低音を吹くのであります(★:ウィンナホルンはF管なので、通常はF管用のボーゲン[Fボーゲン]を付けているが、違う調性用のボーゲンを付けることによって調性を変えることもできる。なお、ボーゲンについてはウィンナホルン解体新書を参照)。しかしながら、今回の場合ボーゲンを交換する時間は与えられていません。なぜなら1番ホルンを補強する為、4人で8小節のロングトーンを吹かなければならないからです(練習番号121の8小節前:※3)。今までは、ここで私は休み、ボーゲンを交換できました。今回の演奏では、ヤノシュツみずからこの長い低音を代奏しました。ともかく休まなければボーゲンの交換は不可能でした。
1997年1月10日の最後のプローベでは(ジュネス・ミュージカルのおかげで←★:学生を対象に公開練習をしたということか?)私は良い認識を得ました。それはppでユニゾンのいくつかの音色は、とくにバスチューバと競合しなければならないときには、個々にいくらかの強めの音で吹くような、ちょっと違った音色をつくるべきだいうことです。私は2つの演奏会(+それに続いて月曜の夜、楽友協会の特別演奏会)と、同時に行なわれる録音のために何か良い策を見つけなければなりませんでした。そこで私は、となりのフリッツ・プファイファーに低い音の後の4小節(そこは3番ホルンは休みです)を補強してくれる様たのみました。----もちろん私は彼の楽譜にその個所を写しました----それでボーゲンの交換は機能します。しかしながら、この低い音の始め、私はあわてて作業し、準備に間に合わず、遅れて「忍び込む」ことになってしまいました。
プローベが終るやいなや、2番ホルンのヴィリバルト・ヤノシュツが私に説明してくれました。「そんなことは簡単だよ!全部Aボーゲンで吹けばいいんだ!」。私の懐疑な質問:「そしたらこの速い半音階の始め(★:練習番号112の8小節前から)はどうすんの?」ヴィリバルトは----Aボーゲンのスペシャリストであり、「フィデリオ」序曲の2番ホルンソロを主管ボーゲンのみ交換し、バルブ管は交換せずに吹いてしまう----さらに解説した。「もちろん!まず"123"を押し、"13"そして"3"、そしてまた"3"(←★:この番号は運指を表している)を押すと1オクターブ上のC(記譜)が出る。Fホルン用の3番管だけは長く抜いておかないといけないけどね!そうしないとあまりに高くなり過ぎるからな!」
"言われた通り"やってみると、これが表彰状ものでうまく行くのであります。そうして演奏会で確かめることができました。"取手の握り"(★:意味不明)だけはなれないけれども!
1997年1月13日、月曜の朝(予約演奏会の後、協会演奏会の前)、マリス・ヤンソンスは第5交響曲の4楽章で始めました。「この調律(練習)は重要です。貴方がたはお疲れでしょうが、少々練習しましょう」
例の練習番号116から122まで(低いAをAボーゲンで、R.ヤノシュツ[補強者《★:1番のアシスタント》]、W.ヤノシュツ2番ホルン、ホルヴァート4番ホルンが吹いた)とてもよく演奏できました。シュトランスキーは親指をあげて感激をあらわしました(★:ヤツがいかにもやりそうなポーズで目に浮ぶ^^;)。
プファイファーが"こしゃく"にも左となり(※4)からたずねてきました:「ローラント、お宅はちゃんと参加したのかい?」
ホルヴァートはしんぼうして良くこたえました:「私はまさにそこにいたよ!彼はとてもよくやった。私には"全く聞こえないくらい"だったよ」
その上プファイファー:「俺は"何も吹かなかったよ"!俺はもう"30過ぎ"だからな!」(★:"トシ"だからそういう余計なことはしない、というのがプファイファーのシャレの真意か?彼には、ローAは"出せない"から吹かなかった、というのが真相と私は思うけど...)
3楽章が終って休憩に入るとき、ヤンソンスは言いました。
「私はあなた方に感謝します。25才のときから楽友協会の立見で、いつか一度、ここに立ってみたいと、いつも思っていました………」

以上


−訳者注(※)−

  1. 彼らは通常、記譜上音名C,D,F…を使用するので要注意(私たちはドイツ音名で実音のみを表現!)
  2. いわゆるSTAMP氏(USA)のETUDEで有名になったVENDING奏法です。ホルヴァートには可能?
  3. Breitkopf&Hartel社の"CornoW inF"(★:4番ホルンのパート譜のこと)5,6ページが記載されているのです!オ・タ・ク!(★:ここで広実氏は、そのパート譜の個所を手紙に書き写してくれているのだが、当ページでは残念ながら掲載できない。スコアをお持ちの方は、確認されることをお勧めする)
  4. 想像可能だと思いますが、一応、ホルンはアシスタントを入れ、舞台向かって左手に1→4が1番左(ホルヴァート)で、その左隣りが"こしゃくな""30過ぎ"のプファイファー。(★:この演奏会ではホルンが舞台下手に陣取り、通常とは逆の並びに座ったということ。ちなみにプファイファーは'58年生まれなのでこの時点では38才。確かに"30過ぎ”には違いないけどね...)


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