わがラルス


私にとって、昨年('96年)の最大の"収穫"は、当団首席ホルン奏者ラルス・ミヒャエル・ストランスキーとの出会いであった。彼といかにして"友情"を深めるに至ったか。事の顛末をここにご紹介いたしましょう。

ラルス・ミヒャエル・ストランスキー(Lars Michael Stransky)。1966年ドイツのトリアー(Trier)生まれ。'85年(19歳!)からプロ奏者として活動を始め、ベルリン放送響、デュイスブルクオペラに在席。傍ら'91年からウィーンのローラント・ベルガー教授(元当団首席ホルン)の下でウィンナホルンの勉強を始め、'93年、ウィーン国立歌劇場オケに入団。規定の3年を経たことにより、'96年12月、正式にウィーンフィル団員となる。

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ストランスキーは気のいいお兄ちゃんだった

彼と初めて会話したのは、奇しくもこのホームページを公開した日('96/9/29)。当団の来日公演のため東京に着いたばかりの彼が、某アマチュアオケの演奏会に出演し、その後の打ち上げに私たちが紛れ込んだことがきっかけだった。"あんまり話さないヤツ"という前評判と違って、実に気さくに話をしてくれる彼とすっかり仲良くなった(と思い込んだ)私は、当団浜松公演終了後に、彼を囲んで再度宴会を挙行。改めて、いろいろと話をさせてもらうことができたのだった(←このへんの"くだり"は別欄参照)。
で、浜松での宴会の別れ際、彼とは年末にウィーンで再会することを約束した。「必ず電話してくれ。美味いもの食わせるところに連れてくから」という彼の言葉を心の支えに迎えた12月。私は彼に手紙を書いた。「12/28にウィーンへ行く。その日にはシュターツオパーの5階立見席にいるつもりだ」。その12月28日。「くるみ割り人形」の1番ホルンとしてピットに登場した彼は、最初のうち、いつものようにウォーミングアップなどをしていたのだが、しばらくすると、5階席の方をぐるっと見回しはじめた。そして、私のところまで来ると動きが止まったのだった。豆粒のようなサイズの彼がなんとなく私をみているような気がした。そこで、さっと手を上げてみると、「オォッ!」って感じでのけぞるではないか。そう、彼は私を探してくれていたのだ。この時の嬉しさといったら...。というわけで、終演後楽屋口で再会、翌日の終演後に飲みに行くという約束をしたのであった。

彼の姿は、彼が当団に入団した'93年から見ていた。その年の秋、聖地巡礼に出かけると、ピット内に見慣れない若手1番奏者の姿。しかも上手い。帰国後、「すごい新人が入った」と仲間に報告しまくったのは言うまでもないのだが、その際の私の表現は「ネオ○チみたいなヤツでさ」ってもの。だって仕方ないよね、短髪に痩けた頬っていう顔立ちだもの、どう見たってコワイ系だよ(笑)。でも、そのコワモテくんが、実は気のいいお兄ちゃんだったことが判明したのが、昨秋の宴会だったというわけ。


ストランスキーはウィーンフィルマニアだった

約束の翌日(12/29)、「無口な女」の終演後、私と友人のT氏と3人で彼行きつけの店へ。久々の再会に話も弾み、と言いたいところだが、会話が英語ゆえなかなか噛み合わない。友人T氏は英語堪能だが、私はデタラメ英語。ストランスキーも当団メンバーとしては英語が達者な方だが、ドイツ語のようにはいかない。いろいろ苦心しながらの会話となった。
しかし、そこはそれ。次第にお互いの人となりが見えてくると、話は盛り上がりをみせるようになる。そして、とんでもない事実が判明するのだ。それは、彼が根っからの「ウィーンフィルファン」であるということ。
当団の団員が、一般的にどれくらい自分たちの録音や映像といったものに興味があるのか判らないが、ヤツは文句なしの当団ファンにして演奏記録の収集マニアだったのだ。我々が、当団のCDや映像記録をたくさん所有しているなんていうと、いや自分の方があるはずだ、なんて意地を張ってくる(→まさにマニアならではのプライド合戦)。しまいにゃ、明日の午後、自分の家に来てコレクションを見ろ、とまで言い出す始末。思わぬ展開だが、こっちもそれは願ったり。というわけで、翌日の午後、シュターツオパー近くの彼のアパートを訪ねたのだった。
行ってみる確かにすごいコレクション。リビングにはCDとビデオのたくさん入った棚とオーディオ装置、そしてウィンナホルンがゴロゴロ。いやぁ、たいしたもんだ。おまけに、CD棚の上には、これまたたくさんの鉄道模型(Nゲージ)。何を隠そう、私もT氏も鉄道ファンだから、これにはさすがに笑った。
なんだよ、このヒト、俺たちとまったく同じじゃねーか。
昔からウィーンフィルとウィンナホルンが好きで憧れてきた。憧れの楽器は自分でも吹くようになった。CDが出れば必ず聴き、希少盤は探し回って買い求めた。テレビやラジオで放送があれば録画・録音もした。そして鉄道も好き。何から何までいっしょ。こういうヒト、向こうにもいたわけね。
でも、彼と我々には決定的な違いがある。それは、彼が「本当にウィーンフィルの団員になってしまった」ということ。さすがにこれには敵わない。そして、これはとても凄いことだと言うしかない。夢を現実にする、とはよく聞くセリフだが、彼はまさにそれをやってのけたわけだ。

※上の写真は彼の自宅でのもの。後ろにみえるのが膨大なCDとビデオのコレクションの一部。そして棚の上には鉄道模型の姿も...(^^;)


そして友人ラルスに

我々が彼をとても他人だとは思えなくなったのと同様に、彼もまた、我々をそういう存在と認識してくれたらしい。彼はこんなことを言ってくれた。
「もう俺をミスター・ストランスキーなどとは呼ばんでくれ。ラルスでいいよ」
ドイツ人というのは、自分をファーストネームで呼ぶようにと相手に伝えることで、お前と俺は今日から友だちだぞということを宣言するのだ、という話を聞いたことがある。その話が本当だとすれば、彼のこの発言は、我々への「友人宣言」ということになるのだろう。なんとまぁ、ありがたいことだろうか。
彼は、今夏、草津の音楽祭に講師としてやってくる。また、秋には恒例の当団来日公演にも参加予定という。彼の"勇姿"を見ることができるのは嬉しい限りだが、さらに嬉しいことに、うまく時間が作れれば一緒にアンサンブルをしようという約束もしてくれた。長年の夢だった当団メンバーとのウィンナホルンアンサンブル。いよいよ実現できそうだ。
ほんとにいろいろありがとね、ラルス。そして、今後ともよろしくお付き合い頼むよ。


ラルスのこれを聴いてやって

すでにたくさんの当団録音に参加している彼だが、"代表作"として、とりあえず次の2枚をご紹介しておく。

  • R.シュトラウス/ホルン協奏曲第1番:カール・ヤイトラー指揮フィルハーモニック・ウィンド・オーケストラ,ウィーン(CAMERATA 30CM-460)
観た!聴いた!ウィーンフィルにも書いたように、肝心のコンチェルトについては、残念ながらイマイチの出来と言わざるを得ない。本人も、マイクが近すぎて音が割れてる、と不満気だった。しかし、記念すべき初の、そして現状唯一の彼のソロCDであるわけだから、今の彼の姿を知ることができるものとして、一聴の価値はあるものと思う。力で押しきった感が否めない演奏だが、前任の某奏者の同曲演奏よりは技術的レベルは高い。あとは音楽への"味付け"だ。いい味出せるように人間を研こうぜ、ラルス。
  • R.シュトラウス/アルプス交響曲:小澤征爾指揮(PHILIPS PHCP-1800:国内盤)
彼自身「会心の出来」というこのCD。全体についての感想は、これまた観た!聴いた!ウィーンフィルをご参照いただくとして、ここでの彼のホルン(1番ホルン)は確かに素晴らしい。特に終盤の「エピローグ」でのオルガンとのコラールなど、実に美しい音で吹いていて惚れぼれする。世評も高いこの演奏、ぜひ聴いてやって!

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