高祖母河北伊登の甥に国司仙吉がいる。伊登の異父姉ましと国司右内の長子で、早くに父を亡くし父親代わりの祖父作兵衛も11歳の時に亡くなったため、この時家督を継いだ。
吉田松陰の大叔母は国司六郎右衛門(作兵衛と同一人物か?)に嫁しその娘辰と松陰の叔父玉木文之進が結婚しており、杉家とも縁があった。
妻はうめ、没後井上きんと再婚。
以下、『増補近世防長人名辞典』(著:吉田祥朔、発行:マツノ書店[1976])より。
国司仙吉
弘化3(1846).9.26-大正4(1915).12.25 (70)
諱:庸信
称:千吉郎、仙吉
号:水門
生:長門国萩
身:萩藩八組士 秋田県権令
禄:77石5斗
贈:従五位
萩藩士にて一に千吉郎といい水門の号あり、安政4年12歳にして吉田松陰の兵学門生となり次いで松下村塾に入り少年の俊才と認めらる、同5年藩命にて上京し情勢を探る、文久3年また京都にありて王事に勤め慶応年間奇兵隊に在り、維新後は東京に出で明治4年木更津県権参事同6年秋田県権令となり正五位に叙せらる、明治年間歿す、享年知られず。
系: きん 国司右内 │ ┝━━━━━━仙吉 ┏━━まし │ ┃ うめ ┃ ┏━佐世政信 ┃ 嶺村素輔 ┃ ┝━━━━┛ 河北一 ┝━━━━━一枝 ┃ 末子 ┝━━━━━━俊 ┝━━━━━母 ┃ ┝━━━━━━伊登 貞子 ┗━━彦七
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