中野隆行 宝篋印陀羅尼経広本の日本成立に関する一試論 2006 抜粋
III-1-C. 本文の分析。広本との比較
われわれの金剛寿院本(真福寺宝生院所蔵)は、範疇としては略本の傍系である。
随所にテクストのヴァリアント/私注が書き込まれる。
阿娑縛抄が宝篋印陀羅尼経につき金剛寿院と注記すること[1]と、1167年に祐暹がとくに金剛寿院本を写すこととは軌を一にしている。
なぜ金剛寿院本なのか。
金剛寿院本において、ヴァリアントはすべて「イ」とされる。通常であれば「異本に曰く」の意であるが、いかなる素性の異本かについては一言もふれない。
ところで、序論(II-4節)でもふれるように、そもそも略本には決定的といえる善本が存在しない。そのような状況において、私に“再治”本をつくろうとすることはきわめて自然なことである。
じっさい、
[1] 阿娑縛抄79 宝篋印経、経軌事。朱書して「金」(大正図像9、p.151b)。類例から、金剛寿院[目録所載]といったほどの意。この注記を欠く伝本もあるが、大正図像本(底本は毘沙門堂本)および西教寺正教蔵本(国文学研究資料館にマイクロフィルムあり)に確認できるので、本来あったものと考える。
○仮定
以上よりこう仮定する。すなわち、これら私注の意図はテクストの修正にあり、金剛寿院本という名称をかんがみても、覚尋本人に帰せられるべきものである、と。
そこで、本文に私注を適用した結果のテクスト、すなわち覚尋が意図した修正後の状態と、今日われわれの知る広本とを比較してみると、興味深い事実が判明する。
金剛寿院本は広本の祖本なのである。
いいかえれば、われわれは金剛寿院本に広本の生成過程を見ることができる。“なぜ金剛寿院本なのか”――金剛寿院本の資料価値はまさしくその点にある。
…ここまでの仮定につき、因果関係について根本的な疑問があるかもしれない。すなわち、この金剛寿院本なるものは実は、その時点ですでに存在していた広本と校合を試みるも何らかの事情により未完に終わった結果にすぎないのではないか、と。これについてはすぐ後に反証を挙げる。
○金剛寿院本と広本とを比較する
付表、金剛寿院本と広本の比較(本書、pp.23ff)。
金剛寿院本については、金剛寿院本にあって特徴的なものをマークし採番する(kj001~kj031)。
これらはその来歴により、
広本については、広本固有のうち金剛寿院本によらないものをマークする。
ここで、金剛寿院本に固有のものを、広本への影響およびその来歴により分類してみると、
広本において採用されるもの
広本において採用されないもの
どちらともいえないもの。金剛寿院本の底本のミスを直しただけで結果的に諸本と同じであり意味のないもの。その他
○分析
以上より、金剛寿院本に特徴的なものは、広本の成立に際し主観的に取捨選択されることがわかる。
数の上からいえば採用されるもののほうが多く、とくに覚尋による加筆(上の分類では(c))はそのほとんどが採用される。その意味でも金剛寿院本は広本のもっとも重要な底本といいうる。
採用されないものの存在も重要である。
1) 中でも[kj007]は覚尋の私注を明確に否定する希有な例である。
2) また、前後を含めて全面的に書き直す結果、採用されなかったものも少なくない([kj010][kj011][kj021][kj031])。
これら1) 2) の存在は、上述「因果関係についての根本的疑問」への明確な反証である。
3) あとは、顕徳本固有の誤字脱字を諸本により訂正する箇所である([kj006][kj014][kj022])。
どちらともいえない中に[kj008]があり、これは顕徳本の改行位置を意味上の改パラグラフと誤認したものである。金剛寿院本の実際の底本が顕徳本からさほど遠ざかっていなかったらしきことがうかがえ興味深い。
一方、広本固有のうち金剛寿院本によらないもの、言い換えれば金剛寿院本以降の加筆に目を転じると、何よりもその分量の多さに気づかされる。
ここにはあきらかに別種の意図が見てとれる。
また、文体的にも思想的にも一貫したものがある。四字リズムへの徹底したこだわり、あるいは顕密経典からの引用の数々――これらはすべて金剛寿院本にはなく、広本の“作者”によるものである。
広本の詳細なテクスト分析については稿を改めたい。
ところで覚尋に広本のようなものを作る意図があったかといえば、そのような大それた意図はなかったと考える。上述のように、あくまで乱れた伝本を少しでも良くしようと、ささやかな私見を(しかも異本であるとへりくだったうえで)そっと添えるのであろう。