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1999年1月〜6月のNEWSです。

1999年6月24日(木)号

●祝!? 小澤征爾ウィーン国立歌劇場音楽総監督就任

新聞等の報道によると、小澤征爾が、現在務めているボストン響の音楽監督を2002年で辞任。同年のシーズン(9月以降)から、ウィーン国立歌劇場の音楽総監督(General Musik Direktor ← で良いのかな?)に就任することになったとのこと。
本件については、アメリカ国内で先行報道された形だったが、現地時間23日午後、ウィーンにおいてホーレンダー支配人と小澤が同席しての記者会見が行われ、正式に発表された模様である。

◎ニュースのツボ◎

いやぁ、これはビックリのニュースでしたなぁ。だって、全然そんなウワサ聞かなかったもんねぇ?それとも、結構知られてた話だった?? でも、私の身近な"事情通"の皆さんにとっても、まさに「寝耳に水」だったらしいから、密かに進行していた話だったんだろうとは思うけど。
しかし、小澤がウィーン国立歌劇場の音楽総監督(GMD ← が正解らしい。タダの"指揮者"ではない。ちなみに、この地位は以前のアバドと同じものとか)とは... ほんと、ただただ驚くばかり。だって、決して「常連」の指揮者でもないし(今月は随分とピットに登場したようだけど)、かつ「オペラ振り」というキャリアの持ち主でもないからね。多くの人にとっては「なんで??」ってのが、正直な感想でしょう。私だってそうです。
が、だからと言って、「不可解な人事だ!」だの、「オペラ経験不足の小澤が音楽監督じゃ質が落ちる!」だのと騒ぐのは禁物。これは、あくまでも「ビジネス」の話なのだから。
「それ、どういうこと?」というアナタには、某事情通氏からの以下のメールをお読みいただきたい...

転載メール:ここから-----------------------------------------

極東の音楽ファンが考えているように「芸術至上主義」で決まるのではなくて、まず「健全経営」が求められているのですから、ウイーン側にとってはベストかどうかはともかく、かなり良いチョイスだと思います。
もちろん、小澤氏だって自分の領分はわかっていますので、自らが振るレパートリーは入念に「ベルカントとヴァーグナー以外」からスタートするでしょう。そっちは専門家とかスターに振らせれば良いのですから。
しかし、民営化ですからスターを呼ぶとなると当然カネがいる。
となると、小澤氏がどれだけジャパンマネーを持ってこられるか、が大きなポイントになりそうです。まさにウイーン側はそこを期待しているのでは?
多分、この辺に関しては事情がよく分かっていない「自称音楽通」とか「評論家もどき」がいろいろな事を言うと思いますが、
・芸術点だけで小澤が求められたのではない。
・だからウイーンの芸術が落ちるとか傷がつくとかの議論はまったく見当違い。
という点だけは、間違いないはずです。
小澤氏は人脈は細くても敵はいませんから、金さえ持ってこられれば誰でも呼べるという点では、なかなか良いチョイスなのではないでしょうか?

-----------------------------------------ここまで

もちろん、これは"見方"の一例であるわけで、もっと(音楽的な意味で)純粋に、小澤の就任を喜んだり怒ったりということもあって然るべきと思う。
だけど、国の丸抱えという立場を離れ、"自立"して食って行かねばならない新生ウィーン国立歌劇場にとって、「如何にお金を集めるか」は至上命題であるわけで、その点を考えれば、上のような見方は、決して的外れなものではないと思うのだ(小澤には、ボストンで長年「金集め」をし続けた"実績"があるわけだし)。
あとは、小澤自身が「勘違い」をしないことなのだろう。「俺がすべての『音楽』を『監督』したる!」なんてことを考えちゃうと、いろんな形の軋轢が生じ、あっという間に上手く行かなくなってしまうはず。だって、彼より「オペラを知っている」人が、ワンサカいるわけだからね、かの地には(ピットの中に陣取る面々も含めて^^;)。
「オペラ振り」でない小澤を敢えて音楽総監督に据えた。この事実を、当の小澤も含めた全員が「事実」として受け止めつつ仕事をして行けば、案外上手く行く可能性も高いのでは...?
とは言え、私の気持ちとしては、正直なところ複雑ですわ。苦しい"台所事情"は分かるけど、でも、もっと若い、そして、オペラの世界で生きてきた指揮者で新たなスタートを切るのも手だったのではないか、と。もっとも、じゃぁその指揮者は誰だよ?と言われても、具体的な名前は出ないんだけどね...



1999年6月14日(月)号

●アーノンクールとのブルックナー7番録音終了

WPh公式ページのNEWSコーナーによると、6月5日と6日に行われた定期演奏会で、アーノンクール指揮により演奏されたブルックナー7番が、テルデックによりライブ録音されたとのこと。
また、先に行われた野外コンサート(5月29日)の模様もCD化される計画がある模様である。

◎ニュースのツボ◎

着々と(?)レパートリーを拡大しつつあるアーノンクールが、当団を指揮してブルックナー7番を演奏・録音するということで、予定が発表された時から話題であったこの演奏会。演奏会ならびにライブ録音は無事終了したようで、まずは何より。
ちなみに、定期演奏会に先だって、6月3日に行われた同プログラムによる特別演奏会(於:コンツェルトハウス)を聴いてこられた読者Tさんからの情報によると、ノヴァーク版の譜面を使用し、かつ「快速テンポ」による演奏であったとのこと。
また、金管は、舞台下手のワグナーチューバから上手のトランペットまでが最後列に1列に陣取り、ホルン会はワグナーチューバ会の前に、2列になって座っていたということである(ホルン+ワグナーチューバの位置は、いつもと逆ということ)。
ところで、我らがラルス氏は、このブルックナー7番がとても好きならしく、この曲の1番ワグナーチューバを吹いた回数をきちんと数えているほど。これ、決してマメとは言えない(^^;彼としては実に異例のことであって、それだけ思い入れが強い曲なのだろう。で、今回の演奏会・録音でも、"当然"ワグナーチューバを吹いたようで、いや、さぞかしご満悦なことでありましょうよ(^^



1999年5月25日(火)号

●2001年の来日公演はラトル&ブレンデル&ベートーヴェンで決まり!?

本屋で立ち読みした(爆)「音友」だか「レコ芸」だか(いい加減だな、おい^^;)に掲載されていたブレンデルへのインタビュー記事によると、ブレンデルは、2001年の当団来日公演に同行する予定らしい。指揮は"当然"(?)ラトルで、演奏曲目は「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番だと思う」とのこと。

◎ニュースのツボ◎

「2001年の(21世紀最初の!)当団来日公演の指揮者がラトルで、ベートーヴェンの交響曲全曲プロを敢行するらしい」という噂は、既に"周知の事実"になりつつあるようだが、このブレンデルへのインタビュー記事で、その"裏"が取れたと言って良いのではないだろうか。
しかし、そうですか、ブレンデル御大までご同行となりますか。こりゃまた「ビッグプロジェクト」だねぇ。ブレンデルの弾くのが4番というのは、個人的にはちと残念だけど(私は2番をもう一度聴いてみたい!)、でも、ま、大いに期待できる内容ではあるので、2年間、楽しみに待ちましょう。



1999年5月12日(水)号

●来シーズンスケジュール(ある程度)判明!

毎度お馴染みS氏@不協和音からのご通報、および、こちらのページに記載された内容から、来シーズン(1999/09〜2000/06)の当団スケジュールがある程度判明したので、以下にまとめる。

1999年
日 付 場 所 指揮者 (主な)曲 目
09/03 エジンバラ ラトル マーラー「復活」他(エジンバラ音楽祭)
09/04 エジンバラ ラトル ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ベートーヴェン「田園」他(エジンバラ音楽祭)
09/06 ロンドン ラトル マーラー「復活」他(プロムス)
09/07 ロンドン ラトル ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ベートーヴェン「田園」他(プロムス)
09/08 ベルリン ラトル マーラー「復活」他(ベルリン芸術週間)
09/10 ルツェルン ラトル ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ベートーヴェン「田園」他(ルツェルン音楽祭)
09/11 ルツェルン ラトル マーラー「復活」他(ルツェルン音楽祭)
09/24-26 ウィーン マゼール シベリウス交響曲第2番他
09/29 ニューヨーク マゼール マーラー交響曲第5番(WPhウィークNY)
09/30 ニューヨーク マゼール シベリウス交響曲第2番他(WPhウィークNY)
10/02 ニューヨーク マゼール ブラームス交響曲第4番、ストラヴィンスキー「火の鳥」組曲他(WPhウィークNY)
10/03 ニューヨーク マゼール R.シュトラウス「ツァラツゥストラ…」、シュトラウス一家(WPhウィークNY)
10/05 リオデジャネイロ マゼール R.シュトラウス「ツァラツゥストラ…」、シュトラウス一家
10/06 サンパウロ マゼール R.シュトラウス「ツァラツゥストラ…」、シュトラウス一家
10/07 サンパウロ マゼール ブラームス交響曲第4番、シベリウス交響曲第2番
10/09 ブエノスアイレス マゼール R.シュトラウス「ツァラツゥストラ…」、シュトラウス一家
10/10 ブエノスアイレス マゼール ブラームス交響曲第4番、シベリウス交響曲第2番
10/23 パリ ブーレーズ ウェーベルン「パッサカリア」、バルトークオケ・コン他
10/31-11/01 ウィーン マリナー モーツァルト「レクイエム」他
11/13-14 ウィーン メスト バーンスタイン「シンフォニックダンス」他
12/04 ウィーン ゲルギエフ ドビュッシー「海」、チャイコフスキー「悲愴」他
12/31 ウィーン ムーティ ジルヴェスターコンサート

2000年
日 付 場 所 指揮者 (主な)曲 目
01/01 ウィーン ムーティ ニューイヤーコンサート
01/14-16 ウィーン メータ コープランドクラリネット協奏曲(オッテンザマー)、ストラヴィンスキー「春の祭典」他
01/22 ザルツブルク アーノンクール モーツァルトオーボエ協奏曲(ガブリエル)、「ハフナー」交響曲他(モーツァルト週間)
01/25 ザルツブルク ピノック モーツァルトアリア集(ボニー)、「プラハ」交響曲他(モーツァルト週間)
01/28 ザルツブルク プレヴィン ラヴェルピアノ協奏曲(内田光子)、プレヴィン自作他(モーツァルト週間)
02/19-20 ウィーン シノーポリ ベートーヴェン三重協奏曲(ワリッシュ、シュトイデ、ヴァルガ)、R.シュトラウス「ツァラトゥストラ…」他
03/13 アムステルダム 小澤征爾 ブラームス交響曲第3番、第2番
03/14 アムステルダム 小澤征爾 ブラームス大学祝典序曲、ハイドン変奏曲、交響曲第4番
03/17 パリ 小澤征爾 ブラームス交響曲第3番、第2番
03/31-04/02 ウィーン ムーティ 曲目未定
04/28-30 ウィーン ゲルギエフ ムソルグスキー「展覧会の絵」、ストラヴィンスキー「火の鳥」
05/07 マウトハウゼン ラトル ベートーヴェン交響曲第9番
05/13 ウィーン メータ マーラー「復活」
05/18 ウィーン シノーポリ シューベルト「死と乙女」、マーラー「大地の歌」(国立歌劇場コンサート)
05/27-28 ウィーン プレヴィン プレヴィン自作、ショスタコーヴィチ交響曲第5番他
05/31 パリ プレヴィン プレヴィン自作、ショスタコーヴィチ交響曲第5番他
06/16-18 ウィーン ヤンソンス ブラームス二重協奏曲(キュッヒル、バルトロメイ)、バルトーク「中国の不思議な役人」組曲他

◎ニュースのツボ◎

何といっても目を引くのは、シーズン冒頭に行われるヨーロッパ+北米・南米演奏旅行。日程もハードなら、曲もこれまたハード。とにかく、無事終了することを祈るのみ。しかし、マゼールと10回連続で演奏会するってのは、なかなか"濃い"なぁ...(^^;
指揮者陣では、ゲルギエフの台頭が目に付くところ。ザルツブルク音楽祭という"営業の場"での共演を経て、ついに本拠地ウィーンに登場と相成った。
個人的に最も笑ったのが小澤のブラームス。ブラ3+ブラ2、大学祝典+ハイバリ+ブラ4という組み合わせは、当欄2月21日号で予想したのとピッタリ。現時点ではブラ1のプログラムがないのだが、これも当ったら「パーフェクト!」だ。その節はなんかくれよな、当団(^^;
上記に残りの定期公演が加わって、正式な来シーズンスケジュールとなるものと思われる。定期公演についても、近いうちに内容が判明すると思うので(多分ね)、わかり次第お知らせする。なお、当団からの正式発表は、例年通り、7月のザルツブルク音楽祭で行われるはずである。



1999年5月10日(月)号

●もう一人の新人ハーピストは男性

2月25日号で、新人ハーピストとしてフランス人女性Julie Pallocが採用された(正確には2000年9月からの採用)というニュースをお知らせしたが、実は、同じオーディションでもう一人のハーピストが合格しており、今年の9月から国立歌劇場管弦楽団に採用されることになっていることがわかった。
Xavier de Maistre(何と発音するのか不明>フランス系??)という男性奏者で、細かな経歴については不明だが、先ごろ発行された来シーズン(1999/2000)のウィーン国立歌劇場スケジュール冊子に掲載のメンバー表では、カウツキー、レルケスの後に第3席として名前が記載されている(パロック嬢は、来年退職するレルケスとの交代)。 また、同メンバー表によると、コントラバス首席(Solobass)の第3席が「空席(N.N.)」となっており、昨年同位置に名前のあったGeorg Strakaが、トゥッティ奏者の第9席に異動している。あくまでも"表記上では"ということになるが、首席として試用に「失格」となったとも解釈できる。が、真相は"もちろん"不明である。
なお、他のパートの動向であるが、2ndヴァイオリンに何人かの新人奏者の名前が見えるので、確認の後、改めてご報告するつもりである。それ以外のパートについては、特に動きは見受けられない。

◎ニュースのツボ◎

新人ハーピストの話は、実は、3月7日付の当団ニュースリリースで正式発表されていたことなのだ。このニュースリリース、だいぶ前に見ていたのだが、パロックのことだけ書いてあると思って細かく読んでなかったため(Xavier de Maistreが人名だと思えなかったってのもアリ^^;)、当欄にてお知らせするのが遅くなってしまった。申し訳ない。しかし、この人の名前もフランス系っぽいし、来年入団するパロックもフランス人。オーストリア人ハーピストには、いい人材がいないのかねぇ。
一方のコントラバス会だが、またしても"首席失格(か?)"ということになったようだ。「またしても」というのは、現在トゥッティの第8席にいるドゥーニン(Dunin)も、かつて同じ"境遇"となったから。まぁ、"首席失格(か?)"はあくまでも推測だから、真相はどうなのか不明だけどもね。ちなみにシュトラーカは先の来日公演にやって来ており、その際は1プルト目(マイヤーの隣り)という「首席位置」で弾いていた。


★5月11日(火)付続報!

昨日付の"本編"で、「(2nd Vn)以外のパートについては、特に動きは見受けられない」と書いた。が、それは、当ページで既に触れた人事以外のものについては、ということであり、実際には、この1年間で幾例かの「人事異動」が発生している。
以下に、その異動状況をまとめる。元になっているデータは、今シーズン(98/99)と来シーズン(99/00)のウィーン国立歌劇場スケジュールパンフレット記載のウィーン国立歌劇場管弦楽団員名簿である。
なお、当ページ読者の皆様には「言わずもがな」のことであるが、WPhは、国立歌劇場管弦楽団員として3年以上の経験を積んだメンバーによって構成されている。よって、この1年間に入団したメンバーは、"当然"WPh団員ではない。が、実際には、WPhとしての演奏にも参加し、事実上のWPhメンバーとして活動していることから、当欄においても「WPhの新入団員」として扱っている。その旨、悪しからずご了解願いたい。

 ●退団:Edwin Werner(2nd Vn)、Gerhard Turetschek(Ob)、Wolfgang Singer(Trb)
 ●入団:Thomas Vinklat、Johannes Kostner、Martin Klimek(以上2nd Vn)、Michael Bladerer(Cb)、Xavier de Maistre(Hrp)、Clemens Horak(Ob)、Dietmar Kueblboeck(Trb)
 ●異動:Georg Straka(Cb首席第3席→トゥッティ第9席)



1999年4月29日(木)号

●当団サッカーチームは「戦略的なヨーロッパスタイル」

去る3月18日に西が丘競技場(東京・北区)で行われた、WPhサッカーチームと日本将棋連盟サッカー部との試合の様子が、「近代将棋」6月号のグラビアページで紹介されている。
記事によると、前後半80分で行われた試合は、「戦略的なヨーロッパスタイル」のWPhチームが、「3-5-2の中盤の厚いシステムで若さ溢れるプレーを見せた」将棋連盟チームから前後半それぞれ1点ずつを奪い、2対0で勝利を収めたとのこと。
なお、試合後には、中華料理店で懇親会が催され、席上、「定期戦にしよう」との声も上がった模様である。

◎ニュースのツボ◎

というわけで、来日公演中から(ごく一部で^^;)話題になっていた当団サッカーチームの試合の模様が、ようやく明らかになった。
で、気になる(ならない?^^;)当団チームのメンバーだが、試合後の「記念写真」に写っているのは全部で13人。その内、チェロのカウフマン(?)は審判を務めたようなので(1人だけ服装が違っていて、かつ、手に旗らしきものを持っている)、「選手」として出場したのは次の12人だったようだ。
ホーネック(Vn)、ツァロデク(?・Vn)、ツェートナー(?・Vn)、クルンペック(Vn)、マイヤー(Cb)、ホラーク(Ob)、ヤノシュツ子(Hn)、エダー(Tp)、ミュルフェルナー(Tp)、ミッターマイヤー(Timp)、あと、名前がわからない若手が2名(2人ともVnだと思うが)。
得点したのが誰なのかといったところまでは不明だが、お揃いの赤いユニフォームに身を包んだ当団チームの面々の姿は、なかなかサマになってるのも事実。その辺、さすがは「本場」の人たち、といったところか(ミュルフェルナーの"太鼓腹"はどうかと思うが...^^;)。
ところで、その当団チームのユニフォーム、胸に「FREUNDE」の文字が入っているのだが、これがチーム名なんだろうか? だとしたら、なかなかいい名前だけどね。あと、その文字の上にザルツブルク音楽祭のロゴらしきものが見えるんだが、これって、もしかしてスポンサー? だとしたらすごいな(んなわけねーか^^;)。
あれかな、試合後に、お互いのユニフォームを交換したりしたのかな。してたとすると、将棋連盟の人、当団チームのやつを持ってるってことになるよね。誰か譲ってくんねーかなぁ(爆)。


★4月30日(金)付続報!

なんと、このサッカー試合の"一方の当事者"である将棋連盟のNさんから、以下のようなメールをいただいた。当団勝利の影に隠された「衝撃の真実」が明らかにされているので、謹んで転載させていただく。

転載メール:ここから-----------------------------------------

ウィーンNEWSに掲載していただいた将棋連盟のものです。こちらにその記事を紹介した方からこのHPを教えていただきました。
このサッカーの企画は小学館の頴川さんという方からお話をいただきました。この方はウィーンフィルのお世話をしてる方で、よく団員?の方と交流をしているそうです。たぶん今年の秋ころには団員の方に数人で会いに行くつもりです。
残念ながらユニフォームの交換はしなかったので差し上げられません。もし次回、そういう機会があれば・・・。
たぶん来年の秋、彼らがオペラで来日する時に再戦するでしょう。興味がありましたら遊びに来てください。
ちなみにあのゴールキーパーの方は、今回ウィーンフィルがどうしても勝ちたいために、チームみんなでお金を出し合ってサッカーの為だけに連れてきたオーストリアのセミプロの方だそうです。彼はサッカーの日以外は公演の各地で日本観光を楽しんでいたそうです。
あと、観客で息子さんの試合の様子を見てた方がいました。(たしか親子で同じ楽器を演奏してる方だと思うのですが・・・)そんなに詳しくないので名前がよくわからないのです。すみません。コンサートマスターの方もすごく楽しまれてたみたいです。
あー、もっとクラシックについて勉強しなければいけませんね。調べれば誰が点を取ったかもわかりますが・・・。(確か一人は頭が丸刈りでひげを生やした若い方でした。)もし良かったら写真をおわけしますが・・・。
宴会では皆さん陽気ですごく気さくでした。エーダなどにはうちの女流棋士が大人気だったみたいです。
でも、この日もサッカーをして宴会に出たあと、彼らはサントリーホールで演奏会。すごい体力ですね。
日本では毎回、来日のたびにサッカーをしてたみたいです。今までは「ストライカー」という雑誌の方としてたみたい。ここにはワールドカップで審判をつとめた岡田さんも入ってたみたいで、ウィーンフィルは負けてばっかだったそうで、今回どうしても勝ちたいとのことで、助っ人キーパー登場となったそうです。さすがにこのキーパー、うまかった。
記念写真で、ウィーンフィルのメンバーが楽器を弾いてるポーズで写真を撮っていたのですが、キーパーさんだけはトライアングルの真似をしてたようです。
この話を知ったのは一昨日。小学館の頴川さんとお疲れさま会をしたときに聞きました。
もし気が向きましたら将棋のほうも応援してください。(^^)また何かありましたらよろしくお願いします。

-----------------------------------------ここまで

Nさん、大変貴重な情報をどうもありがとうございました。
しかし、キーパーの顔に見覚えないなぁと思ったら、なんと「助っ人」だったとは。しかも、みんなでお金出し合ってわざわざ連れてきたってんだから、感心するというか呆れるというか。そこまでする?って感じだね。
でもまぁ、勝ちたかったんだろうね、きっと。だから「そこまでした」んでしょう。恐るべし、勝利への執念!ってか?(^^;
ところでNさん、「息子の試合の様子を見に来ていた同じ楽器のお父さん」とは、我がホルン会のヴィリバルト・ヤノシュツ氏に相違ないでしょう。で、「息子さん」とは、当団サッカーチームの"チームトレーナー"であるロナルド君。この親子は、ほんと仲いいんですよ。息子がケガでもしないかと、お父さん、ハラハラしながら見てたのかも(^^;


★5月9日(日)付続報!

この試合を観戦されたというYさんから、当日の様子を撮影した写真をお送りいただいたので掲載させていただく。なお、撮影されたのは林 隆之氏で(「近代将棋」誌掲載の写真を撮影されたのも林氏)、当ページへの掲載のご許可もいただいているとのこと。Yさん(そのご友人のYさん)、林さん、どうもありがとうございました。

真ん中が例の"助っ人"だ(^^; 各人自分の楽器を演奏する格好で...
しかし、ホーネック氏嬉しそう(^^;
ディフェンス陣がボールを奪い返したとこ?



1999年4月21日(水)号

●野外コンサート計画大幅縮小

ヨハン・シュトラウス父子の「記念イヤー」(父の没後150周年、子の没後100周年)を祝して当団が行うビッグイベントである「野外コンサート」。
当初、5月:ウィーン(メータ)、6月:ロンドン/パリ(アーノンクール)、6月:ベルリン(ドミンゴ)、7月:サンクト・ペテルブルグ(ゲルギエフ)と、ヨーロッパの主要都市で行う大々的な催しとしてその計画が発表されていたが、結果的には、5月29日:ウィーン(メータ)と6月11日:ベルリン(アーノンクール)の2公演のみと、大幅に縮小されて実施されることになった模様である。
なお、ウィーン公演についてはテレビで生中継されるらしく、日本でも、NHKがBSで放送(5月30日明け方?)する予定を発表している。

◎ニュースのツボ◎

この話、だいぶ前から知れ渡っていた可能性があるので、「何を今さら」とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、私自身はつい最近になって知ったことなので、このタイミングでの「ニュース」扱い、平にご容赦いただきたい。
それにしても「大幅縮小」ですなぁ。やっぱり、クラシックの野外コンサートってのは、興行的に難しいのかしら。ま、でも、聖地公演は実施され、それは衛星中継されるってんだから、どっちにしても生で見れる可能性が低かった我々にとっては、ありがたいことではないかと。メータの指揮ってのが少々ナンだけど(^^;、いつにないシチュエーションでの当団のシュトラウス父子物、大いに期待したいと思う。



1999年3月21日(日)号

●新トロンボーン奏者は(も?)元ウィーン響首席

ジンガーの退団に伴い、昨年12月に行われたトロンボーン奏者のオーディションの結果、元ウィーン交響楽団首席のディートマル・キューブルベック(Dietmar Kueblboeck)が採用された。
リンツ生まれで、父親のホルスト・キューブルベックからトロンボーンを学び、1982年からウィーン響首席。ウィーン音楽大学(ホッホシューレ)で教鞭もとっている。という人らしい。ちなみに風貌は写真の通り。

◎ニュースのツボ◎

先のホラーク(オーボエ)に続いて、またまたウィーン響からの首席"引き抜き"となったわけだ。まるで、他チームから有力選手を引き抜いてばかりいる某球団のようで、ちとヤな感じもするが(当団もナベツネ体質か??^^;)。
前任のジンガーは2番奏者だったため、このキュー氏(省略すんなよ^^;)も2番採用なのか?と思ったのだが、"ネタ元"(某首席ホルン奏者>アイツしかいないじゃん^^;)によれば、現首席のマダスと夏(?)以降だかに席次を交代するとのこと。今回の来日公演に帯同しているが、実質的新首席ということで、ショスタコおよびシュトラウス父子の1番を担当していた。
しかし、ちと疑問に思うのは、氏は何歳なのだろう?ということ。だって、'82年からウィーン響にいるわけでしょ。仮に20歳でプロになったとしても、既に37歳。これって、当団の"受験資格"から外れるんじゃないかと思うんだけど。それとも、そういう例外を認めてまでも欲しかった人材なのかなぁ? 不思議。私が見ている資料の誤植で、「'92年からウィーン響首席」ってことだったら、辻褄が合うんだけど。
ところで、上に書いたように、氏がトロンボーンを習ったのは父君ということなのだが、そのホルスト氏も、なんと、ウィーン響のトロンボーン奏者らしいのだ。さらに、同オケのメンバー表を見ると、トランペットとクラリネットにもキューブルベック姓の奏者がいて、ちょっと驚く。ひょっとして、当団におけるシュタール一族やエールベルガー一族に匹敵する"家系"なのか? うーむ、おそるべし、ウィーンの音楽一族...

補足と訂正:ちなみに、私が昨冬の聖地巡礼の際に目撃した若手トロンボーン奏者とは、氏のことではない。やはり今回の来日公演に帯同しているフォルクスオパーのプファイラーが"その人"。私、てっきりこのプファイラーが新メンバーになる(なった)んだと思ってたんだけど、とんだ勘違いだったようで。


★4月2日(金)付続報!

読者のDICEさんより、キューブルベック一族(^^;およびプファイラーに関する情報をお寄せいただいたので転載する。

転載メール:ここから-----------------------------------------

キューブルベックはたしか18歳くらいで「交響楽団」の首席になった人です。(1982年からだと思います。)ちなみに親父サンは長らくバストロンボーンを「交響楽団」で演奏している人で、以前はガンシュと「アンサンブル・プラズマ」というブラスクインテットで活動していました。ちなみにTpのキューブルベックは次男で、以前はORFで吹いていました。
ところでプファイラー君はリューベックの歌劇場からフォルクスオーパーに来た天才少年で(もう年か)、ウィーンの業界筋(何の業界や!?)では次のプローベシュピールでは彼が入るだろうとのことです。(実はもう入っているかもしれない)彼はシュトレッカーと同門の故ハンス・ペットラー大先生(私の師匠)の弟子です。ちなみにペットラーはヨーゼルと同門で故シュミット先生という大御所の弟子です。

-----------------------------------------ここまで

DICEさん、聖地トロンボーン会に関する詳細な情報、どうもありがとうございました。
しかし、1982年に18歳でウィーン響の首席になったということは、キュー氏、やはり30代の半ばということになるよねぇ。当団の受験資格には、確か年齢制限(30歳だったような...)があったはずだから、「例外」処理をした気配が濃厚な感じがする。それだけ欲しかった人材ということにもなるんだろうけど。
「欲しかった人材」ということになると、プファイラー君もそういう存在みたいですな。次の入団試験で合格するかも、との業界筋の観測のようだけど、だとすると、"誰の代わりになるのか"が気になるところ。昨年末の聖地巡礼でも、先般の来日公演でも、2番奏者のマッケルヘニーの姿をまったく見なかったので、案外その辺が有力な線だったりして??
ところで、キューブルベック父が「アンサンブル・プラズマ」のメンバーだったとは驚き! さっそく手持ちの同団体CDを見てみたら、おぉ、確かに名前があるではないですか。他にはラッパのガンシュやホルンのロレンツィも参加していたこの団体。CDには彼らの若き日の写真が出ているのだが、いやぁ、笑っちゃうくらい若い。ガンシュなんか、長髪に髭だから、まるで"ヒッピー"(死語??)だもの。でも、こういう、当団関係者の"掘出物CD"が出てくるから、プライザーレーベル(PREISER RECORDS)は侮れない。まだまだ"お宝音源"がたくさんありそうなんだよなぁ...



1999年3月8日(月)号

●来日公演のホルン会パート割りが判明

今回の来日公演に参加するホルン会メンバーとそのパート割りが判明したのでお知らせする。
来日メンバーは、ヤノシュツ子(以下RJ)、ラルス(LS)、ヤノシュツ父(WJ)、ゼルナー(FS)、プファイファー(FP)、ホルヴァート(RH)の6名(以上席次順)。
各プログラムのパート割りは、

となっている。ちなみに、日本公演に先立って行われるニューヨーク公演での「マンフレッド交響曲」は、1アシ.RJ、1.LS、2.WJ、3.FP、4.RHとのこと。
なお、このパート割りはあくまでも予定ということであるから、メンバーの体調等"不測の事態"によっては変更も有り得るので、念の為。

◎ニュースのツボ◎

もっと早くに確認するつもりでいたのだが、来日直前の今頃になってしまった。これがウィーンフィルの「ニュース」に当たるのか?という疑問もあるかもしれないが、まぁ、ここに書いた方が記録に残るという側面がありますんで、勘弁してください。
というわけで、今回の来日メンバーはWPh正団員のみ6名。ホルンが4本までの曲しか演奏しない場合は、1番と2番が2名ずつ、3・4番が1名ずつという構成でやって来るのが通常パターンたので、その通りの形での来日ということになる。ちなみに、"居残り"はトムベック、フラダー、ヘグナー、御神体の4名。なんか、この陣容のオペラの方が魅力的って気もするが、まぁ、それはそれとして...(^^;
さて、毎度こうしてホルン会諸氏の名前を挙げるわけだが、「名前と顔が一致しないからイマイチよくわからん」との"苦情"も少なからず頂戴している。そこで今回は、6人の顔写真および似顔絵を特別付録として掲載することに。これで、当日、「あ、あれがロナルド君か」とわかっていただけるはず。さぁ、諸氏の顔をしっかりと確認して、会場に向いましょうね、皆さん!
なお、似顔絵は、
Sound Postの高野さん作によるもの。実は、だいぶ前に(2年前!)「Who's Whoで使いたいので」と無理を言って描いていただいたのだが、肝心のWho's Whoの進捗があの通りなんで(^^;、今まで"お蔵入り"していたものだったのだ。それが、今回こうして、ようやく日の目を見たと。当初の目的とは外れちゃいましたが、なんとか公開に至りましたので、高野さん、どうかお許しを!

R.JanezicL.M.StranskyW.Janezic
F.SoellnerF.PfeifferR.Horvarth



1999年2月25日(木)号

●ウィーン国立歌劇場民営化!WPhはどうなる?

2月22日付読売新聞夕刊に掲載された「ウィーン国立歌劇場 民営化事情」という記事(著者はウィーンの音楽評論家フランツ・エンドラー)によると、ウィーン国立歌劇場、ウィーン・フォルクスオパー等、オーストリア共和国が所有している諸劇場が、本年9月1日から民営化されることになったとのこと。概要は以下の通り。

さて、こうなると、民営化される国立歌劇場のオーケストラ、すなわちウィーンフィル(すなわち当団^^;)はどうなるかが心配になるところだが、WPhについては、以下のような扱いになるとのこと。
民営化の主目的は、国家公務員を削減することによる経費(主に年金)の軽減化であるわけだが、ウィーンフィルの母体であるウィーン国立歌劇場管弦楽団に関しては、その人員を削減することもしないし、これまで通り「二つの顔」を持って活動することも認めるよと、そういうことのようだ。
これって、どっかの国の防衛予算同様(?)「聖域」として扱うことにしたってことなんだろうけど、その背景には、"オーストリア最高の輸出品"である当団の存在を、さすがに軽視することはできないという思いが働いたものと思われる。
ファンとしては「まずは何より」というところだが、言ってみれば「えこひいき」でもあるわけで、当団への風当たり、強くなるんじゃないかなぁ...。

◎ニュースのツボ◎

記事によれば、民営化の論議は数年前から行われており、その結果としての正式決定らしい。まぁ、確かに、国家公務員の年金待遇は半端でない"厚遇"のようだから(給与の80%が終生保証!)、一般国民から、その"格差"に不満が出るのももっともだろう。なるべくしてなった民営化。そういうもんだと思う。
が、「基本的には今まで通り活動せよ」としているところもまた、面白いといえば面白い。活動は自由になるが、各自、自分の劇場の"本線"が何なのかは忘れんなよと、そう(法律で)念を押したってところが、いかにも"文化の国"という感じだ。
当団に関しても、上に書いたように「聖域」扱いをしているわけで、この辺も、オーストリアならではという感じ。もっとも、当団としても、相当に"政治活動"をしたのであろうことは想像に難くないが...。
しかし、いくら「基本活動はこれまで通り」と言っても、これだけ大きく組織形態が変る以上、活動の中身も、それなりに変化して行くことはやむを得ないだろう。来年すぐに変ることはなくとも、ちょっとずつちょっとずつ、いろんなことが変って行くはず。もちろん、当団の活動もね。それが良い結果をもたらすのか、悪い結果となるのか、それはわからないが(良い結果となることを願っているのは当然として)。
そうそう、「貸しホールにするのも可」ってのを目にしてピンときたんだけど、例のマドンナ公演の件て、この民営化への動きの一つなんじゃないの?「今後はこういうのもアリですよ」と、そういうことを、国立歌劇場が意思表示して見せたと。
で、考えたわけですよ。ということは、ポンニチ素人集団にも貸してくれるんじゃないかと。ムジークフェライン(MV)はれっきとした貸しホールだから、ここで演奏した日本人アマチュアは数多い。でも、国立歌劇場のピットで演奏した人はいなかったはず。でも、今後は、それも実現可能だと。金で解決できると(嫌な言い方だな、おい^^;)。
おっしゃぁ! やるぞ! やったるぞ! ウィーン国立歌劇場ピットで演奏するツアー!
あの"背高椅子"に座って吹くんだ! そして、休憩の時には、譜面台に楽器をぶら下げて楽屋に引っ込むんだ! それをやらないでは棺桶に入れないんだ!!
と一人で盛り上がっておりますが、そんな私の思いにご賛同いただける方、近い将来(遠い将来かも^^;)実現の運びとなった暁には、ぜひともご参加願いたく。

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●新人ハープ奏者はフランス人女性! らしい

ウィーン在住の読者Kさんからのご通報によると、当地の英字週刊新聞「Austria Today」の2月18-24日号に、当団にフランス人ハープ奏者が入団した旨の記事が出ていたとのこと。
Kさんにお願いして、記事(英文)を書き写してお送りいただいたのだが、それによると、「Julie Pallocというフランス人女性」で、「来年引退するアンナ・レスケスの交代要員」であり、「オーディションを経て最初に入団した女性奏者」である、と紹介されている。

◎ニュースのツボ◎

当欄昨年5月2日号に、「あと5年以内に"実質第1号"となる女性奏者が入団するのは間違いない。ハープの可能性は大」との見解を示したのだが、意外に早く"その時"が訪れたようだ。
まぁ、「WPhに入団」と言っても、実際には「(民営化目前の^^;)国立歌劇場オケに入団」ということであって、これまで通り、数年間の国立歌劇場オケ活動を経た後に、正式にWPhメンバーとなるのだろうが、でも、ついに「女性奏者採用」ということになったわけだから、これはやはりビッグニュースと言えよう。しかもフランス人だもんね。どんな人なのかも興味があるところ。
ちなみに、Kさんのメールによると、先日行われたラトルとの演奏会(ラヴェルとエロイカ)に若い女性ハーピストが登場していたそうなので、それが、このPalloc女史なのかもしれない。でも、もしそうだとすると、入団即デビューで、いきなりフランス物をやらせたってわけだ。まぁ、それはそれで、なかなか「粋な計らい」だとは思うけど。



1999年2月21日(日)号

●2000年来日公演は小澤の指揮でブラームス!?

「音楽の友」3月号掲載の小澤征爾インタビュー(聞き手:山崎睦氏)において小澤自身が語ったところによると、2000年の当団来日公演に帯同し、3晩で、ブラームスの交響曲全曲と「アルト・ラプソディ」「ハイドンの主題による変奏曲」を演奏する予定とのこと。これが実現すると、小澤の来日公演帯同は、'93年、'96年(メータと半々)に続いて3回目となる。

◎ニュースのツボ◎

当欄昨年12月16日号において、"さる業界筋"(誰やねん!?^^;)からの情報として、「2000年の来日公演指揮者は小澤かも(2001年はラトルかも)」とお知らせしたわけだが、どうやら「当たり」ということになりそうだ。
しかし、よりによってブラームスとは...。私、小澤が振る音楽の中で、ブラームスが最も苦手なんですわ(特にサイトウ・キネンでやる時のは、もう...)。なのに、オール・ブラームスなわけでしょ。なんだかなぁ...。もっとも、「じゃぁ何を振れば満足なんだ?」と問われると、これまた答えに窮するわけだけどね(^^;
まぁ、そんなガックリ情報(←あくまでも私にとっては)だったわけだが、せっかくだから、3晩のプログラム(曲目構成)を大胆推理してみることにする。

アンコールは、全公演ハンガリー舞曲の第1番とシュトラウス物で決まり。さぁ、これでどーだ!


1999年2月10日(水)号

●来日公演の曲目は当初発表通りの模様

当欄昨年12月18日号でお知らせした「来日公演曲目変更か??」の件は、結局のところ「誤報」だったようだ。
「変更か??」の根拠となっていたカーネギーホールホームページのコンサートスケジュールでの曲目が、いつの間にか元に戻っているためで、どうやら何らかのミスによって、あのような記載となったものと思われる。
ショスタコ5番と組み合わされるのはシューマン2番。シュトラウス父子モノと組み合わされるのはシューベルト3番(ニューヨークでは、マンフレッド交響曲との組合せだが)。これで「確定」です(たぶんね)。

◎ニュースのツボ◎

どうもお騒がせしましたが、何はともあれ、当団のシューマン2番を生で聴けるってことで良かったなと、そういうわけでありまして。
しかし、カーネギーホールは、なんであんな「間違い」をしたのかなぁ?やっぱ、シューマンの2番なんて"マイナー"な曲をやるわけがない、なんて思い込みがあったのかしら?? 謎。



1999年1月21日(木)号

●来日公演のNHK収録はモーツァルトプロ

毎度お世話になっているNHK音楽部ディレクターH氏からのご連絡によると、3月の当団来日公演のNHK収録は、サントリーホールでのモーツァルトプロ(3月17日)に決定したとのこと。ハイビジョンで収録され、放映は4月になる予定の由。

◎ニュースのツボ◎

H氏、いつもありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
しかしそうですか、収録はモーツァルトプロですか。個人的にはシューマン&ショスタコをお願いしたかったのですが、まぁ、仕方ないですな、これは。
ムーティ&当団のモーツァルトというと、BSで繰り返し放送されている'91年ザルツブルク音楽祭の映像がお馴染みで、今回収録される曲の中では40番が"ダブリ"になるけど、この8年で果たしてどんな風に変化しているか、この辺が"お楽しみ"のポイントになるんだろうね。



1999年1月19日(火)号

●来日公演シュトラウス物の曲目決定

当団公式ページのコンサートスケジュールによると、3月18日に行われる来日公演Cプログラムのうち、詳細が決まっていなかったシュトラウス一家物の曲目が以下のように決定した模様である。

◎ニュースのツボ◎

曲名の日本語訳については、重鎮F氏のウィーンフィルディスコグラフィを参考にさせていただきました。
というわけで、そのディスコグラフィによれば、いずれの曲も、ここ数年のムーティとのニューイヤーコンサートで取り上げられたものであり、今回の来日公演で初めて取り上げるといった"冒険"は、さすがにしないようだ(当たり前か)。
ちなみに、プログラムの最後がヨハン父の「シュペール・ガロップ」となっているが、"当然"これで終りというわけではなくて、この後に、あの曲(ヒント:第二の国歌)とあの曲(ヒント:みんなで手拍子)が演奏されることは間違いないものと思われる。



1999年1月14日(木)号

●E.ヴェルナーも引退

昨日届いたウィーンフィル友の会会報掲載の「ウィーン・フィルハーモニー日誌」(定期演奏会プログラム掲載の翻訳)によると、昨年('98年)9月1日付で、2ndヴァイオリンのエトヴィン・ヴェルナーが退職したとのこと。1940年生まれなので、退職時58歳。定年ではなく、早めの引退ということである。

◎ニュースのツボ◎

同日誌によれば、本ニュースの12月8日号に掲載したトロンボーンのジンガーも、ヴェルナー同様、9月1日付での退職だった由。2人とも定年を待たずしての早めの引退ということになるが、その理由については記載がなかった。



「フォルカーの部屋」ホームページ