前原一誠の父佐世彦七は高祖母河北伊登の父。
妻は鷲津九郎左衛門の女で、兄政信の妻であった末子。
子は長男前原一誠、重富伊久子(重富與三妻)、河北伊登(河北一妻)、田中多喜子(田中一介妻)、山田頴太郎(山田政輔の養子)、一清がいる。
3人の息子は萩の乱の幹部として斬首され、自らも自決した。
以下、『増補近世防長人名辞典』(著:吉田祥朔、発行:マツノ書店[1976])より。
佐世彦七
文化10(1813).10.21-明治9(1876).11.14 (64)
諱:経一
称:少三郎、彦七
身:萩藩八組士
禄:47石
佐世彦七は名は経一長藩の寄組佐世氏の支族にして禄47石を食む、天保年間郡吏となりて久しく厚狭郡船木に在勤しのち帰って萩土原の宅に居る、明治9年10月萩前原党の変起り事敗れて一誠はその弟頴太郎及び奥平横山等を拉して山陰に赴く、彦七留りて雁島の旧宅に潜みしが忽ち捕吏の探知する所となり屠腹して未だ死せず、病院に送られて10月14日終に歿す、年64。彦七人と為り朴実果敢居常言笑苟くもせず、その子女を教育するに極めて厳格なりしという。
系: ┏━前原一誠 ┃ 嶺村素輔 ┃ 河北一 ┝━━━━━一枝 佐世如章━━彦七 ┃ ┝━━━━━━俊 ┝━━━━━母 ┝━━━╋━伊登 貞子 末子 ┃ ┣━田中多喜子 ┃ ┣━山田頴太郎 ┃ ┗━一清
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