Judea’s Kiss


Judea’s Kiss −第4話−
◆1◆

店の中には、既に桂は居なかった。
ジーンズの後ポケットから携帯電話を取り出すと、桂の番号を呼び出す。

――TRRRRR、TRRRRR...

コール音はするものの、本人は一向に電話に出ない。

――ブツッ。
「もしもしっ、桂かっ?」
「……こちらは留守番電話サービスです。ご用件の――」

定型通りの録音されたメッセージが流れてくる。
最後まで聴くことなく電話を切った。

「しょうがない、とりあえずクルマに戻ってるか」

ひとりごちて駐車場に戻ろうとした時、見覚えのある顔を見つけた。
路地の入り口に立ち、盛んに周りの様子を窺っている男。

(アイツ、確か同じ学年だったよな……?)

桐弥はなんとか男の名前を思い出そうとしたが、
印象にあるのは常日頃、3年生のグループの後についてまわってる姿だけだ。

「ま、いーや。聴くだけ聴いてみるか」

近づいていく桐弥に気が付いたのか、警戒した表情を浮かべている。

「何だよ、葉月。何か用か?」

あからさまに虚勢を張っているのがわかる。

「いや、ちょっと聴きたいんだけど。
 神村のヤツ見かけなかったか?」
「しっ、知らねぇよっ!」
「わかりやすいヤツだなぁ、どもりながら言ったらバレバレじゃねーか」

そんな様子を見て、桐弥は苦笑した。

「知らねぇって言ってんだろっ!!」
「そんなに怒るコトねぇだろ。……この奥か?」
「知らねぇよっ、早く消えろよっ!」  
「どうせオマエ、見張りに立たされてるんだろ?
 ……そんなヤツが偉そうに命令するなよ」

冷ややかにそれだけ言い残し、男の横を通り過ぎる。
どうしていいのか、わからずに男はただうろたえていた。


◆2◆

(……ったく。前に3人、後ろに4人、全部で7人かよ。こりゃちょっと厳しいかな)

桂は薄暗い路地の奥、雑居ビルの狭間の小さな空き地で男達に囲まれていた。

「おーい、わざわざこんな暗がりに連れてきて何する気だ?
 愛の告白や、キャッチセールスなら間に合ってるぜ」

やれやれといった表情をしながらも緊迫感のない軽口を叩く。
周りの連中から下卑た笑いと侮蔑の言葉が無数に降りかかる。
その中で目の前のベリーショートの金髪だけは違っていた。
放置されて大分時間が経っているのだろう、
薄汚れ、積み重ねられたビールケースに背を預けながら、
冗談に付き合うこともなく、表情も変えずに無機質な視線で貫き通す様に桂を見ている。
頭の芯が凍り付くような冷たい眼だった。

「そんなに見つめるなよ。照れるだろ」

それでも桂の軽口は変わることなく、しかし声のトーンが幾分低く落ちる。
研ぎ澄まされた刃の様なその声に気圧され、水を打ったが如く静寂が訪れる。

――酔っぱらいのがなりたてる声。
――店頭のスピーカーから響く音楽。
――道行く人たちの楽しそうな笑い声。

そんな街のざわめきは確かに鼓膜を振るわせている。
決して無音ではないはずなのに、息苦しくなるほどの重い静寂に包まれていた。

「へぇ、凄いね。神村さん」

口許に薄ら笑いを浮かべて、金髪が雰囲気に呑まれることなく言った。
ただし眼は相変わらず笑っていない。機械の様な感情を感じられない眼のままだ。

「……金髪くん。あんた、喋れたのか。
 今まで口をきかなかったのはどうしてだい?
 見かけと違って照れ屋さんなのかな?」

桂は目を逸らすことなく、金髪の眼を真っ向から見据える。

「まぁそんなところだよ。
 あと『金髪くん』はやめてくれないかな、ちょっと恥ずかしいからね。
 戸村 行生(とむら ゆきお)って名前があるんだ、そっちで呼んでくれるとありがたいな」
「わかったよ、戸村。
 じゃあ、そろそろ用件に入ってもらおうか。
 暗がりで男に囲まれてる状況は、あんまり歓迎したいもんじゃないからな」
「ちょっと待ってくれるかな。神村さんと話したいって人に電話しなきゃいけないからね。
 ……おい、誰かケータイ貸せよ」
「あっ、はい。使って下さい」

どこか萎縮したような声で、桂の左前方に居た白いニットキャップが慌てて戸村に駆け寄った。
戸村は携帯電話を受け取ると、手早く番号をプッシュする。

(……キッチリした縦社会が出来てるよなぁ、こーゆー連中って)

桂はマッチを擦って煙草に火を点けると、
戸村達のやりとりを眺めながら、そんなことを考えていた。

「もしもし、戸村ですが。 ……ええ、ここに居ますよ。
 じゃあ、本人に替わります」

そう言って携帯電話を桂に差し出す。
桂は受け取ると、くわえていた煙草を深く吸い込み、通話口に挑発的に吹きかける。

「もしもし、どなただい?
 わざわざ俺と話がしたいだけで、こんなトコまでお迎え付きで招待してくれたシャイなお方は?」
「ふふっ、相変わらず物怖じしない人ですね。
 去年のクラスメートの取手(とりで)ですよ」

電話の向こうから穏やかな声が響く。

「……テメェかよ、取手。
 わざわざこんなマネしてくれるとはご苦労なこった。
 それで何の用だ?」

嫌悪感を抑えずに桂が吐き捨てる。

「わかっているでしょう? あなたみたいな頭の回転の速い人ならね。
 僕達の大切なトモダチの村岡くんのことですよ。
 あいにくと、僕はその場に居合わせなかったものでして、
 騒ぎの現場に居た方にお話を伺おうと思いましてね」
「そのバカ丁寧なクセに、人を見下した喋り方は変わらねぇな、取手。
 何も俺でなくても話は聴けるだろ。
 俺はテメェの役に立つことなんかしたくねぇからな」

周りの連中が桂の発言を聴いた途端、ザワザワと不穏な様子を見せ始める。
刺々しい空気の中、ジリジリと熱が上がってくる。
暴発寸前、そんな雰囲気になっていった。

「ふぅ……交渉は決裂ですか、仕方ありませんね。
 また別の機会にお願いにあがりますよ」
「何度聴かれても答えは変わらないと思うぜ」
「ふふっ、そうでしょうか? ……今日のところは諦めますけどね。
 すいませんが、戸村に替わっていただけますか?」 
「ああ」

短く返事をして、桂は携帯電話を戸村に放り投げた。

「悠(ゆう)さん、話は終わったんですか? それで、どうします?
 ……ええ、わかりました。じゃあ、いつものトコに集まればいいんですね?」

戸村の声を後に、空き地から出ようとした時、均衡が破れた。

「黙って帰れると思ってんのかよっ!」

白いニットキャップをかぶった男が、桂の前に立ちふさがり肩を掴みあげる。

「……離せよ」

押し殺した低い声で、桂がつぶやく。
しかし、火の点いてしまった感情を止められるほど、ニットキャップは冷静ではなかった。
掴んだ手を離すことなく桂の脇腹に蹴りを繰り出そうと足を振りかぶった瞬間。

――ズダンっ!

ニットキャップは、後ろ襟を引っ張られて地面に倒された。

「桂っ、捜したぜ。何やってんだ、こんなトコで?」

そんな状況を把握してるのかどうか、いまいち判らないセリフと共に桐弥が路地から姿を現した。

「桐弥ぁ、ホント美味しいタイミングで出てくるよな、オマエは」

桂が苦笑いを浮かべて言うと、

「ま、ヒーローの宿命ってヤツかな」

桐弥も不敵に笑いながら答える。

「テメェっ!」

引き倒されたニットキャップが怒りを露わに上体を起こそうとした。

「……黙って寝てろよ」

桐弥はそう言い放ちながら、側頭部を蹴りつける。

「がぁっ!!」

一声上げて、白目をむくニットキャップ。
その光景が引き金となった。
先程まで桂を取り囲んでいた連中が、眼をギラつかせて近寄ってくる。

「何してんだ、この野郎っ!!」

栄養が全て腹に回った様なデブ野郎が、蛮声を上げて桐弥に殴りかかる。
その拳を左にずれて避ける桐弥。
大振りした拳が耳元をかすめ、髪が風圧でなびく。
瞬間、右耳のピアスが煌めく。

「あっぶねぇな、このデブっ!!」

腕を振りきったままの無防備な首筋に桐弥は肘を叩き込む。
デブは顔面からまともに地面にぶっ倒れた。

「殺すぞっ!!」

次の瞬間、桐弥の脇腹に衝撃が伝わった。
Gジャンを着た男が放った蹴りをマトモに喰らって倒れる。

「テメェが死ねよっ!!」

桂がGジャンの臑を爪先で力一杯に蹴り上げる。

「ぎゃあああぁぁっ!!」

叫びを上げてうずくまるGジャンの頭を掴み、膝蹴りを腹に入れる。
手を離して突き飛ばすと、Gジャンは丸くなって倒れ反吐をブチ撒けた。

「……ぃってぇな、ったく」

立ち上がりながら、桐弥は空のビール瓶を拾い上げる。

「オマエら、なかなかやるじゃねえか。次は……」

目つきが鋭い痩せた男が呻くように言った、その瞬間。
――バシャンっ!!
痩せの膝でビール瓶が割れる音が響く。

「大物ぶって、グダグダ述べてんじゃねーよ」

高ぶった興奮すらも凍り付かせる様な、冷ややかな声で桐弥が言った。
桂がハッと桐弥の方を向くと無表情な横顔が眼に入った。
握った手の中に、ビール瓶の細くなった首の部分が残っている。

「ヤメとけ。これ以上やってもコッチの怪我人が増えるだけだ」

戸村が、残った2人に声をかける。

「ふーん、アンタがコイツらのまとめ役か。
 何で、もっと早く止めなかった?」
「止めるヒマも無かったんでね」

――ブンっ!

戸村の顔の脇を、ビール瓶の首が通り過ぎ、後ろのビルの壁にぶつかって千々に砕けた。

「それじゃあ、仕方ないよな」

桐弥が皮肉を言う。

「今回のことは、スイマセンでしたね。
 後で改めてお詫びに行きますよ」

戸村も顔色一つ変えずに平然と答える。

「ワビ入れなんか、どーでもいーよ。
 これから下手にちょっかい出すようなコトさえしなければな」

桂がうんざりした様な口調で言った。

「わかりました、約束しますよ。
 下手なちょっかいは出しません」
「……信用したいもんだな。さぁ帰ろうぜ、桐弥」

桐弥と桂が空き地を出た後、誰にも聞こえないほどの呟きが漏れる。

「……下手なちょっかいは出しませんよ、下手じゃないちょっかいは出すかもしれませんがね」


◆3◆

「うーん、おかしいなぁ、どこ行っちゃったんだろ、2人共?」

ファーストフードの店内、2階の窓際の席から外を眺めながら呟く。

「いつもの駐車場に神村さんのスープラはあったんだけどなぁ……」

大貴に視線が集まっているのは、ブツブツと独り言を言っているからではなく、
その女の子と間違うような綺麗な容貌で、常に注目を集めてしまうからだ。

「あのー、ここ空いてますか?」

男の声が、外を眺めたままの大貴にかけられる。

(また、女の子と勘違いされてるのかなぁ……)

男に声をかけられるのも初めてじゃない。
けど、その度に大貴は、どーにかならないかなぁ、という悩みに陥ってしまう。

「残念ですけど、僕、男で……」

そう言いながら振り返ると、見知った顔が笑いを必死でこらえていた。

「……って、晴一さんじゃないですかっ」
「くくくっ、げ、元気そうだな、大貴」

深いグリーンのスーツにボウタイをした男が、トレーを手にしたまま震えていた。

「我慢しないで笑ったらどうです」

拗ねたように、再び外に視線を向ける。

「あははははっ、怒るなよ。それはそうと、どうしたんだよ、一人でブツブツと」

大貴の向かいに腰を下ろすと、ポテトをつまみながら訊いてきた。

「退屈だったんで、ブラブラしてたんですけど。
 神村さんのクルマがいつものトコに停まってたから、
 桐弥や神村さんと遊ぼうかなって捜してたんですけど、見当たらないんですよ」
「ケータイに電話してみたら?」
「さっき電話したら、2人共、留守電だったんですよ」
「ふぅん……」

晴一は、そう言って視線を窓の外に向けると、

「あれ? そこ歩いてる2人組って桐弥達じゃないか?」
「えっ? あ、ホントだっ!」

大貴は言うなり席を立ち上がった。

「ちょっと呼んできますんで、席の方お願いしますね」

しばらくして、テーブルに各々のトレーが並び、4人が顔をつきあわせていた。

「……へぇ、そんなコトがあったのか」

オレンジジュースを飲みながら、事情を聞いた晴一が言った。

「それにしても、取手って『特別進学クラス』の中でもトップクラスのヤツだろ?」

マルボロをくわえたまま、桐弥が桂に聴いた。

「ああ、頭が良すぎると要らないコトまで考えちまうんだろうな。
 如何に上手く人を使う……いや、操れるのかを楽しんでる様なヤツだよ」

桂がそう言うと

「けどさぁ、わざわざそこまでして話を聴きたがるなんて普通じゃないよね」

珍しく嫌そうな表情を表に出して大貴が言った。

「ジャンキーだの、人を駒代わりにするヤツだの色んなヤツが集まってるなぁ、
 お前達の学校も」

晴一が呆れた様に天を仰ぐ。

「何言ってるんですか、晴一さんもウチの学校のOBでしょ。しかも特進クラスの」

笑いながら桐弥がツッコむ。

「特進クラスかぁ、ウチのクラスじゃ、行けそうなのは那緒ちゃんぐらいかな?」

思い出したように桂が言った。

「そぅかもねぇ、勉強じゃ、とてもかなわないしね、僕」

大貴が苦笑いしながらボソッと呟いた。

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店から出て、秋の気配を漂わせる夜風の中に佇む一同。
空に浮かぶ月を仰ぎ見ながら、桐弥がふと言葉を洩らす。

「……なんだか盛り沢山な一日だったな」
「まったくだ。平穏無事な学生生活を過ごしたいんだけどな、俺は」

桂が合いの手を入れる。

「嘘だぁ、神村さんに、穏やかな人生は似合わないですよ」

くすくすと笑いながら、大貴が冗談を口にする。

「その通りだな」

晴一が、そう言って頷きつつ腕時計に眼をやる。

「……さぁて、そろそろお開きにするか。お子様は家に帰る時間だぞ」

とりとめのない話を晴一がまとめる。

「あ、晴一さん。歩きなら送っていきますよ」

桂が声をかけると、

「いや、これから大学の仲間と呑みにいくんだよ。
 気持ちだけありがたく受け取っておくよ。それじゃあな」

そう言って、待ち合わせでもしてるのだろう、駅の方向に歩いていった。

「……いけね。晴一さんに聴きたいことあったんだ。
 悪ぃ、ちょっと待っててくれよ」

桐弥は慌てて、晴一の後を追っていった。

 ――残された桂と大貴。
  「大貴、今日歩きなのか?」
  「うん」
  「しょうがねぇなぁ、心優しい俺が送っていってやるか」
  「あはは、ありがとうございますっ」

「晴一さーん。ちょっと待って」

走りながら前方の晴一を呼び止める。

「ん? どうした、桐弥?」
「聴きたいコトって言うか、……ちょっと頼みがありまして」
「なんだよ、そんなマジな顔して?」
「さっきの話に関係するんですけど……
 幻覚剤とかがこの街に流行ってるのかとか、どんなモノが入ってくるのかとか、
 わかるようだったら連絡してもらえますか?」
「あんまり、若いうちから興味持つモノじゃねぇぞ。
 ……年喰ったからってやるモノでもないけどな」
「いや、別に俺がドラッグやるわけじゃないですよ。
 勘なんですけどね、これからまだヤバいコトが起きそうなんですよ。
 その時に備えて、少しでも情報が欲しいんですよ」
「……うーん、わかったよ。
 まぁ、お前なら間違った道には入らないだろ。
 じゃあ、調べたら連絡する。 ……あくまで俺の調べられる範囲でだけどな」
「充分ですよ。それじゃ面倒懸けますけどよろしくお願いします」


―――嫌な予感と言うのは、何故当たってしまうのだろう。
   
  
          ――It comes after Next Story...


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