025 河北一 2002.5.5

山田顕義の従兄弟で、河北義次郎の再従兄弟でもある河北一は高祖父つまり祖父の祖父である。
母は村田清風の姪で山田市郎右衛門の次女フキ、妻は前原一誠の妹伊登、子は、長男勘七、次男佐世庄次郎、長女艶(杉山正に嫁ぎ後離婚)、次女嶺村素輔妻俊、三女井上幾太郎妻豊、四女中丸一平妻妙がいる。
一について記されている書籍において、生没年が天明8〜明治44.12.22となっているが山口市から取り寄せた除籍謄本によれば天保4.3.13〜明治40.12.21となっている。
以下、『増補近世防長人名辞典』(著:吉田祥朔、発行:マツノ書店[1976])より。

河北一
天保4(1833).3.13-明治40(1907).12.21 (75)
諱:常道
称:正幸、一
号:一夢
身:萩藩士八組士、初代上宇野令村村長

萩藩士、名は正幸、一名常道、一夢と号す、その先は藤原首藤氏を称す、河北氏その族なり、のち毛利氏に帰し萩に来る、一夙に藩命に依りて長崎に遊び西洋兵式を究め安政中浦賀に出役し在営中に万国海路船幟記の著あり、四境役密命を奉じて広島に使しまた木戸孝允と薩藩に赴き国事に尽す、のち近侍より番頭格に進み藩の家職主管となる、明治22年初度の吉敷郡上宇野令村長となり26年に至れり、同44年12月22日歿、年75。性剛毅にして各種武技を修め殊に馬術に長じ馬学小考の著あり。

系:

           
                          ┏━勘七
                          ┃           
                          ┣━佐世庄次郎
                          ┃           
                          ┣━艶
                          ┃           
    河北信藏              ┃  嶺村素輔
    ┝━━━━━        ┃  ┝━━━━━一枝
    フキ        ┝━━━━╋━俊          ┝━━━━━母
                伊登      ┃              貞子
                          ┃           
                          ┣━井上豊
                          ┃
                          ┗━中丸妙       



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