現在の皇室にはまったく興味はないが、系図に敏達天皇の後胤なんて書かれていると、ダメもとで調べてみたくなる。
何しろ、天皇ですよ天皇。
それに、文献が豊富。敏達天皇から岡部の元祖まで辿れれば儲けモン。
とは言っても、別に大昔の先祖が天皇だからといって、わたしになんら儲けはありぁせん。
ところで、一般的に敏達天皇はマイナーだが...
随分失礼な言い方だが、義務教育における日本史のテストで敏達天皇を解答とする設問はまずないだろうから、やはり知らない人は多いだろう。
で、話を戻すと...
マイナーなので、メジャーな人物とのつながりを紹介しましょう。
複雑なので敏達天皇周辺の系図(『古代王朝の謎 書下ろし長篇歴史推理』(著:邦光史郎、発行:(株)日本文芸社[1994])天皇と蘇我氏の関係系図より抜粋)をご覧ください。
以下は標準的な説としての敏達天皇の説明である。
代数 30代 追号 敏達(びたつ) 御名 訳語田渟中倉太珠敷尊 異称 他田天皇 御父 欽明天皇 御母 皇后石姫皇女 外祖父 宣化天皇 即位 敏達元年(572年)4月3日(35歳) 生誕 宣化3年(538年) 崩御 敏達14年(585年)8月15日(48歳) 逸話 この治世は、蘇我稲目の子馬子を大臣とし、物部尾輿の子守屋を大連としたが、仏教問題をめぐる両氏の対立はいっそう深まっていった。馬子は百済に経文を貢がせ、仏殿を営み、高麗僧慧便を導師として布教につとめたが、またも疫疾が流行したため、守屋は天皇に奏して仏殿仏像を焼き、天皇も仏教を禁じた。また朝鮮半島との使節の往来や文物の伝来が活発になり、白猪屯倉の田部の籍も作られた。
(『皇室の百科事典』(編:歴史百科編集部、発行:(株)新人物往来社[1988])より
西暦は『日本史総覧コンパクト版』(監:小西四郎、児玉幸多、竹内理三、発行:(株)新人物往来社[1987])を参照)
で、仮にこの天皇が先祖だとすると、ここから更に遡るのは容易である。なんたって、天皇だもん。
でも遡ると、現実味がだんだん薄れてくるのである。そもそも天皇の子孫ってのも現実味がないわけだが、これが神様になっちゃうとね。
突き詰めると資料が『古事記』と『日本書紀』しかないので無理もないが...
だからって、百歳以上生きた天皇がゴロゴロいたり、初代天皇の神武天皇が生まれたのが紀元前711年っていわれてもねぇ。
とりあえず、神代〜敏達天皇までの系図です。
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