洋画家河北道介は高祖父河北一の弟である。
どのような経緯なのかは不明だが、実家に道介の作品がある。
初め佐々木家を継いだが後復帰した。
以下、『増補近世防長人名辞典』(著:吉田祥朔、発行:マツノ書店[1976])より。
河北道介
嘉永3(1850).3.21-明治40(1907).5.11 (58)
身:萩藩士、画家
河北道介は萩藩士にして嘉永3年生る、初め東京に出て川上冬崖及び外人ゲリノーを師として洋画家を修め、明治7年陸軍仕官学校に図画教授となり、のち仏国に留学し滞在数年にして明治30年帰朝す、同33年再び巴里博覧会に事務官として渡仏、34年帰朝の後転じて朝鮮に赴き開拓事業に志を属せしが同40年病んで歿す、年58。
系: 河北信藏 嶺村素輔 ┝━━━┳━一 ┝━━━━━一枝 フキ ┃ ┝━━━━━━俊 ┝━━━━━母 ┃ 伊登 貞子 ┃ ┗━道介 ┝━━━━━━━━┳━薫久 スガ子 ┃ ┣━政 ┃ ┗━国司ナツ子
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