兼重慎一の娘で暗香こと梅は高祖父河北一の姪である。
画家への道は叔父である洋画家河北道介の影響があったようであるが、そもそも身体に不自由があった上に両親は再婚同士で年が離れていたこともあり、早くから手に職をつけて両親を安心させたかったということらしい。
体の不自由を理由に断ったとのことだが、香淳皇后の日本画教授要請もあったとのこと。
以下、『昭和山口県人物誌』(著:中西輝麿、発行:マツノ書店[1990])、『近代防長人物誌』(編:井関九郎、発行:マツノ書店[1987])より。
兼重暗香
明治5(1872).3.15-昭和21(1946).11.2 (74)
名:梅
号:暗香
生:吉敷郡矢原村
身:画家
画家、明治5.3.15吉敷郡矢原村(現、山口市)に兼重慎一の長女として生まれる。
幼時病気のため両足の自由を失う。
東京の頌栄女学校卒業、洋画は肖像画を、日本画は花鳥山水を得意とし、梅花と牡丹の絵は神技といわれた。
大正時代、文展の特選となり、昭和5年日本美術協会に入って幹事となる。
昭和19年山口に帰る。
多芸で、謡曲、琴、三味線、囲碁などにも優れていた。
昭和21年11月2日没(74)。
...日本美術協会にて賞状を受くる事10数回、日本画会にて百画当選6回に及び、宮内省の御買上を得たること前後9回、近くば、文部省美術展覧会に花鳥画の出品を為し、毎回入選の栄を得、其の他日英博覧会に於ては、銅賞を得、洋画にては最も肖像に長じ、...
系: 河北信藏 嶺村素輔 ┝━━━┳━一 ┝━━━━━一枝 フキ ┃ ┝━━━━━━俊 ┝━━━━━母 ┃ 伊登 貞子 ┃ ┗━ツル ┝━━━━━━暗香 兼重慎一
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