032 山田頴太郎と佐世一清 2002.7.14

高祖母河北伊登の弟山田頴太郎と佐世一清とは兄の前原一誠と共に萩の乱に参加。
頴太郎は、山田政輔の養子となり、妻は同じく養女の玉子。
子は克介と前原昌一。
佐世一清は、兄一誠が前原家を起したので佐世家を継いだ。

以下、『増補近世防長人名辞典』(著:吉田祥朔、発行:マツノ書店[1976])より。

山田頴太郎
嘉永2(1849).9-明治9(1876).12.3 (27)
諱:一昌
称:次郎、一樹、頴太郎
生:長門国厚狭郡船木村
身:萩藩八組士 陸軍少佐

名は一昌、萩藩士佐世彦七の第2子にして前原一誠の次弟なり、幼時出でて藩士山田氏を嗣ぐ、弱冠大村益次郎に就きて兵学を修め維新後陸軍少佐となり大阪鎮台に転任す、既にして辞して萩に帰る、明治9年10月奥平謙輔横山俊彦と共に一誠を擁して兵を挙げその隊伍の編制及び進退等主として頴太郎の画策に出ず、事敗るるに及び一誠等と山陰に赴きて縛に就き12月3日萩にて斬に処せらる、年27。

佐世一清
嘉永5(1852).3-明治9(1876).12.3 (25)
諱:一清
称:三郎、一武
生:長門国厚狭郡船木村
身:萩藩八組士

初名三郎、萩藩士佐世彦七の第3子、前原一誠山田頴太郎の弟なり、幼にして明倫館に学びまた玉木文之進に従って経史を講ず、明治9年10月兄一誠の事を挙ぐるや褊将として奮闘衆に超ゆ偶々飛丸その右腕を貫き為に刀を揮うの自由を失うもなお督戦数刻、時に兄頴太郎弾丸雨注の間に倒れ未だ殊せず乃ち自ら之を負い後方に脱出す、事敗れ宇龍港にて縛に就き12月3日斬らる、年25。

系:


                                  嶺村素輔
                    河北一        ┝━━━━━一枝
    佐世彦七        ┝━━━━━━俊          ┝━━━━━母
    ┝━━━━━┳━伊登                      貞子
    末子        ┃
                ┣━山田頴太郎┏━克介
                ┃  ┝━━━━┫
                ┃  玉子      ┗━前原昌一
                ┃
                ┗━一清
                
                           

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