前原一誠の甥でもある重富豊太郎は高祖母河北伊登の甥である。
以下、『増補萩の乱』(著:松本二郎、発行:マツノ書店[1985])より。
重富豊太郎
文久1(1861)-明治10(1877) (17)
称:豊太郎
生:長門国阿武郡川上村
身:萩藩八組士
八組士禄110石重富与三の長男。母いくは前原の妹。乱の当時16歳で、自ら志願して戦場にでた。おそらく戦場活躍の勇士中、最年少であったろう。腰部に重傷をうけ、病院で療養をうけたが翌年終に死した。17歳。
系: 重富與三 ┝━━━━━━豊太郎 ┏━━伊久 ┃ ┃ 嶺村素輔 ┃ 河北一 ┝━━━━━一枝 佐世彦七 ┃ ┝━━━━━━俊 ┝━━━━━母 ┝━━━━┻━━伊登 貞子 末子
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