観た!聴いた!ウィーンフィル −CDの部−
1997年分バックナンバー





プレヴィン&当団管楽器首席奏者/R.シュトラウス:管楽器の協奏曲集

ニコニコニコニコついにやってくれた

ラルスの吹くホルン協奏曲第1番。ロナルドの吹くホルン協奏曲第2番。ガブリエルのオーボエ協奏曲に、シュミードルとウェレバによるクラとファゴットの二重協奏曲がカップリングされた1枚。国内盤・輸入盤共に発売されていたが、私は輸入盤を購入。

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聴いてて涙が出た。嬉しくて...。
正直言うと、あまり期待していなかった。ライブ録音ではないから、大きな破綻はない演奏が記録されているだろうとは思っていた。でも、その内容は、「特殊な楽器でよく吹いたね」という程度に留まるんだろうなと思ってた。なぜなら、過去の録音、例えば、ホルン協奏曲の1番で言えば、ヘグナー盤('88年録音:ポニーキャニオン)にしても、先般出たラルスの吹奏楽伴奏盤('96年6月録音:カメラータ)にしても、まさに"その程度の内容"だったから。両演奏とも、それぞれの力量において"目一杯"。「よく吹いたね」という感じ以上の物ではなかった>残念ながら...。
しかし、その思いは、最初に針を落とした(死語^^;)ホルン協奏曲1番の冒頭を聴いた段階で吹っ飛んだ。最初のオケの和音が鳴った途端、まず顔がほころんだ。そして、直後のラルスが吹くファンファーレを聴いて、それは"感激"に変った。「そう、これだ。これなんだ。俺はこの音を待ってたんだ!」。
重厚だが、あくまでも柔らかいオケの響き。その上に乗って朗々と鳴り響くホルンの音。これこそが、私の思い描いていた音と音楽のイメージ。それが、まさに今、聞こえてきたのだ。その思いは、以後の部分を聴き続けても変ることはない。あの、カメラータ盤の時のような、力ずくでグイグイ押しまくるようなところは皆無。余裕を持った音楽の運び。豊かな響きの中で曲を作っていく姿勢。その音楽の"大きさ"がとても心地よいのだ。特筆すべきは高音の伸び。ヘグナーの場合は「頑張って出してます!」って感じで、つぶれたような音になってしまっていたハイEsの音などが、なんの苦もなく、まったく"普通の音"として、伸びやかに聞こえてくる(その分、低音はやや苦しいが^^;)。すべてに渡って"音楽的"。「あぁ、"大変な楽器"で吹いてるんだなぁ」なんてことを考えさせる局面は皆無で、音楽を純粋に楽しむことのできる内容なのだ。
これは、ロナルドの吹く2番のホルン協奏曲にも言えること。技術的には1番よりも圧倒的に難しい曲だが、そういう部分での心配などまったく必要のない演奏を展開している。難曲だけに、さすがに力が入り、余裕のない部分も多いのだが、だからと言って"目一杯"という感じではない。この曲を吹けば、誰だって(天才少年とかを除けば^^;)そうなるだろう、といった程度だ。また、ロナルドの音も曲に合っていていいと思った。ラルスに比べると、"朗々感"は薄く、倍音の多い、ある意味では"広がり感"のある音だが、それが、この曲の雰囲気には合っていると感じた。
この2人の演奏よりも、技術的に万全な演奏はいくらでもあるだろう。音程がビシっとキマって、上から下まで"ムラ"なく鳴り響くようなソロも多いと思う。オケにしたって、もっとタテヨコぴったりにカチっと弾いているものがあるはずだ。そういう演奏に比べれば、いくらでもキズは見つけられると思う。
でも、この音と音楽は、誰にも真似できるものではない。まさにウィーンの、ウィーンフィルのものと言える音楽。ソロもオケも、同じ価値観で奏でる音楽。こんなの、世界中のどこでも聴くことはできない。それが聴けたことがとにかく嬉しい。そして、何よりも、純粋に"音"と"音楽"を楽しめるレベルで彼らが演奏してくれたことが、とてもとても嬉しい。
ヘグナーは、過去、果敢にソロに挑戦した。そのことには謹んで敬意を表するが、演奏の内容に「挑戦」以上のものを見つけるのは難しかった。しかし、若手首席奏者2名は、「挑戦」という感覚を超えたレベルでの演奏を実現してくれた。ついにここまで来たのだ。ついにやってくれたのだ。決して"特殊楽器による目一杯の演奏"ではない。メカニックに優れたフレンチホルンと、それを使う奏者たちに、同じ土俵で勝負できる演奏なのだ。このことが持つ意味は大きい。それは、ウィンナホルンは決して"過去の楽器"などではない、ということを証明したことに他ならないから。この意味は、本当に本当に大きい。
よって、今回はニコニコマークを2個つける。その"意味の大きさ"を考えれば、それだけあげても十分だと思うから。うん、ほんとに、それだけの価値がある演奏だから。

ありゃりゃ、ホルン協奏曲のことだけで、こんなに書いちゃった。えーと、あと2曲入ってるんですよね、本当は。
で、そのオーボエ協奏曲とクラとファゴットの二重協奏曲なんだけど、実は曲をよく知らないんで、あまり「語る」ことができないのでして...。でも、聴いた限りでは、両曲とも十分に立派なものだったし、いい演奏だった。ソロはいずれも万全。オーボエは、やはりホルンに同じく"特殊楽器"なわけだが、そういう面でのマイナスはまったく感じない。他の演奏をほとんど知らないから、それと比べてどうだということは言えないけど、でも、私は十分に楽しんだ。
最後になったが、オケと指揮者も最大限に称えたい。ソロに絡んでくるオケのなんとまぁ雄弁なことか。とにかく"いい音楽"を奏でている。上記したように、もっとカッチリ弾いてる演奏はいくらでもあると思う。でも、この"雰囲気"の表出感は、まさに当団ならではのもの。まるで、リヒャルトのオペラ(「ばらの騎士」とか「カプリッチョ」とか)を聴いてるかのような感覚。もう、ほんとにこれは、ウィーンフィルにしか為し得ない世界だ。こんなに"幸せな"協奏曲の演奏というのも珍しい。よって、そういう当団の持ち味を引き出したプレヴィンの指揮にも拍手。ソリストたちが、実に気持ちよく演奏できる環境を作ってくれていたと思う。

しかしなぁ、何度も書くけど、ほんと、私は嬉しいよ。当団メンバーがソロを吹き、当団が伴奏をするR.シュトラウスのホルン協奏曲。あればいいなぁ、と思っていた組み合わせの演奏が現実に出てきて、しかも、その内容が実にハイレベル。さらに、それを実現した一人が、他でもない"友人"ラルスなんだから。私にとっても、実に実に幸せなCDの出現。うーん、ほんと、嬉しい!(11/10)

R.Strauss:Horn Concertos Nos.1&2, Duet-Concerto, Oboe Concerto
L.M.Stransky(Hrn),R.Janezic(Hrn),P.Schmidl(Cl),M.Werba(Fg),M.Gabriel(Ob),A.Previn(Cond) / DEUTSCHE GRAMMOPHON(453 483-2)

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ウィーン・フィルハーモニア・ホルン四重奏団/ウィンナ・ホルンによる四重奏曲集

ニコニコ仲良しおじさんたちの楽しい集い

ヘグナー、ヤノシュツ父、ゼルナーの当団ホルン会メンバーに、当団バストロンボーンのヤイトラーがバスウィンナホルン(マウスピースはトロンボーン用)で加わっての四重奏。'95年12月と今年3月にウィーンで録音。全38曲75分!
しかし、いいね、これは。とにかく4人の音がよく溶け合い、響きあっているのがいい。同編成の演奏では、ゼルナー氏が同じ3番ホルンで参加している
ピツカのグループのものもあるが、あれに比べると、とにかく「柔らかい」。これは"音"だけではなくて、"音楽"もそう。ピツカチームのように、メロディー担当者(すなわちピツカ ^^;)が力でグイグイ押しまくるようなスタイルではなく、終始、4人の音が響きあい、その響きの中で音楽が進行していく形。だから、聴いていて気持ちが"和む"。ピツカとヘグナーの性格の違い、と言ってしまえばそれまでだろうが、その違いの意味は大きい。このカルテットの音の方が、私には"本当のウィンナホルンの音"に聞こえる。これは好き嫌いではなくて「事実」。やっぱり、いつもウィンナを、それも"最前線"で吹いている人たちの音は違うということです。
ラルス言うところの「オールドジェネレーションによる演奏」(草津での発言)だけど、おじさんたち、いい味出してるじゃないですか。確かに、若手のような音の伸びはもう期待できないかもしれないけど、でも、長年一緒に吹いてきたことからくる信頼感やら安心感やらが、こういうほのぼのとした、心和む音楽を作り出したんだと思う。ほとんどは内声にまわっているヤノシュツ父とゼルナーが、時折前面に出てきて"合いの手"をビシっと決めたりするのも、心憎いばかり。雰囲気は、仲良しおじさんたちの楽しい集いって感じか。それはそれで、素晴らしいことですよ、ハイ。
ただ、一点だけ不満を言えば、やはり全員"ホルン奏者"で演奏してほしかった。ヤイトラーのバスホルンは、しっかり最低音を支えていて、それはそれで実に安定感あるものなのだが、でも、やっぱり、ソロの音なんかを聴いてしまうとホルンの音ではないのだ。どうせオールドジェネレーションでやるんだったら、御神体なりホルヴァートなりに参加してほしかったなぁ。いろいろ事情はあるんだろうけど、これはウィンナホルン吹きの端くれである私の、切なる思いなのであります。第2弾を作る気があるんだったら、よろしくお願いしますね、ヘグナー御大、そして、カメラータの井阪社長(^^;
そうそう、肝心の曲のことについて触れてなかったですな。オペラの有名どころやらオーストリア民謡やらオリジナルのホルンアンサンブルやらで全38曲です(いい加減な説明^^;)。何曲か、デッカ盤のウィーンヴァルトホルン合奏団のCD(レコード)に入っていた曲もやってますが、テンポやらの解釈面はやや違ってたりして、その辺も面白いところ。75分間真剣に聴き通すのはさすがにシンドイでしょうが、仕事をしながらとか家事をしながらとかの、"ながら聴き"には最適かと。(11/03)

Quartet for Vienna Horn
Das Philharmonia Hornquartett Wien(Gunter Hogner,Willibald Janezic,Franz Sollner,Karl Jeitler) / CAMERATA(30CM-495)

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ジュゼッペ・シノーポリ/R.シュトラウス「エレクトラ」

ニコニコノンストップハイテンション

'95年9月の録音。とにかく「凄まじい」演奏だ。シノーポリがこの手の曲をやりゃぁきっとこうなるだろう、とは思っていたが、予想通りというか、予想を越えたというか、とにかく終始ハイテンション。「そういう曲だろうが」と言われたらそれまでだけど、それにしてもテンションが高い。冒頭の一撃から最後の一撃まで、一気に突き進んで気の緩まるところがない。このオペラは休憩のない1幕ものだから、演奏時間の100分間、まさにノンストップでハイテンションな演奏が展開される。疲れるよ、ほんと(^^;
それにしてもオケが凄い。彼らにとっては"レパートリー"なわけだから、別に今さらどうってことない曲なんだろうけど、その表現力の凄さはどうだ。全編に渡って繰り広げられる、楽器同士の音の絡み合いや各ライトモチーフの重なり合いが、実に"有機的"に展開される(←評論家U野K芳的な表現で恐縮デス ^^;)ので、オケの音楽を聴いてるだけで十分に"ドラマ"が見えてくる。末端のメンバーまでが、曲を完全に手中におさめてるからこそできる演奏。さすが"オペラの国"の住人。当団の面目躍如と言っていい。見事、そして、カッコいい。
一方、歌については、正直言ってなんとも言えない。いや、それなりに立派なものなんだとは思う。でも、このオケの表現力、迫力の前に、どうも存在感が希薄なのだ。だから、あまり印象に残ってない。それじゃぁ、ある意味では"欠陥演奏"なのかもしれないが、でも、リヒャルトのオペラって、そういう「歌手いらず」みたいなところあるからさ(おいおい、乱暴な...^^;)、これはこれで仕方ないのかなと。
ところで、終始大活躍のホルン会だが、1番を吹いてるのはわがラルス。彼もまた、相当にハイテンションで吹きまくっているのだが、あえて苦言を呈すれば、ちと"やかましい"。彼の芸風というか、心意気の表れであることは十分承知しているのだが、いかんせんバランスが...。彼と随所で"張り合う"べき3番ホルンを、たぶんプファイファー@ショボ吹きが吹いてるから、まったく相手になってないのだ。だから、1番が相当に突出して聞こえてきてしまう。今の当団のメンバー構成では仕方ないところでもあるのだが、もう少し、パートとしてのまとまりも考えて吹いてほしかった気がするな。いや、「小さくまとまれ」なんて言う気はさらさらないし、豪快な芸風はそのまま伸ばしてほしいんだけどね...。
でも、やっぱりリヒャルトのオペラはウィンナホルンでなきゃ、ということは、改めて思ったよ。実は、先年、シノーポリが振る「エレクトラ」を生で聴いたのだが(ドレスデン国立管との来日公演。サントリーホールでのコンサート形式)、この時はどうもピンとこなかった。いや、演奏は、このCD同様ハイテンションな、凄まじいものでしたよ。でもね、オケの音がどうもピンとこない。リヒャルト"ゆかり"のドレスデンなのに何言ってんの!? と思われるかもしれないが、事実だから仕方がない。オケの音、そう、それを決定付けるホルンの音がね、当団の"あの音"でないと。今回のような音を聴くと、その思い、一段と強まります。やっぱ、究極の夢は、シュターツオパーのオケピットでリヒャルトのオペラを吹くことだな。ほんと、カッコいいもんねぇ。あ、話がズレたね(^^;(10/05)

R.Strauss:ELEKTRA
Giuseppe Sinopoli(Cond.) / DEUTSCHE GRAMMOPHON(453 429-2)

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ウィーン管楽合奏団/20世紀の木管五重奏曲集

ニコニコあのころキミは若かった

ロンドンレーベルの国内盤企画「ウィーン・フィル室内楽名盤選」の1枚。イベール「3つの小品」、ヤナーチェク「青春」、ヒンデミット「小室内楽曲」、リゲティ「10の小品」までが元々は1枚のレコード(DECCA:SDD 523)、フランセ「木管五重奏曲」は、タファネルの五重奏曲とのカップリングで1枚であった(国内盤ロンドン(キング):K25C-4)。イベール他が'76年、フランセが'78年の録音。
幻の名盤の復刻。まさかCD化されるなんて思ってなかったので、この嬉しさは筆舌に尽くし難い。で、聴いてて涙が出た。ほんとに泣けた。なんていい演奏なんだろう。全編に流れるこの"熱い空気"はなんなんだろう...。
1941年生れのシュミードルとファルトル、'43年生れのトゥレチェクとアルトマン、'46年生れのシュルツ(←一番エラそーなこの人が一番年下なのね ^^;)。今やウィーンフィルの"重鎮"メンバーであるこの5人だが、録音当時は30代前半から半ば。周りからは、ウィーンフィルの"若手"として将来を嘱望され、一方、一音楽家としては一番油の乗りきった時期だったわけだ。そして、そのことこそが、これらの演奏の"熱さ"の源であると思えてならない。
ウィーンの伝統はベートーヴェンやモーツァルトばかりじゃない。俺たちは、新しい音楽を、新しいウィーンのスタイルで演奏するんだ。新しいウィーンの伝統を作ったる!(←なぜか関西弁 ^^;)そんな意気込みがヒシヒシと伝わってくる。
テクニックの安定感、アンサンブルの駆け引き、音楽への切り込み、どれを取っても申し分なく、アンサンブルのお手本と言える演奏が展開される。本当に、安定感のある、でもドキドキ・ワクワクしてくる音楽。数多くの木管五重奏CD(レコード)の中でも、屈指の名盤と言っていいと思う。
この中で、リゲティは完全な「現代音楽」。途中、管に息を吹き込むだけの"音"を出す、なんて奏法も出てくるわけだが、このメンバーがこういう曲をやったのかと思うと、なんだか不思議な気さえしてくる。ほんと、あの頃キミらは若かった。"気持ち"で作り上げた音楽だったんだね、これは...。最近の当団メンバーは、こういう曲やらないなぁ。"気持ち"かね、やっぱり...。
話を"御神体"アルトマン先生に移す。旧レコードのジャケット写真の先生は、ひげモジャのまるで"ヒッピー"(←古い!?)だ。しかし、ここでの先生は凄い!ウィンナホルンで吹いているわけだが、それを意識させない、いや違うな、逆に、ウィンナホルンであることを前面に出すことで、木管五重奏におけるホルンの存在感を十分に主張している演奏である、と言った方がいいな。ウィンナホルンという楽器が、決して、"使いにくい"、"過去の楽器"なのではなく、表現力と機動力を兼ね備えた"現代の楽器"であることを証明している(←同じウィンナで木管五重奏をやっているヘグナーの演奏からは、残念ながらそういう"証明"が見えない)。この意味は実に、実に大きい。
ところで、'76年の録音と'78年の録音では、楽器の音が明らかに違い、この間に新しい楽器に持ち替えたことがはっきりとわかるのだが、'76年の演奏は、その古い楽器(←たぶん相当な年代物を使っていたはず)の"金属疲労"の音が出てしまっていて、今改めて聴くと、ちとかわいそうだ。しかし、後年のフレンチホルンでの数々の演奏のどれよりも、氏の"気持ち"が伝わってくる音であることも事実。先生、ボクはやっぱり先生にはウィンナでアンサンブルをやり続けてほしかったっす。だって、先生のこの"熱い音"を聴いたからこそ、今のボクがあるのですから...。(06/01)

Ibert:Torios Pieces Breves,Janacek:Wind Sextet "MLADI",Hindemith:Kline Kammermusik Op.24-2,Ligeti:Ten Pieces for Wind Quintet,Francaix:Wind Quintet
Vienna Wind Soloists(Wolfgang Schulz,Gerhard Turetschek,Peter Schmidl,Volker Altmann,Fritz Faltl,Horst Hajek) / LONDON(POCL-4260)

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ロリン・マゼール/ラヴェル:ダフニスとクロエ第1・第2組曲、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルス、ボレロ

ニコニコ快演にして怪演

笑った笑った。久々に聴きながら大笑い。指揮者の確信犯的演出(←しかも相当にアク強し)に、当団ならではの語法が妙にマッチして、他では聴けないラヴェルに仕上がった。"快演"そして"怪演"
中では、「ラ・ヴァルス」が一番面白い。「ウィンナワルツへの礼賛でありパロディーである」という曲を、世界最高のウィンナワルツオケと演奏する。この条件が揃った時点で、"才人"(←奇人・変人でも可 ^^;)マゼールには、「勝利」を確信する閃きがあったに違いない。ラヴェル演奏の常套手段である、オケ全体で"色彩感"を表出する、というアプローチではなく、主旋律の裏で動いている楽器や、動きのある音形を殊更に強調するといった手法を取ることで、壮麗にして濃厚な音楽に仕上げた。時々、マーラーやR.シュトラウスかと思わせる部分もあって、聴いてて飽きない。これがラヴェルなのか?と訝る声もあろうが、当団に対してウカツに色彩感の表出を求めたりすると、グチャグチャに崩壊してしまう恐れが強いから、このアプローチは正解。さすが、当団との付き合いの長いマゼール、「戦い方を知っている」というところか。
他の曲も、基本的には同じ路線。でも、「ラ・ヴァルス」ほどの濃厚さは感じない(←世間一般の演奏に比べれば相当に濃厚だけどね)。「ダフクロ」でのフルートは、音の感じからするとフリューリーかな?いい音出てる。「ボレロ」は、'92年の150周年記念演奏会におけるムーティとの演奏以来だが、スタジオ録音ということもあって、こちらの方が断然安定している>ムーティとの時は、冒頭のフルート(ニーダーマイヤー)から、かなり危なかった。でも、やっぱりトロンボーンはショボいなぁ。まぁ、これも当団ならではの持ち味だけどね...。「スペイン狂詩曲」は名演だと思う。'60年に録音されたシルヴェストリとの同曲演奏と比べてみれば、今の当団が格段に機能性をアップさせていることもわかる(←それがつまらんのだ、という方もお出ででしょうが...)。各曲の感想は、ざっとこんな感じ。

えっ、なになに?オマエはよく「聴いてて笑った」とか書くけど、いったいどんなところで笑ってるのか具体的に教えろ、ですって?(←誰も言ってないだろが...)。仕方ないなぁ、そういうリクエストがあるんだったら(←いや、だから無いって...)、ちょこっとご紹介いたしましょうか。今回一番笑った「ラ・ヴァルス」の"爆笑ポイント"を以下にまとめてみましたんで、ご覧いただきたく。笑いの対象が、どうしてもホルン中心になるところはご勘弁を。"場所"の部分は、CDの演奏時間(分'秒")です。

ラ・ヴァルスの爆笑ポイント←ただし、ほんの一部(^^;
場所笑いのツボ
2'35"〜ホルンの上昇音形"大"強調。
今まで、ここでホルンがこんな音符を吹いてるなんて全然気づかなかった...。
6'27"〜完全にウィンナワルツになってる。故意か?はたまた無意識か?
8'50"〜ホルンのゲシュトップ(ベルを塞いでつぶれたような音を出す奏法)聞こえまくり。
普通、そこまで吹かんぞ...。
10'23"〜しばらく前から金管が吹いているメロディー。普通、下降するに従い次第に収束するのだが、
最後に受け継いだホルンが存在を"主張">しかし、吹込んでる分テンポに乗り遅れぎみ←トホホ(^^;
11'38"〜チューバ!渾身の一撃!?
11'47"〜たぶん"主役"はホルンじゃないと思うよ...。

と、まぁ、こんなところ...。他の曲でもいろいろあるんだけど、全部書いてるときりがない。特に笑える2例だけ追加させて(いずれもホルンネタ)。
まず、「ボレロ」の後半。弦楽器の合奏に旋律が移った後、ホルンが例の"ボレロリズム"を刻むのだが、1番(と3番?)ホルンが吹く実音G(たぶん)の音が、9'34"〜、9'54"〜、10'57"〜、11'17〜、11'37〜、11'58"〜といったところで突然でかくなる(いずれも4小節間)。答えは簡単、奏者が交代したため(^^;。これはマゼールの指示によるものではなくて(←たぶんね)、当団ホルンセクション固有の問題(←交代がわからないようにしよう、などという考えはないということ)。前出のムーティの時も同じだった(←この時は、3番ホルンを吹いたベルガーが"犯人")。今回は、たぶん、
ラルスが"犯人"だと思う。ラルスはベルガーの弟子だから、受け継がれる"伝統芸"みたいなもんかね、これは。
もうひとつは、「スペイン狂詩曲」の4曲目"Feria"の1'50"〜と5'40"〜のホルン(いずれも同じ音形)。6/8拍子2小節にまたがる旋律を高らかに歌い上げるパターンで、歌い込むのはいいんだけど、1小節目の後半が間延びして2小節目の入りに時間がかかるので、結果的にテンポに乗り遅れぎみになる(←メロディーが後から来る感じ)。この手のパターンは、いつでもだいたいこんな風で、これもまた、ウィンナホルンという反応の遅い楽器を使用することに起因するもの。まぁ、これも当団ホルンセクションの"伝統"だ。私には、これが"楽しさ"の元になるのだけど、一般的には受け入れ難いかもね...。あなたが、もし、所属するオケでこんな風に吹いたとしたら、絶対に"指導"されることでしょう。(05/08)

M.Ravel:Daphnis et Chloe Suite No.1&No.2,Rapsodie espagnole,La valse,Bolero
Lorin Maazel(Cond) / BMG CLASSICS(09026 68600 2)

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チョン・ミュンフン/ドヴォルザーク:交響曲第3番・第7番

ニコニコいい仕事してますねぇ

ドヴォルザークの3番て、聴いたことありました?恥ずかしながら、私はこのCDで初めて聴いた。でも、いい曲だね、とても。全体的には「ブラームスになりたい症候群」といった感じなんだけど、2楽章のアタマなんかは"プッチーニのオペラ第2幕冒頭"(←ハテ?)みたいな雰囲気だったりして、いずれにしても「習作」感の強い作品ではある。でも、そういう曲を、実に「いい曲」に聞かせてくれてるんだな、この演奏は。とにかく、細部まで手抜きなく、丁寧に音楽を作っているところがいい。フレージングや、音の響かせ方といったところが、実に丁寧。"オケなり"にやらせてるところは皆無(←このあたり、最近のアバド&当団の仕事ぶりと好対照といった感じ)。だからといって、指揮者がガチガチに型を作って、オケをはめ込んでいるというわけでもない。オケからは伸び伸びとしたいい音が出てる。ミュンフンと当団の相性の良さなんだろう。こういう仕事ぶりに出会えるのは、実に嬉しい限りだ。"焼き物鑑定士"の中島某風に言えば、「いい仕事してますねぇ」ってとこか。
7番の方も基本線は一緒。3番に比べれば曲の完成度は高いから、より一層充実した音楽が鳴っている。オケも上手い。特にわがホルンセクション。1番ホルンをトムベックが吹いてる(←たぶん)が、これが実に素晴らしい。1楽章冒頭や2楽章中頃のソロの上手いこと。ミキシングがオフぎみなのがもったいないくらい。また、両曲で活躍するクラリネット。音の感じからするとハーイェクだと思うが(←とすれば、首席最後の録音の一つということになるか...)、これが結構キレてる。彼の"芸風"ってこんな感じだったかなぁ、って思うほど"主張"していて、なかなか痛快。ラッパも相変らずいい味出してるし、いや、これは、まさに当団の「面目躍如」たる演奏。いい指揮者と巡り合って良かったね、当団諸氏。(03/22)

A.Dovorak:Symphony No.3 in E flat major,Symphony No.7 in D minor
Myung-Whun Chung(Cond) / Deutsche Grammophon(449 207-2)

異議アリ!

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ベルナルト・ハイティンク/ブルックナー:交響曲第8番(ハース版)

コマッタ究極の"いい人どまり"

大変立派な演奏である。少なくとも、昨秋の来日公演におけるメータとの同曲演奏よりは、指揮者・オケ・曲の相性はずっと良く、「ブルックナーの8番」というイメージに違和感ない演奏となっている。ハース版を使ってるのもいい。3楽章での、ハース版ならではの「静と動(激?)の対比」なども見事で、当団もいい音で指揮者の要求に応えている。
ハイティンクという人は、「中庸」を極めている指揮者ではないかと思うのだが、この演奏もまた然り。これといって特別な仕掛けは施されていないのだが(そう感じるのだが)、それでいて凡庸な演奏に終始しているわけではなく、じっくりと、しかし確実に訴えかけてくるものがあり、それはそれで見事というしかない。すでに国内盤も発売されているので、各方面の批評も出揃った感もあるが、押し並べて好評。ハイティンクの力量と、当団の充実ぶりを称える評が並んでいる。
では、なぜに私は「コマッタ」印としたのか。
立派な演奏であり、充実した音楽であることは認める。異論はない。しかし、なんか今一つ「面白くない」のだ。いや、ブルックナーなんだから「面白い」必要なんかないんだよ、と言われてしまえばそれまでだが、なんていうのかな、真面目一徹の人よりも、ちょっと"悪(ワル)"の雰囲気を持った人の方が魅力的だったりすることあるじゃないですか。アプローチがあまりに正攻法過ぎるのか、「おいおいやってるよ」みたいな、思わず笑ってしまう局面がなくて、「フムフムなるほど」などと感心しているうちに曲が終わってしまう感じ。そんなところが、私には今一つ物足りないのだった。
メータのブルックナーは確かに"変"だった。でも、「俺はこう感じるんだ」っていう彼ならではの主張が、それなりに面白くはあった。だから、「どっちが"ブルックナー"なんだ?」と問われれば、躊躇なく「ハイティンクです」と答えるが、では「どっちが面白かった?」と聞かれれば、「メータでした」と答えるだろう。曲の本質とは違うところでの評価になるかもしれないが、そういう聴き方があっても悪いことではないでしょう?
世の中には、"いい人"なんだけど恋愛感情を持つには至らない、と評されてしまうタイプの人がいるが(→私か?)、この演奏はまさにそんな感じ。究極の"いい人どまり"か。惜しい。(03/05)

A.Bruckner:Symphony No.8 in C minor
Bernard Haitink(Cond) / Philips Classics(446 659-2)

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クレメル&ムーティ/パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第4番 他

ニコニコ合いの手の妙

これはもう「痛快クレメル節!」ってなもんで、まぁ、文句なしである。2曲とも初めて聴いたんで(協奏曲は以前のFM放送で耳にはしたけど)他とは比べようがないが、でも、クレメルだからね、きっと同曲の演奏の中でも相当にとんでもない部類のもんなんだろうと思う>いかがですか、詳しい方?協奏曲のカデンツァなども、シュニトケの曲を元にクレメル自らが作ったようだし(→相当ヘンです)、相変わらず才気および狂気走っていてよろしいのではないかと。
というわけだから、クレメルのことは置いといて、ここでは伴奏を務める当団に注目したい。オケパートの作りは、はっきり言ってどうしようもない。まぁ、パガニーニだから仕方がないところだろうが、ソロとオケが丁々発止とやりあう、なんてタイプの曲では決してない。2曲ともいかにも"伴奏"って感じの作り。だから、何も当団が演奏しなくたっていいんじゃないか、と思うのだが、聴いてみると、やっぱり当団だからこその魅力に溢れていて、楽しいんだなこれが。
言ってしまえば、ソロの"合いの手"ばっかりやってるようなオケパートなのだが、その合いの手が実に絶妙なのだ。特に金管陣(トロンボーン含む)に割り当てられた、たいして意味のなさそうなパッセージが、なんとも絶妙に、そして存在感たっぷりに"決まる"。こういうことができるのって、彼らが「オペラの国の人」だからこそなのだと思う。オペラのオケパートは、決して歌手の"伴奏"というだけの位置づけではないが、それでも、歌に合わせて、歌と一緒に音楽を作って行く、という作業を日常のものとしているからこそ、こういう存在感のある"伴奏"ができるのだと思う。
なんでもない合いの手に隠された、彼らの高い音楽性と技量を感じ取ってやってくだされ。いい勉強になりまっせ。(03/05)

N.Paganini:Concerto for Violine and Orchestra No.4 in D minor,N.Paganini/P.Spada:Sonata Varsavia
Gidon Kremer(Vn),Riccardo Muti(Cond) / Philips Classics(446 718-2)

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アンサンブル・ウィーン&ヤノシュツ父子/モーツァルト ディヴェルティメントKV287他

ニコニコ不思議な味わい

アンサンブル・ウィーンは、当団1stVn奏者パウル・グッゲンベルガー(Paul Guggenberger)がリーダーを務める、Vn2本+Va+Cbという編成の弦楽アンサンブル。そのアンサンブル・ウィーンと、当団ホルン奏者のヤノシュツ父子(子ロナルドと父ヴィリバルド)によるディヴェルティメント(第15番)がメインのCD。通常チェロが入って弦楽五重奏+ホルンで演奏されるが、ここでは、アンサンブルの編成通り、チェロ抜きという珍しい形で演奏されている>ジャケットには"Original Version"の表記あり。昨年('96年)5月の録音。
アンサンブル・ウィーンのCDは、以前「ヨーゼフ・ランナー作品集」(Sony Classical:'92年録音)が出ていたが、それとは2ndVnとCbのメンバーが変っている>ちなみにCb(ウィーン・ヴィルトゥオーゼンメンバーでもあるニーダーハマー)以外はすべて当団メンバー。ランナーのCDでも感じたのだが、このアンサンブルには、というよりもグッゲンベルガーのヴァイオリンにはと言う方が正解もしれないが、なんとも不思議な味わいがある。例えば、同じディヴェルティメントをウィーン室内合奏団の演奏(DENON:ヘッツェル最期の録音のひとつ)と比べてみると、そのアンサンブルの精度や音楽の洗練度は遠く及ばない(→誠に失礼ながら)。でも、なんか、その朴訥とした音楽がとても心地よく、しばらくするとまた聴いてみたくなってしまうのだ。技術的な部分では、ちょっと危なっかしいところもあるグッゲンベルガーのヴァイオリンなんだが、ほんと、なんともいえない、いい味が出てるんだなぁ。"人柄"なのかもね、彼の>知らんけど。
さて、このCDの"目玉"である(のだろう)ヤノシュツ父子の共演だが、こちらもなかなかの聴き物である。音楽の洗練度は、やはりウィーン室内合奏団でのゼルナー&
アルトマン先生コンビに軍配が上がるのだが、彼らが2人ともフレンチホルンで吹いていたのに対し、ウィンナホルンを使っている(ただし2番の父のみ。1番のロナルドはHigh-F管で吹いているはず)ことで、やはり、その音にウィンナならではの"味"が感じられて楽しい。このCDは、先般聖地で見つけてきたものなので、日本に入ってきているかわからないのだが、もし機会があれば、現役ホルンメンバーの吹きぶりの違いを、ぜひとも聞き比べていただきたい。
ところで、本題からは外れるが、ヤノシュツ父子の名字の"読み"についてひとこと。「Janezic」というスペルからは「ヤノシュツ」とはどうしても読めず、私も以前は、プログラム等に記載されている通り「ヤネツィク」と表記していた(→カメラータのCDでのみ、ヤノシュツと表記されていた)。しかし、当団ホルンのメンバーが一様に彼らを「ヤノシュツ」と呼ぶことから、それに倣うことにした次第。でも、10年くらい前に父上の方に直接"読み"を伺った時には「ヤネツィク」に近い発音をされていたんだけどね...。(02/17)

W.A.Mozart:Divertiment KV287"Lodronische Nachtmusik No.2",Serenade KV525"Eine Kline Nachtmusik"
Ensemble Wien,Ronald Janezic・Willibald Janezic / KOCH CLASSICS(3-6445-2H1)

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ハンス・ピツカ、フランツ・ゼルナー他/エーリヒ・ピツカ:ホルン四重奏曲集

コマッタマニアは聴くべし!

バイエルン国立歌劇場首席ホルン奏者ハンス・ピツカが、当団ホルン奏者フランツ・ゼルナーおよびフリー奏者2名と録音したウィンナホルン四重奏曲集。ピツカ自身のレーベルである「ハンス・ピツカ・エディション」のCDである。曲はすべて、ハンスの父であり、4人の師匠でもあったエーリヒ・ピツカ作曲のもの。エーリヒは、この録音が行われた直後の昨年11月に他界したとのことであり、ジャケットには亡きエーリヒに捧げる旨の記載がある。
ピツカという人物については何かと毀誉褒貶あるところだが、こうしてウィンナホルンの音を積極的に残そうとする姿勢は評価して良いところと思う。このCDも、親父の曲ばかりってところはナンだが、ウィンナホルンアンサンブルの貴重なレパートリー集であり、もっと演奏されてしかるべき佳品も多いから、資料的な意味での価値はそれなりに高い。
しかし、これを1枚の"商品"として聴いた場合はどうだろうか。例えば、ウィンナホルンのファンでもなければ、まったく楽器をやってるわけでもないというような人が聴いたとしたら?おそらく、その内容の変化の乏しさに、途中で飽きてしまうのではないか。あるいは、ホルン吹きだけど、ウィンナホルン経験はない、そう、例えば吹奏楽をやっている中高生あたりが聴いたとしたら?概して"一本調子"だから、音色の変化のなさにがっかりするかもしれない。いや、音が「汚い」とまで思う可能性だってある。私のような"マニア"には、「そこが楽しい」のであるが、その域をすべての人に求めることは無理というもの。そういった意味で、文句なしに「ニコニコマーク」とはいきにくいのだ。
でも、マニアだったら聴かねばならない演奏でっせ。内声部を担当してる2人の音の出し引きやら、4番奏者の、リズムをカチッと出すが為の音の"割り"など、勉強になるところは多い(→ピツカの"一本調子"は参考にならんけどね)。それから、マニアとしては、4人の使用楽器がそれぞれ違っているところにも注目したい。ガンター、ユングヴィルト、ヤマハ、エンゲル(←もしかしたらバス・ウィンナかも)の布陣で演奏されている。まぁ、もっとも、それぞれの音色の違いを楽しむ、というほどのものでないところが辛いんだけども...。(02/14)

From Our Home Upper Austria Provience
Hans Pizka,Erhard Zehetner,Franz Sollner,Eduard Geroldinger / Hans Pizka Edition(HPE-CD06)

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ゲオルグ・ショルティ/エルガー「エニグマ」他

ニコニコえらいカッコえぇやんか

昨年('96年)4月の録音。コダーイ:「孔雀」変奏曲、ブラッハー:パガニーニの主題による変奏曲、エルガー:「エニグマ」変奏曲という、今世紀に作曲された(エニグマは1899年初演だけど)オール変奏曲プログラム(→いやはや...^^;)。録音と前後して行なわれた演奏会では、さらにブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」が演奏されていた(当初の予定では、ブラッハーではなくウェーベルンの「パッサカリア」だったが、変更された模様)。
しかし、これはずいぶんとカッコいい演奏だぞ。この手の曲の醍醐味はと言えば、各変奏の対比を際立たせ、鮮やかに、しかしさりげなく演奏するところにあると思うのだが、この演奏は、それらの要素をすべて兼ね備えている。前半の2曲では、オケの鳴りっぷりの良さにとにかく惚れぼれ。特に管楽器陣の充実ぶりは見事(→フルート[たぶんニーダーマイヤー]がやや地味だけど)で、中でもオーボエのトゥレチェク(→たぶん)が群を抜いて素晴らしい。ソロはもちろん、オケの中での何気ないひと吹きの上手いこと。コダーイやバルトークといった近代ハンガリー物では、彼は独特の感性(音感?)でほんとにいい音楽を作る。よっぽど好きなのか、相性がいいのか...。昨秋から耳の病気で長期療養中の彼。早くよくなって、また"トゥレチェク節"を聴かせてほしいものだ。
さて、"メインプログラム"は「エニグマ」。これも充実したいい音が出ている。立派な演奏だ。ただ、エルガーという作曲家には独特の音楽世界があり(あるらしく?)、"通(→エルガーオタク?)"に言わせれば、世評良いといわれていてもまったく"ウソ"の演奏もある、とのこと。だとすると、この「立派な演奏」というところが、もしかしたら、通の耳で聴けば"ウソ"かもしれないなと思った。そんなに数をこなして聴いている曲ではないが、比較的耳にする機会のあった「ニムロッド(第9変奏)」の終りあたりを聴くと、なんとなくそんな気がした次第。なんか"違う"かもね、と。
ただ、この「堂々とした立派な演奏」というのは、これはこれで、当団ならではの"語法"によるものだから、私にはとても心地よい音楽。よって、とても楽しんで聴いた。
とにかく、全曲とも非常に充実した、そしてとてもカッコいい演奏であることは確か。ショルティ爺さん"老いて益々盛ん"の図ってとこだ>力が入って爺さんが指揮台をドンドン蹴っている音がいっぱい聞こえてくる。このコンビでは、'94年来日時の、最低の「ペトルーシュカ」と「悲愴」ってのがどうしても頭から離れなくて(→ほんとに悲しくなるほどひどい演奏だった...)、あんまり期待してなかったんだけど(→先般のFMの録音も聴いてなかったくらい)、こういう演奏ならぜひ生でも聴いてみたい。きっと、嬉しくて笑いがとまらんだろうな、その時は。(01/23)

Z.Kodaly:Variations on a Hungarian Folksong(The Peacock),B.Blacher:Variations on a theme of Paganini,E.Elger:Enigma Variations
Sir Georg Solti(Cond.) / Decca(452 853-2)

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