兼重慎一は高祖父河北一の義弟である。
先妻トメとの間に虎三郎、馬屋原政之進、国司精造がいる。
後妻のツルは一の妹で、ツルとその先夫三浦政三郎娘キクは、虎三郎の妻である。
女流日本画家梅(暗香)はツルとの子である。
以下、『明治維新人名辞典』(編:日本歴史学会、発行:(株)吉川弘文館[1981])より。
兼重慎一
文化14(1817).6.4-明治30(1897).2.1 (81)
諱:慎
称:譲蔵、慎一
字:宣明
号:桐塢、桐堂
生:周防国吉敷郡切畑村
身:萩藩八組士
禄:60石
贈:従五位
萩藩校明倫館に入り、学問進んで村田清風に接し激励された。天保11年初めて仕官し右筆座の筆者役を勤め、嘉永6年の米使来航により相模警衛に加わり、安政5年には山田亦介らと兵庫警衛の方策を定めた。文久3年世子に扈従して上京したが、八月の政変後は藩主訴冤のため奔走し、元治元年禁門の変後の恭順派政府のため譴責せられた。慶応元年藩論回復によって国防方に参画し、大村益次郎と兵制を改革した。その後も常に内にあって国政に参じたが、維新後は藩史の編集に専念し、東京芝白金猿町邸で病死した。年81。
系: 河北信藏 嶺村素輔 ┝━━━┳━一 ┝━━━━━一枝 フキ ┃ ┝━━━━━━俊 ┝━━━━━母 ┃ 伊登 貞子 ┃ ┗━ツル ┝━━━━━暗香 兼重宣之──慎一 ├────┬─虎三郎 トメ │ ├─馬屋原政之進 │ └─国司精造
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