Judea’s Kiss


Judea’s Kiss −第5話−
◆1◆

骨すら揺さぶるほどの暴力的な音が響きわたる。
フロアでは男女を問わず、スピーカーから吐き出されるエネルギーに身を浸して踊り続ける。
その状況を創り出している自分自身に酔っているDJ。
集まっている人間全てが、まるで鬱屈した日々を忘れるが如く。

古くなったライトが、チカチカと明滅している。
まるで瞬きをしているようなライトの下、
フロアを眺められるテーブルについた2人の男が、
その様子を過ぎ去った日々を懐かしむように眺めていた。
曲が変わるのをきっかけに、2人はフロアに向けていた視線を戻す。

「ドゥしたんダイ、晴一? 久々に皿でも回したい気分なのカイ?」

イントネーションに少しだけ特徴を残しながらも、
充分すぎるほど流暢な日本語で話しかけられる。

「……ん? そういうワケじゃないさ、ディヴィット」

シャツの袖口のカフスを外しながら晴一が応える。

「デモ、今度Partyでもあったら、また晴一にもPlayして欲しいネ」

銀髪の毛先をしきりに弄りながら、明るい口調で言葉を放つ。

「それにしても、会う度に髪の色が違うな。
 今度は銀色か……って、瞳の色まで変わってるのか?」
「Yah,コレはコンタクトよ。Treadmarkが無いと、
 黒人のボクが、お客さんに覚えてもらうのは大変だからネ」

そんな諦めに似たセリフさえ、暗い雰囲気を表に出さずにディヴィットは話す。

「その分じゃ、羽振りは相変わらず良さそうじゃないか、今度のブローカーも?
 前のと違って刺されそうになるコトも無さそうだし」
「Uh……そのハナシはいいっこ無しヨ」
「悪いがな、今日聴きたいのはそういう話なんだよ」
「Why? ボクもうソッチのブローカーは完全廃業よ。晴一も知ってるでショ?」
「それは充分すぎるほどわかってるさ。 ……何しろ俺が無理矢理辞めさせたも同然だからな」
「Stop! Please, Don't say about that……そんな言い方しないで、晴一には感謝してるヨ。
 あのまま続けてたら、それこそ刺し殺されても不思議は無かったカラ」
「そう言ってもらえると少しは救われるな……俺は弱虫なんでね」

晴一は自嘲気味に口許を歪め、グラスの底に残っていたテキーラを飲み干す。
喉が灼けつく感覚が、心なしか気持ちをスッキリさせてくれた。

「けどドゥして? 晴一、ソッチのハナシは嫌いだったでショ?」
「……ん? 俺の弟みたいなヤツに頼まれてね」
「hum? ソレで聴きたいコトって?」
「あぁ、それがな……」

・
・
・

「……とまぁ、そんな事がソイツの高校であったらしくってな」
「そんなコトがSenior-Hiでアったの?」
「それで、ちょっと調べてるってワケさ。
 話を聴くと、どうやら相当依存性が高そうなんでな。
 ちょっとアイツに話を聴こうと思ってたんだけど、
 アイツの連絡先なんて知らないからさ。
 こうしてわざわざディヴィットに来て貰ったんだよ」
「……晴一の頼みなら仕方ナイネ。
 けど、もうボクがソッチのブローカー辞めて大分経つから、
 電話が繋がるかワカラナイよ」

ディヴィットはそう言って携帯電話を取り出すと、手早くプッシュする。
呼び出し音のするケータイを、晴一はディヴィットから受け取った。

「はい? どちら様かしら?」

自分の名を名乗ることもなく、
電話の向こうからでもこちらを蝕む様な、艶を含んだ女性の声が耳に入ってきた。

「久しぶり……になるかな。
 紺野だよ。
 相変わらず声だけでも艶っぽいな。
 今でも纏っている薫りは、プワゾンなのかい?」

晴一はどこか哀しげに言葉を連ねる。
その思いを知ってか知らずか、その女性は変わらぬ口調で応える。

「ふふっ、お久しぶりね、紺野さん。1年振りくらいかしら?
 ええ、今もその薫りは私から切り離せないわ。
 ……だって、それが私の通り名ですから」
「プワゾン、今日はちょっと貴方に尋ねたい事があって、
 こうして電話してるんだが」
「あら、なにかしら?
 紺野さんがわざわざ私みたいな人に尋ねたい事って?」
「最近、新しい、恐らくは幻覚剤の一種だと思うが、
 そういうモノの話を聴いたことはないか?」
「あぁ、その事。
 勿論、私の耳にも入ってるわ。
 ……けど、残念ながら、それはウチのルートじゃないわ」
「何? どういう事だ?
 貴方が関わっていないのに、黙ってみているのか?」

信じられないといった様子で、問い返す晴一。
それに動じることもなく、プワゾンは言った。

「私も最初は黙っているつもりはなかったけどね。
 そのクスリ……『Smooth』って言うらしいの。
 名前の通り、スムースにトリップ出来るモノなんだけど、
 ソレを扱ってる子から、何処から私の連絡先を知ったのか、
 連絡があって、2人でお話したのよ。
 その子との約束だから、その話を言うわけにはいかないけど、
 話を聴いて、私納得しちゃってね。
 それで私達は、そのクスリの流れを黙ってみていることに決めたのよ」

強い意志の感じられる口振りで話を締める。
怯みそうになるのを抑えて、晴一は食い下がった。

「……けど少しだけでも情報を貰えないか?
 何でも構わない、このままじゃ心配なんだ」
「………………判ったわ。
 貴方の頼みを無下にするわけにはいかないわね。
 返しきれない借りもあるし……
 と言っても、教えられるのは少しだけ」
「ありがたい、それで充分だよ。
 ……それと俺は貴方に貸しを作ったなんて思ってないぜ。
 あの事は気にすることはない……ってのも無理な話か」
「……相変わらず優しい人ね。
 ……本題に戻りましょう。
 そのクスリは、新しいケミカル系のモノ。
 ヨーロッパ……恐らくはアムステルダムルートから流れてきたと思う。
 私は北欧あたりで出来たんじゃないか、と考えているけど。
 それと、扱っているディーラーの通り名は……『ユダ』よ」
「……ユダ?」

そう繰り返した時には既に電話は切れていた。

――確かにプワゾンは『扱っている子』と言った。
  そこからでも何かは掴めるのかもしれない。
  だが、今日はここまでで良しとしておこう。

ケータイを握ったまま思索に耽っていた晴一に、
ディヴィットは、心配そうに声を掛けた。

「……晴一? ドゥしたの?」
「ああ、ちょっとボンヤリしちゃったな。
 サンキュ、お陰で助かったよ」
「You're welcome!」

晴一からケータイを受け取ると、即座に発信履歴を消す。
その慎重さの徹底振りが、アイツを支えているのかな……?
ふと、そんな考えがよぎる。
  
「あ、そうだ、ディヴィット。
 頼んでおいたモノはどうなった?」
「MotorcycleのPistonは、思っていたより安く買えたヨ。
 あと、PartsのCatalogueは、来月新しいのが出るから、その時ネ」
「そっか、わかった。
 じゃあ、ピストンだけでも早いとこ届けてくれよ」
「OK! じゃあ、明日にでも届けるヨ。
 ……それジャ、ボク帰るネ」
「ああ、今日はありがとな」

そう言ってテーブルを去る細身の後ろ姿を見送り、
また晴一は、思考の世界へ没頭していった。


◆2◆

――同時刻。

「……ユダだ」

変換器を通した不自然な声が電話の向こうから響いてくる。

「わざわざご連絡して頂いて、御手数かけます。
 それで……次回はどちらですか?」

敬う言葉遣い、しかし感情のない言葉。
そんな返事を返す。

「次回の受け渡し場所は……」


◆3◆

夜は滅多に人の来ることのない展望台近くの駐車場にブロスを停め、
黒い薄手の革グローブをヘルメットの中に放り込むと、
暗闇の中で、煌々と光を放つ自販機に向かう。
痺れるほどに冷えた指先に、缶コーヒーが温もりを通り越して痛みすら与える。
それを2つ、フライトジャケットのポケットに押し込むと、
振り返って、やってきた道路の方を見やる。

「うぅっ、10月とはいえ、流石に山の頂上に近いと寒ぃっ。
 ……それにしても遅っせーな、大貴のヤツ」

山風に身を震わせながら、心配そうな面持ちで道を眺めている桐弥。
緊張で張っていた神経をほぐす為に煙草に火を点けようとしたその時、
耳に届く微かな排気音と共に、ヘッドライトが登ってくるのが見えた。

「やっと来たか……って、3つ、4つ、5つ……?
 なんで5台もいるんだ? クルマも1台混じってるみたいだし……」

不可解な面持ちで、その集団が登ってくるのを見つめていた。

・
・
・

大貴のグースが辿り着くと共に、
揃いも揃ってノーヘルの連中が4台、
少し遅れてローダウンしたアコードがやって来た。

「ゴメン、桐弥……」

ヘルメットを脱ぐなり少し怯えた様子で謝る大貴に、
桐弥は心配無いというように首を振ると、
振り返って、ほんの少し苛立たしげに前に立つ金髪に向かって言い放つ。

「……どういうつもりだ?
 夜景を眺めるなら、もっと見晴らしのいい場所は幾らでもあるだろ?」

そのセリフに反発した後ろの連中が詰め寄ろうとするのを、
金髪――戸村が手で制した。

「ははっ、今夜ヒマだったから、遊び相手を捜してたのさ。
 ここに来るのも、そこの浦野クンが信号待ちをしてるとこに出くわしたから、
 鬼ごっこをしてたらコチラに辿り着いたってワケ」

場にそぐわぬ軽い口調で戸村が応える。

「……信号待ちしてるところだと?
 よくヘルメット越しに大貴の顔が判ったな。
 いや、それ以前に第一なんで大貴の事を知ってる?
 ……オマエ達、どこまで俺達のこと探ってるんだ……?」

苛立たしげだった話し方が、淡々としたものに変わっていく。
桐弥の横に立っていた大貴が、はっと桐弥の方を向いた。

「オマエ達と揉めた当事者の俺がゴタゴタに巻き込まれるのは、
 仕方がない、諦めるさ。
 ……けどな、無関係な連中まで巻き込む気なら……」

桐弥の言葉を途中で遮って、戸村が口を挟む。

「おっと、今日は遊び相手を捜してるだけって言ったでしょう。
 せっかく葉月クンもバイクに乗ってるんだ、
 ここは一つ、一緒に走って貰えない?」
「……断ったら?」
「その時は、ここでみんなでじゃれあうだけさ」

そう言うと共に、戸村の視線が蛇の様な冷たいものに変わる。
しばしの間、桐弥はその視線を真っ向から受け止め、
わざとらしい溜息をついて答えた。

「じゃ、どうする? 登りか? それとも下りか?
 ……ただし1本勝負だ」
「話が早い人は好きだよ。 
 けど、ここからまた下ってスタートじゃ面倒くせぇから。
 下りって事でいいさ」
「へぇ、オマエの乗ってきたのって、GPZ900R――ニンジャだろ?
 その重たい4発で下り勝負とは、随分自信があるんだな」
「勝負事は何が起こるか判らない、ってな。
 俺が勝たないって決まってるワケじゃないだろ?」

戸村は不遜な笑いを浮かべて言った。 

「じゃあ、後ろの連中を審判として先に下の公園のとこまで下らせな。
 そこがゴールでいいだろ?
 スタート地点に人数は必要ないさ」
「それもそうだ。
 オマエら早いとこゴールで待ってろ」

戸村の発言に連中は頷くと、一瞥を桐弥達に投げつけ、
次々と各々の乗り物で下っていった。

「迷惑かけたな大貴。
 それじゃ俺達がスタートしたら、山の逆側から下って帰りな。
 ……あ、そうだ。
 飲むヒマ無かったけどな、買っといたんだ」

ポケットから缶コーヒーを取り出すと、2本とも大貴の手に渡した。
ヘルメットを被るとブロスに跨り、ニンジャの横につける。

「……待たせたな。 それじゃ早いとこ始めようぜ」

桐弥は淡々とそれだけ言うと、ヘルメットのシールドを降ろした。
戸村は額に上げていたゴーグルをかけると、コインを放り上げる。

――――――!!
コインがアスファルトに触れた瞬間、
2台はそこに音だけを残して、猛然と暗闇を切り裂く様に加速していった。


◆4◆

――加速じゃ、そりゃあ大排気量には勝てないよな。

そんな事を思いながら、桐弥はヘルメットの中から前方を見据える。
スタート直後の緩やかな下り勾配の直線で、
桐弥のブロスは、パワーの差を見せつけられる様に先行されてしまった。
その戸村のニンジャを追いかける形で、相手の技量を見極めるように観察する。
最初の左コーナーへ、ニンジャ、少し遅れてブロスは、
センターラインギリギリから、飛び込む様に一気にマシンを倒し込み、
そのコーナーを駆け抜けると、
次のコーナーに向かって、また突き抜ける様にダッシュする。

――ふぅん、そこそこ乗れるみたいだけど、
  肘に力入りすぎだな、切り返しが甘い。
  ……抜けない相手じゃないな。

4つ、5つとコーナーを過ぎ、後ろから見ていた桐弥に、
徐々に戸村のクセが見えてきた。

――切り返しが弱い上に、重たいGPZか……
  勝負は、低速コーナーだな。
  丁度いい、この2つ先、看板コーナーだったな。
  ……あの右ヘアピンで一気に抜くっ!

ニンジャの後に、ピッタリとついて走っていく。
すると、左手に錆の目立つ、見慣れた大きな看板が迫ってくる。
それを合図に、桐弥はガードレールすれすれまで左にブロスを寄せた。
ニンジャは一拍早くテールランプを赤く灯すと、
コーナーに飛び込み、イン側に寄っていく。
減速をギリギリまで遅らせたブロスは、
タイヤが悲鳴を上げるほどのブレーキと共に一気にマシンを傾け、
アウトから、より速いスピードでニンジャの真横に並びかけた。

……その瞬間!
戸村の左足がブロスのフロントタイヤを弾く様に蹴り出された!!

――っ!!
  
突然、制御が出来なくなったブロスが、桐弥の思惑を外れて暴れ出す。
縋る様に桐弥はハンドルにしがみついた。
既にマシンは倒れ、ステップは道路との摩擦で火花をあげながら滑っていく。
ガードレールにぶつかったブロスはそこで動きを止め、
まるで桐弥を引き剥がすかの如く、
衝撃によってハンドルを掴んでいた手が離れる。
身体が浮き、更に慣性は桐弥を運び、
ヘルメットを着けていたとはいえ、ガードレールにしたたかに頭を打ち付けられた。
桐弥は動くことも出来ず、ただ冷え切ったアスファルトに横たわるしかなかった。

……眩しい光が近づいてくる。
Uターンしてきたのだろう、GPZが対向車線に停まる。
GPZから降り立ち、ゆっくりゆっくりと戸村が歩み寄り、
倒れている桐弥を蔑む様に見下ろしている。
その顔が、まるで彫り刻まれていく様に、笑いを象っていく。
朦朧としつつある意識の中で、その笑みだけが悪夢の様に心に染み込む。
……そこで記憶が途切れた。

・
・
・

靄のかかった様な意識が、徐々に澄み渡っていく。
最初に認識できたのは、心配そうな表情から、
見た者全てが安らぐような、柔らかい笑顔へと一転した女性。
それは見覚えのある顔だった。

「久しぶりだね」

どこか場にそぐわないその女性の挨拶に、桐弥はただ苦笑いを浮かべるだけだった。


          ――It comes after Next Story...

 

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